タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2015/08/12

タイで立ち会った2回の散骨


先月、私の祖母が亡くなった。


私は、いわゆるおばあちゃん子だった。

祖母もまた、私に対してそれなりの期待をかけくれていた。

それは、葬儀の際、祖母と縁の深かった方々の思い出話から容易に窺い知ることができた。

空港へ向かう私に対して、玄関先まで見送ってくれたあの時の祖母・・・私に対して一体何を思っていたのだろう。

これが元気な祖母と接した最後であった。


私のタイ滞在中に、祖母は、交通事故に遭い入院することとなった。

さらには、その入院が引き金となり、在宅復帰が困難な状態となってしまった。

入院生活は、息を引き取ったつい先月まで十数年間に及ぶ長いものとなった。


私がタイから帰国した時には、すでに入院生活であった祖母。

その身体状況から、祖母とは会話らしい会話を交わすことはできなかった。

息を引き取るほんの数時間前まで、何度も何度も病院へ通った。

・・・私が空港へと向ったあの日、玄関先まで見送ってくれたあの時の祖母の姿が目に浮かぶ。



4年前には、父が亡くなった。

出家中、常に心のどこかにあった父とのこと。

父とのことは以前のブログでその思いを綴った。



祖母と父。

はたして孝行はできたのであろうか。

はたして「徳」とはなっているのだろうか。


タイであの時、



「日本に帰って父とのことをしっかりとかたずけてくるように。」



そのように促してくれたある日本人の師が私に言わんとしていたであろうことが、さらに深く理解できたように思う。


善きところへ赴いていることを願いたい・・・これが祖母や父への、親しく育てていただいた孫であり、息子である私の素直な感情である。


葬儀が終わり、祖母の遺骨を眺めながら、タイで立ち会ったある葬送のことを想った。


出家生活の大部分を森の寺で過ごしていたこともあり、タイの葬送儀礼に触れる機会は僅かしかなかった。

それゆえ、タイの冠婚葬祭関係についてはあまり詳しくはない。

そんな僅かな機会のなかで、非常に印象に残っているのがタイで立ち会った、日本で言うところの「散骨」だ。


散骨には2回立ち会った。

チェンマイとバンコクで1回ずつ、散骨その場に立ち会った。

タイで立ち会ったこの2回の散骨は、今も鮮明に私の記憶に残っている。


チェンマイで立ち会った散骨は、ロケット花火の筒の中に遺骨を入れて打ち上げ、大空に散骨するというものだ。


・・・火葬が終わった。

骨がある。

ここまでは、日本と変わらない。

骨壷に収骨するのかと思いきや、なんと遺骨をロケット花火の筒の中に入れ始めた。

一体、何をするのだろうかと不思議そうに見ていると・・・


「離れていろよ。」


と、先輩比丘から声がかかった。

打ち上げられた。


「シュッッッーーーッ」


一瞬にして勢いよく飛び立った。

遺骨が入ったロケットが空高く登っていく。

さらにさらに、高く高く登っていく・・・。


「パァァァーーンッッ」


・・・・・・


それで終わりだ。

日本では、おおよそ考えられないような散骨の方法にとても驚いたのであったが、この潔さにはなんとも天晴だと感じた。


もう1回の散骨は、バンコクで立ち会った。

チャオプラヤー川での散骨だった。

川に撒くという形式の散骨は、おそらく散骨としては一般的なかたちであると思う。

それゆえ、それほどの驚きはなかった。


しかし、その美しい姿と清々しさに感動さえ覚えたのであった。


・・・故人とご家族には失礼かつ不適切な表現なのかもしれないが、このように表現させていただくことをどうかお許し願いたいと思う。・・・


こうした散骨について、後に、日本在住のタイ人に尋ねたところ、これらは最近のタイの習慣なのだとか。

そのように散骨することが確かにあるとのことであった。


ちなみに、分骨することもあり、一方を散骨し、もう一方の遺骨を寺の壁に埋め込んだり、寺の境内に小さな塔を建てたりすることもあるということだ。


壁に埋め込むというのは、タイの寺ではよく見かけるもので、壁に亡くなった方の名前が書かれていたり、亡くなった方の写真がはめ込んであったりする。

また、ある地域では、寺の境内の端の方に小さな仏塔のようなものがいくつも建てられているのもよく見かけることがある。

これらが彼の説明するそれにあたるのだろう。


葬送儀礼については、地方によっても大きく異なるそうであるが、寺の壁や境内に遺骨を納めるあたりが日本の習慣と似ているようにも感じたが、日本在住のそのタイ人が言うには、これらはあくまでも日本で言うところの「墓」の概念ではないのだという。

・・・「墓」という概念なのではなく、単なる“目印”や“記念碑”といったような概念なのだそうだ。

日本人の感覚からは少し理解しづらいのかもしれない。

「一般的には、タイで“墓”を造るのは、華僑系の人(中国系の人)で、タイ人は墓を造らないのです。」と教えてくれた。

このあたりについては、私としては非常に興味深いところである。

もし、機会があれば是非とも詳しく調べてみたいと思っている。



ロケット花火で天空に散骨する。

穏やかに流れる川へと散骨する。



・・・実に潔く、清々しいその姿勢に、少しばかりの驚きを感じたりもしたが、とても自然なそのかたち・・・このようなかたちもあっていいと感じた。


仏教の観点から言えば、故人に対していつまでも強く執着を持ち続けることは危険だ。

まして、それが骨という“もの”に対する執着となれば、なおさらである。

しかしながら、こうしたことをおおっぴらに言おうものなら、なんと冷たい人間なのだと批判されるかもしれない。

だが、少なくとも、いつまでも悲しみに耽り、執着しているよりは、仏法に耳を傾けて、より善く生きる道を模索する方がはるかにいいと思う。

また、より前向きに生きようとする姿勢のほうが大切であると私は思う。


当時は、出家者の立場として立ち会ったということもあってか、こうした散骨の方法も、根底にあるタイの仏教的な価値観の現れなのかもれないと感じたのであった。

このあまりに潔い姿勢、とても自然なかたちが強く私の心に残っている。


そうは言いながらも、自分自身の骨をそうされるのならまだしも、喜びも悲しみもともにしてきた大切な人や家族の遺骨ともなれば、そうもできないというのが人情だろうか・・・。

あるいは、親しい人を亡くした周囲の人達の心情を考えると、一概にそうとも言えないのかもしれない。


ともあれ、仏教の価値観が生きているタイならではとも言えるものではないだろうかと私は思っている。


最後に、バンコクで立ち会った散骨の情景を振り返り、記事を締めくくりたい。

私が当時止住していた寺の住職のお付きとして、ある信者さんの家があるバンコク近郊の街へ同行させていただいた時のことである。

聞けば、今から川で散骨をするのだと言う。


住職と私と信者さん家族、そして遺骨を乗せた船。

その船が船着き場をゆっくりと出発した。

家族や親族とおぼしき人達の表情から、おそらくは親しい間柄であった方の遺骨なのであろうことが想像できた。

チャオプラヤー川が海に注ごうとする、川幅も広くなった河口近く。

船が川の真ん中あたりに差し掛かろうとしたその時。


「ここで。」


船が止まった。

波もなく、とても静かな水面であった。

家族や親族たちがなにやらごそごそと動き出した。

そっと遺骨がとり出された。

ゆっくりと水面に遺骨が沈められていく。

最後のひとつを沈め終えると、準備されていた色とりどりの花びらが水面に散らされた。


ゆるやかに流れる水面に静かに浮かぶ花びら。

川の流れにそって、ゆらりゆらりと花びらが流れていく。

さらにその花びらを飾るかのように、最後に器からまかれた遺骨の粉が流線を描いていった。

白い粉と花びらが、だんだんと船から遠ざかって行った。

家族の誰かがぽつりとつぶやいた。


「きれいね。」


みんな、とても穏やかな表情だった。


この散骨の風景・・・

そして、この時の家族達の穏やか、かつ軽やかなその顔。

この一言と、この風景。

今も忘れることができない。















※この写真は、実際にタイで行われたタイ在住の日本人の方のご家族様の散骨風景です。

拙ブログへの掲載のご承諾をいただくことができましたので、ここでご紹介をさせていただきました。

この場をかりて篤くお礼申し上げます。



※タイで出会った散骨の風景を紹介するもので、日本で推進するものではありません。
こうした風景から仏教やタイを感じ取っていただくことができれば幸いに思うところです。



(『タイで立ち会った2回の散骨』)





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