タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2024/01/29

タイ国タンマガーイ寺院愛知別院参拝

タイのワット・プラ・タンマカーイ寺院の別院のひとつが愛知県江南市にある。


以前、拙ブログの記事 『日本にタイ寺院はいくつある?』 において紹介した日本国内に20箇寺(記事執筆当時)あるタイ寺院のなかのひとつである。


タイ国タンマガーイ寺院愛知別院は、以前は名古屋市中川区にあったのだが、タンマガーイ寺院公式ホームページによれば2016年7月に江南市へと移転したようである。


江南市は、私にとっては少し縁のある土地で、多少の土地勘もある場所なので、江南市へ移転したと知った時には、これは是非とも行かねばならないと思った。


また、何と言っても、私が住む東海地方(愛知・岐阜・三重)のエリアでは、唯一のタイ仏教寺院であるということもあり、移転の話は別にして、以前より訪問したいと思っていたタイ寺院である。


名古屋市内にあった時代からその存在を知ってはいたのだが、名古屋の寺院へはついに訪問することがかなわなかった。


今回は、かねてからの念願がかなっての訪問、いや参拝である。






令和6年(2024年)1月7日参拝





この寺院の建物は、以前は『尾北建機車輌』という重機を扱う会社だったようで、外観にその名残を感じ取ることができる。


写真の通り、非常によく目立つ建物であるうえ、『タイ国タンマガーイ寺院愛知別院』の文字も非常によく目立つので、この建物がタンマガーイ寺院なのだということが一目でわかる。


タンマガーイ寺院については、さまざまな見解があるが、そのことについてここでは論じないことにする。


ここでは、ひとつの訪問記録として、また懐かしいタイの雰囲気を感じ取れる場所に触れることができた喜び、そしてタイ上座仏教サンガに属する寺院の流れをくむ寺院に触れることができた喜びを綴ることにしたい。


なお、インターネットの諸々の記事を見ると、たまに宗派は『タンマガーイ派』だと記載しておられる人がいるようであるが、これは間違いである。


タイの仏教の宗派は、タンマユットとマハーニカイのふたつしかなく、タンマガーイ寺院とその系列寺院はマハーニカイに属する正式なタイサンガの一員である。


ゆえに“新興宗教”と呼ぶのも間違いで、厳密には“新興仏教寺院”あるいは“新興仏教グループ”とすべきだろう。


その意味においては、アチャン・チャー師の森林僧院のグループも同列である。


それはさておき、タイ国内では賛否ある寺院ではあるけれども、タイ滞在中にはタイの本部であるワット・プラ・タンマガーイ寺院で瞑想を指導していただき、寺院の中の出家者・在家者ともに、皆さま方には大変お世話になった。


こうした思いがあるというのは事実だが、単なる個人的な感情論を避けるためにも、私は寺院の賛否の問題とは分けて考えることにしている。




















さて、いよいよ参拝である。



私が訪問した日、訪問した時間は、5人のタイ人比丘がいらっしゃった。


その他何名かの在家信者の方もおられたようであるが、基本的にはタイ人比丘だけが常駐しておられるようである。



タイの作法に従ってお布施をさせていただき、祝福のお経をいただく。


出家中には何度も耳にしてきた聞き慣れた独特のトーンは、やはり懐かしいとしか表現することができない。


ただこれだけで、まるで故郷の家へと帰って来たかのような安らぎを覚え、深く心が和みおだやかになっていく。



お布施の後は、どこから来たのか、どのくらい時間がかかったのか、タイではどのくらい出家をしていたのか、どこのお寺で出家をしたのかなど、他愛もない会話をタイ語で交わした。


もう忘れてしまったタイ語をなんとか思い出しながらの会話で、それはそれはもう必死だ。



通常、タイの人たちは、こうした比丘と言葉を交わす時間に、もちろん雑談もあるだろうけれども、自身の悩み事を話したり、生活上の問題や課題を相談し、比丘からアドバイスをいただいたりするのである。


街のお寺であっても、田舎のお寺であっても、その点は同じだ。


タイにおいて寺院や比丘が人々の心の拠り所として機能している大きな理由のひとつである。



今回の参拝では、一般のタイ人参拝者は誰もいなかったが、以前に訪問したことのある長野県松本市のタイ寺院でも日本に在住しているタイ人たちが入れ替わり立ち替わり参拝し、このような時間を過ごしていた。



もうひとつ、私が楽しみにしていたのが、ここでしか入手することができない書籍を読むことだ。


タイの比較的大きな規模の寺院には、『施本』といって、自由に持ち帰ることができる小冊子や書籍が並べられている。“法施”である。


しかし、ここで誤解しないでいただきたいのは、あくまでも“施本”であり、自由に持ち帰っていいものだからといって、無料であるのではなく、自身の身の丈に応じたいくらかのお布施をして、徳を積んでいただきたいということだ。



詳しくは、拙ブログの記事:

『タイのお寺の施本』



今回、いただいた施本は、『ワット・プラ・タンマカーイ寺院の創立者 クンヤーイ・アージャーン・ジャン・コンノッユーンの生涯 二番はいない』という書籍である。(以下、アージャーン・ジャンと表記する。)


アージャーン・ジャンは、タンマガーイ式瞑想法の創始者であるプラ・モンコン・テープムニー師の直弟子である女性であり、またタンマガーイ寺院の創立者でもある。


さらにこのアージャーン・ジャンの直弟子であるのが、現・タンマガーイ寺院の住職であるタンマチャヨー師である。






クンヤーイ・アージャーン・ジャン・コンノッユーン先生
(『二番はいない』より)




『ワット・プラ・タンマカーイ寺院の創立者
クンヤーイ・アージャーン・ジャン・コンノッユーンの生涯
二番はいない』





プラ・モンコン・テープムニー師の伝記は、すでに読んでいるので、次に知りたいと思っていたのが、タンマガーイ式瞑想法の創始者であるプラ・モンコン・テープムニー師からどのようにアージャーン・ジャンへと伝授され、どのように広まっていったのか、そしてどのようにワット・パクナム寺院から独立してタンマガーイ寺院が創立され、発展していったのかということについてである。


ご興味のある方は、ぜひ関係寺院を訪問され、施本があるかどうかを尋ねていただき、ご一読いただきたい。


きっと快く教えてくださることと思う。


その際のお布施はお忘れなく。



詳しい書籍の内容は割愛するが、一点だけ、大変印象に残っていることがある。


それは、タイのタンマガーイ寺院は、非常に整理整頓されていて、掃除も非常に行き届いている。


その理由は、タンマガーイ寺院の創立者であるアージャーン・ジャンの教えと指導にあったのだということが、書籍の記述から知ることができたことである。


書籍の一節を引用してみたい。



『例えば、スリッパの並び方まで心を配ってください。

スリッパが散らかって、ほうきや、雑巾、ゴミ箱、そしてゴミまでが、あちらこちらに散乱していれば、それを見た信者さんたちは、瞑想でなかなか心を静止させることなどできないでしょう。

たとえ1時間かけて、やっと心を静止させることができたとしても、目を開けると、まだ散乱しているものが眼に入って、せっかくの瞑想が台無しになってしまいます。

反対に綺麗にしていれば、信者さんの心は容易に穏やかになって、自然と心を留め、静止させることができるでしょう。』(141頁より)



日本人からすれば、履物を揃えたり、ゴミをかたづけたりすることは常識の範囲内なのかもしれないが、タイにおいてはそういった習慣は薄い。


そうしたタイの慣習のなかにあって、タンマガーイ寺院の整然と乱れのない整頓のされ方は、とても素晴らしいと感じるとともに、どこか日本的なものを感じたため、深く私の記憶に残っている。


ああ、なるほど、こうした寺院の雰囲気は、このようなアージャーン・ジャンの指導の薫陶を受けたものだったのかと非常に腑に落ちた。






プラ・モンコン・テープムニー師
(ルアンポー・ソッド師)





タンマガーイ寺院愛知別院では、毎月第一日曜日に比較的大規模なお布施が行われるとのことである。


きっと、たくさんのタイ人たちが近隣からも、遠方からも集うのだろう。


寺院は広々としていていることもあり、おそらくはたくさんのタイ人たちで賑わうに違いないと、つい想像してしまう。



生まれ故郷であるタイを離れて、遠く異国の地である日本で暮らすタイの人たちにとっては、どれだけ心の安らぎとなる場所であり、どれだけ心を癒してくれる存在であるのだろうか。


そんな思いを考えただけで、少々こみ上げてくるものがある。


私もどこかタイ人になっているのかもしれないと思う。



ここは、まさに日本に在住するタイ人たちにとってのひとつの拠点であり、大きな拠り所なのだ。




【参考文献】


・『ワット・プラ・タンマカーイ寺院の創立者 クンヤーイ・アージャーン・ジャン・コンノッユーンの生涯 二番はいない』

日本語版 タンマガーイ寺院刊行 2009年



【関連書籍】


・『チャオ・クン・プラ・モンコン・テープムニーの生涯とその教え』

T・マグネス著 藤吉慈海訳 タイ国:ワット・パクナム刊行


・『インド・タイの仏教』

藤吉慈海著 大東出版社 1991年 


※『チャオ・クン・プラ・モンコン・テープムニーの生涯とその教え』は、『インド・タイの仏教』のなかに収録されている。



【関連記事】


『タンマカーイ寺院の素晴らしいところ』


『タンマカーイ寺院の問題点について ~誰もが気づきにくい大問題~』



【タイ国タンマガーイ寺院愛知別院公式ホームページ】

愛知別院 Aichi Dhammakaya Temple – タイ国タンマガーイ寺院



【タイ国タンマガーイ寺院公式ホームページ】

タイ国タンマガーイ寺院 – (dhammakaya.jp)




【タンマガーイ寺院の表記について】

拙ブログでは、タイ語の発音にしたがって『タンマカーイ』という表記に統一しているが、インターネット上では『タンマガーイ』という表記が多い。また寺院の公式ホームページにおいても『タンマガーイ』という表記となっていることから、この記事では『タンマガーイ』と表記することとする。

なお、『ダンマカヤ』という表記は、パーリ語の『タンマカーイ』の英語表記を日本語読みにした表記である。


アージャーンの表記について

タイ語で『先生』を意味する敬称。日本語では、アチャンと表記されることが多い。拙ブログでは、アチャン(一部、アーチャン)という表記に統一している。タンマガーイ寺院関連の書籍では『アージャーン』という表記となっているため、この記事では『アージャーン』と表記した。日本語の表記の違いである。




(『タイ国タンマガーイ寺院愛知別院参拝』)






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