タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


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阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

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2014/09/11

師の言葉であるのなら ~目標を失った私~ 後編


師は、どうしてあのように言ったのだろうか・・・。

このようにブログとしてまとめていて、今、少しだけ師が私に伝えようとした真意に改めて気づかされたように思う。

それは、なによりも、仏教の表面的な「形」を求めるのではなく、生き方としての「本質」を求めよということを伝えたかったのではないだろうか。

それは、前編で帰国後に私が歩んだその後について、


『そうした心の状態を反映した道となってしまった』


と記したが、まさにそうした“心の本質”を見抜いたうえで、仏教を生きろということなのではなかったかという気がするのである。

私がなりたいとは思わなかった日本の僧侶になりたいと思ったのは、前編の冒頭で記したように、


『それでも日本の僧侶になりたいと思ったのは、やはり日本の社会の中においては、最も仏教に近い位置にある“職業”だからだ。』


というものだった。


私が自分自身で記している通り、私はもしかすると“職業”としての僧侶を目指していたのではなかったか・・・。

師には、そうした私自身にも見えていなかった私の内面が見えていたのかもしれない。

いわゆる“渡世”としての僧侶には、おそらく生き方としての「本質」などはない。

いつか本山で講師として法話をしていた布教師となった先輩のように。
先輩を悪く言うつもりは全くない。
むしろ応援したい。

しかし、当時の先輩には、生き方としての仏教の本質を見ることのできる余裕はなさそうであった。
・・・少なくとも私の目からはそのように見えた。

私も、もし僧侶となっていたならば、その先輩のようになっていたのかもしれない。


『僧侶という職業』
『資格となった僧侶』


の記事の通り、他の職業に就こうとも、僧侶という職業に就こうとも、仏教の本質を生きているのか、あるいは生きていないのかは全く関係がないと言える。

おそらく、職業としての僧侶となれば、間違いなく仏法から遠ざかっていたことであろう。
私が僧侶となることによって、かえって仏法に沿った生き方から遠ざかってしまう・・・。

それでは、本末転倒である。

もしかしたら、師からの言葉は、そうしたことを意味していたのではないかと感じるのだ。

いや、きっとそうに違いない。


あくまでも、私は師の真意を推し量ることしかできないが、今思えば、それが師の私への「お育て」だったのかもしれない。


日本の寺の世界は、世間の人が思っているほど“清浄な”場所ではない。
それは、このブログでも書いている通り、学生時代にこの目で嫌というほど見てきている。

檀家さん・信者さんへのご案内・・・世間で言う“顧客管理”か。
参拝のご案内・・・世間で言う“集客”か。
法要・・・世間で言う“イベント”か。

非常に罰あたりで失礼な表現ではあるが、実際に寺の中ではそのような感覚で運営されている一面がある。

ある寺の中では、僧侶が隠語として「寺」という組織のことを「会社」と言っているのを耳にしたことがある。
私は、思わず苦笑してしまったが、寺が会社と変わらないのも事実であると思う。

金や財産の話もあれば、地位や権力の話もある。
もちろん、出世どうこうの話もある。
色の方面の話もある。

一般企業と全く同じである。
仏教という「殻」をかぶっているだけである。

仏教という「殻」をかぶっていることが学生であった当時の私をさらに苦しめた。
一般社会に金や地位、出世に色の話があるのは当然であり、いたって普通のことだ。

なんの抵抗感もない。

ところが、仏教だ。

そのギャップにショックを受けたことをはっきりと記憶している。

大学卒業後、「僧侶」という「職業」を選ばなかった理由だ。
いや、“選べなかった”理由である。


真摯な仏法者の方へは大変に不快な思いをさせてしまう表現ではあるが、私がたまたま見た寺の世界がそうであったのであり、単に運が悪かったのだと大目に見ていただきたいと思う。

そして、このショックが私の中では大きな位置を占めていたということをご理解いただきたいと思う。


数回の記事にわたってタイの仏教と比較しつつ、僧侶という職業、僧侶という資格というものに注目しながらブログのなかで自分の思いを整理してきた。

僧侶も一般の社会人も全く変わらない。
そうした環境に入っても意味がない。

仏教は儀式ではない。
職業でもなければ、資格でもない。

仏教の本質を体得して欲しい。
真理に沿って生きていって欲しい。

仏教の生き方をして欲しい。

師は、私に対してそのように伝えたかったのではなかったか。
また、私をそのように育て、導きたかったのではなかったか。

師は、日本の僧侶の世界に生きている人だ。
僧侶の世界のことは、私よりもはるかに知り尽くしているはずだ。

私が記事としてまとめたこと以上に、思うところは山ほどあるはずである。
師は、私にそうした世界には染まって欲しくはないと思ったのかもしれない。

最後に師は私に言った。


「私は、たまたま衣を着ているだけです。あなたには必要ありません。」


今、その真意が少し理解できるようになったような気がする。
そして、師の言葉はやはり正しかったのだと思う。

日々、今を生きる中で、どう生きていけばよいのかが少しづつわかってきたような気がする。

次の一歩をどう踏み出せばいいのかを。
今、どういう選択をすればよいのかを。


仏法、すなわち真理とは、気づいていても、気づいていなくても、信じていようが、信じていまいが、あるいは他に何かの理論を信じていようが、そのようなことは全く関係がない。

真理は、そのようなこととは関係なく、常にこの世界全てに流れているものである。

その真理に沿った生き方とは、どういったものなのかが少しだけわかってきたような気がするのである。

もちろん、まだまだ迷うこともある。
まだまだ苦しむこともある。
まだまだ悩むこともある。

私は、まだそんな凡夫である。

だからこれからも、私は真理に沿った生き方とは、どういったものなのかをさらに求め続けていく。


今、このようにして自己を振り返り、ブログとしてまとめる機会を得ることができたことをとても幸せに思う。

感謝。



(『師の言葉であるのなら ~目標を失った私~ 後編』)



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2014/09/03

師の言葉であるのなら ~目標を失った私~ 前編


還俗を決意した理由・・・

それは、父の病のこと。
(関連記事⇒『父の病気1』から)

そして、はるかなる道、大いなる道に圧倒され、負けてしまったこと。

それともうひとつ、まだこのブログ上には書いていないことがある。

それは、ある師の弟子として飛び込みたいと思ったこと。
ある師の弟子として飛び込む・・・すなわち、帰国して日本の僧侶になりたいと思ったことだ。

前回までの記事の中で紹介させていただいている通り、日本の僧侶の世界の実情は、学生の時よりこの目で嫌というほど見てきた。
それゆえ、日本の僧侶となることを選ぶことはなかった。

それでも日本の僧侶になりたいという思いに至ったのは、やはり日本の社会の中においては、最も仏教に近い位置にある“職業”だからだ。

幸か不幸か・・・私は、仏教の他に関心を持てるものがない。
ゆえに日本で生活をしていくのであれば、少しでも仏教に近いところにいたいと思ったのであった。

このままタイで比丘として生きていきたいとも当然のことながら思った。
しかし、父との問題にけじめをつけるためにも日本へ帰国することを選んだ。

そして、日本に帰ったら、日本で“日本のお坊さん”になろう・・・そう思ったのだった。

これで、自分の心にはっきりとけじめをつけることができた。
これで、日本へ帰る目的がはっきりとした。

そう感じた。

病床にある父とともに時を過ごすこと。
そして、尊敬し、お慕い申し上げる師のもとに弟子入りすること。

そう心に決めて還俗を決意したのだった。


弟子になりたいと願った“ある師”とは、以前の記事のなかの「ある師」のことである。
(関連記事⇒『生きねばならぬ3 ~無意味の意味~』


まだ若かりし頃、私と同じくタイへ渡り、さらにスリランカで修行を重ねられた方だ。
唯一、私のタイでの出家を応援してくれた方だ。

私と同じ志を抱いた人。
私と同じ疑問を抱いた人。
私と同じ道を歩んだ人。

そして、私と同じ挫折を味わった人。

師と初めて会った時、今までにはない感覚を感じた。
その場にいるだけで感情が伝わってくるとでも表現したらよいのだろうか。

それは、「感覚」であり、文字や言葉によって表現することは難しい。
これ以上の表現ができないので、その感覚をどうかお察しいただきたい。

このような出会いを経験されたことのある方はいらっしゃるだろうか。
少なくとも私は、この時が初めてであった。

こういう人がいたのだ。
こういう出会いがあるのだ。

私は身ぶるいがするほどの思いだった。

師は、とても軽く、そして穏やかな人生を歩んでいる。
今も。

私もそうなりたいと思った。

僧侶となるのであれば、自分が信頼し、自分もそのようになりたいと思える師の弟子となりたい・・・。

迷わずに師のもとへ飛び込みたいと思った。

尊敬し、お慕い申し上げる方。
師弟関係とはそのようなものではないだろうか。


師とは、ひらたく言えば先生のことだ。
先生といえば、学校の先生や習い事の教室の先生・・・・・・
一般の社会生活のなかで出会うことのできる「先生」とはそのくらいだろうか。

しかし、それらは師弟関係と言えるほどの関係ではない。

一般の社会生活のなかでは、「師」と呼べる人との出会いは、もはや稀少なのかもしれない。


タイから日本へ帰って間もなく、帰国の報告を兼ねてそのある師のもとへと向かった。
ところが、予想外の結末となる。

断られたのだ。

正確に言うと、「必要ない。」と言われた。

全ての目標を完全に失ってしまった瞬間だった。

師は、私にこのように言った。


「あなたは、僧侶になどなる必要はありません。
なぜ、タイへ行ったのか、もう一度よく考えてごらんなさい。
なぜ、僧侶になる必要があるのか、もっと深く考えてごらんなさい。

あなたは、本物を求めてタイへ行った。
本物が何かということを求めるためにタイまで行ったのではありませんでしたか?

これからも、是非とも本物を求めていって欲しい。
そして、これからも、是非とも本物でいて欲しい。
あなたには、最後まで本物であって欲しいのです。

あなたは、自分のすぐ足元に、そしてすぐ隣に仏法があるのだということに気づけるようになりなさい。
仏法は、あなたとともにあるのです。

私が学んだ人は、みな在家の人でした。
私が尊敬する人は、みな在家の人でした。

寺の人間は誰ひとりとしていなかった。

あなたも、そんな本物になって欲しいと思います。」


と。

私は、「はい。」とだけ答えた。

脱力したという表現になるのだろうか。
がっかりしたという感覚でもない。

その時の感情もまた、文字や言葉によって適切に表現することができない・・・。


ともかく、“日本のお坊さん”への道は閉ざされてしまった。

・・・他の場所でなればよいではないか。

そのように思われるかもしれない。
しかし、この師のもとで僧侶となるからこそ、私にとって意味があるのだ。

他の選択肢は私の中にはない。

信頼し、お慕い申し上げる師。
そして、自分が飛び込みたいと思った師が言うのである。

師の言葉に全く異論はない。
異論などあろうはずがない。

「はい。」以外の答えもまた私の中にはないのだ。

たとえ、師のこの言葉にだまされたとしても後悔はない。
この先の目標がなくなろうとも、路頭に迷うことになろうとも後悔はない。

それだけ私が信頼し、お慕い申し上げた方が言うのだから。

ただただ、師の言われた通りに歩んでゆくだけだ。
自分が師の言う「本物」になることを信じて、これからを歩んでゆくだけだ。

しかしながら、師の言葉に対して「はい。」と答えはしたものの、本当に私は“本物”になることができるのだろうか・・・次に目指すべき具体的な“形”を無くしてしまった私には不安しかない。


この先、何をして、どのように生きていけばよいのか・・・

全くわからない。

まさに苦海だ。

その後、そうした私の心の状態を反映した道を歩むことになったのは、すでに記事の中で紹介をさせていただいている通りである。

決して楽しい経験ではない。
できれば、経験したくないことばかりだ。

全く自分がわからなくなった。

生きている意味もわからなかった。
生きる気力もなかった。

仏教のことなど考える余裕すら無かった。

辛かった。

行き先がない旅路ほど不安なものはないではないか。

足元が見えぬ道を歩むことほど恐ろしいことはないではないか!



⇒後編へ続く。
『師の言葉であるのなら ~目標を失った私~ 後編 』



(『師の言葉であるのなら ~目標を失った私~ 前編 』)



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