タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2026/02/09

私が惚れ込んだ森の寺の魅力とは?


森の寺・・・近年は“森林僧院”と呼ばれることが多い。


わかりやすく言えば、森の中にある瞑想修行のための寺である。



森の寺の存在は、書籍の情報よりタイへ渡る前から知っていた。


実際に、タイの森の寺へと赴き、出家し、生活し、さらに惚れ込んだ。



このブログでは、一貫して森の寺に惚れ込んだ私の篤い思いをありのままに綴っている。



では、一体何がそこまで私を惚れ込ませたのだろうか。


それは、一言で表現するならば『追体験』なのだと思う。



何の追体験か・・・


それは、釈尊の生き方とその生活だ。


すなわち、釈尊その人の生涯の追体験であり、また釈尊が生きた時代の出家生活と瞑想生活の追体験である。


もちろん、釈尊が生きた時代の生活など誰も知るはずのないことであり、あくまでも想像しながら勝手に思い描いているだけの世界だ。


瞑想の生活にしても、私のような能力無き凡夫が深い境地に至ることは甚だ難しく、追体験などといった言葉を使うのもおこがましいほどであるのだが、それでもただ森の寺のなかに身を置いているだけでも、ダンマが身にしみてくるかのような心境になるのである。


その時の気持ちというか、その時の喜びというか、深い安らぎとおだやかさは、言葉には表現することができない。


これは、おそらく日本では体験することのできないものなのではないだろうかと思う。











日本は、仏教東漸の最果ての地だ。


仏教がインドで起こり、東方へ、西域、中国を経て日本へと伝わるまでには、実に壮大な道のりを経ている。


釈尊が言わんとしたそのエッセンスは伝わっているとしても、やはり、ここは仏教東漸の最果ての地である。


釈尊が生きたインドの地とは、時代も、気候も、生活も、習慣も、何もかもが違う。


さらに、大乗とテーラワーダという違いも大きいのかもしれない。


人間・ブッダ、すなわち私たちと同じこの大地に人間として生まれ、生きた釈尊の足跡を追体験したいと思っても、それは日本ではなかなか難しいことはいた仕方のないことだ。


それでも、どうしても、諦めがつかない。


たとえ、ほんの少しであっても釈尊を追いかけたかったというのが、私をタイの森の寺まで突き動かせた唯一の大きな動力であった。











タイの森の寺は素晴らしい。


私のようななんの能力もない凡夫であっても、釈尊の声を聞かせてくれるのだ。


ただ静かに坐し、音を感じ、風を感じるだけで、深い安らぎとおだやかさへと誘ってくれるのだ。



近年は、インターネットが発達し、あらゆる情報がすぐ手元で得られるようになった。


リアルタイムで繋がることも可能になった。


タイや森の寺、テーラワーダ仏教に関する情報も格段に得やすくなった。



もし、その機会があるのであれば、ぜひともタイの森の寺へと足を運んでいただきたいと思う。


できれば、より辺鄙な山奥にある鄙びた僧院がいいのではないかと思う。



たとえ、深い仏教の学問や瞑想の経験がなかったとしても、必ずや森の寺での経験は人生の何にも代えがたい大きな宝物になるだろう。




(『私が惚れ込んだ森の寺の魅力とは?』)






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2025/09/09

私がピンク色のガネーシャ像を知らなかった理由


タイと言えば、ピンク色のガネーシャの像で有名なワット・サマーン・ラッタナーラームという寺院が有名だ。


多くの日本人にとって、何らかの形で、一度は目にしたことがあるであろうタイの風景なのではないだろうか。


ところが、私がこの神像のことを知ったのは、ついこの間のことである。


そう、日本へ帰国した後のことだ。


タイに滞在していた時には、全く聞いたことも無ければ、見たことも無かった。



それにしても、なぜ、このような超有名寺院のことを知らなかったのだろうか・・・?






たーれっく氏撮影

ワット・サマーン・ラッタナーラーム寺院の
ピンク色のガネーシャ像
(※掲載の許可をいただいています。)






タイ全土にその名が知れ渡っていて、ご利益も甚大な神様ともなれば、神様とは触れることがない森の僧院と言えども、やはり嫌でもその“噂”は耳に入ってくるものだ。


そこは、いくら出家とはいえ、タイ社会の中にある“出家の社会”なのだから、有名なものや流行のもの、おおよその世間の出来事などは、やはり『情報』としてたくさん入ってくる。


社会から隔絶されている空間ではあるけれども、完全に隔絶されているわけでもないわけだ。



特に私の場合は、『外国人』であるがゆえに、珍しい場所や観光地(多くの場合は寺院)などへは、“お布施として”連れて行ってもらえることも多々あった。


(※僧侶に対してそうした観光的な要素を含むものをお布施される場合があり、そうしたことも“徳”のある行為のひとつとされる。)



話を元に戻すと、一応は一般の社会から隔絶された僧院で生活をしていたとしても、タイ国内にある有名なご利益寺院や有名な神様などについて、何らかの形でその“噂”を知ることができる。


しかし、全く知らなかったのというのは、なぜなのだろうか・・・?


実は、それもそのはずで、ワット・サマーン・ラッタナーラーム寺院のピンク色のガネーシャの像は、一般的な参拝を目的として2011年に建立されたもので、ごく最近の比較的新しい建造物だからだ。



それと、もうひとつ大きな理由がある。


神様にも“流行り”があるという点だ。


バンコク在住の日本人漫画家であるたーれっく氏によれば、近年、タイではスピリチュアルブームの波が起こっており、その影響によって神様の像やその礼拝施設などがタイのあちらこちらに建立されているそうである。


私があまりタイの神様について、タイ現地の人からの情報に触れることがなかったのは、僧院での出家生活という環境的な要因があったことと、私がタイに滞在していた期間は、まだ“神様の流行”の波がやって来る前だったという事情が重なってのことなのかもしれない。






たーれっく氏著
『タイの神様図鑑』より
(※掲載の許可をいただいています。)




たーれっく氏撮影

ワット・サマーン・ラッタナーラーム寺院の
ピンク色のガネーシャ像
(※掲載の許可をいただいています。)

日本人にも非常に人気の
有名な観光スポットのひとつである。





いわゆるガネーシャは、タイ語ではプラピッカネート(พระพิฆเนศ)といい、以前からタイでも信仰されている神様の一尊ではあるが、このような大規模な礼拝施設が建立されたり、とてつもなく大きな神像や豪華絢爛な施設が建立されたりするようになったのは、ごく最近の出来事なのではないかと私は見ている。


もっとも、私が知らなかっただけで、以前からあったことなのかもしれないが、私が直接見聞きしてきた範囲においては、全く知らないし、見ることもなかった。



『神様にも“流行り”がある』というのは、大変興味深く、日本にもどこか通じるものがあるように感じており、非常に親近感を覚える。


私がタイに滞在していた期間には、そうした流行りの波がまだ来ていなかったということではないだろうか。



神様や信仰の“流行具合”を知るひとつとして、プラ(プラクルアン)というお守りがある。


このお守りの意匠(デザイン)として神々の姿が採用されることがある。


お守りの意匠として人気を博するようになると(そのご利益が定着し、さらに評判が広まってくると)、こうした神像の建立へと発展していくという流れがあるらしい。



私も、いくつかタイのお守りであるプラ(プラクルアン)を持っているのだが、神様のプラクルアンはターオウェーッスワンのお守りを一体持っているだけであり、その他はブッダの姿か高僧の姿のお守りばかりだ。



さて、タイのスピリチュアルブームとは、どのようなものなのだろうか?



一言で言ってしまえば、ご利益信仰ということになるのかもしれないが、非常に人間味あふれるエピソードを持つものが多い印象だ。


是非ともタイ現地へ足を運んで、さらに詳しく調べてみたいと思うほど、強く興味を惹かれる神様がたくさんいるし、またその信仰を表現する“形”も伝統的なものから一風変わった“形”まで実にさまざまだ。



近年、手軽に閲覧できるようなったインターネットニュースなどで、タイの神様を取材した記事をいくつか読んだことがある。


まだまだ私が知らないことがたくさんあるものだと思いながら読んでいたのであるが、言われてみれば、それがそうしたスピリチュアルブームを反映したものなのかもしれない。



私がタイまで行ったのは、仏教を学ぶためであり、仏教の実践行たる瞑想を学ぶためだ。


タイの神様のことについて学ぶためにタイへ渡ったわけではない。


しかし、そうはいっても、タイの信仰は非常に重層的で、仏教の信仰や実践と何ひとつ矛盾することなく共存している。


そのあり方は、とても興味深い。


私の興味・関心を惹かないはずがない。



私が直接知っている範囲など、ほんのごく一部分にしか過ぎない。


私も、たーれっく氏の『タイの神様図鑑』で学びを深めさせていただきたいと思う。


そして、いつの日にかタイの神様に直接お会いすることができればと思う。






たーれっく氏


タイ・バンコク在住の漫画家。

タイのお寺の情報を中心に発信されている。


訪問されたお寺関係は、なんと約2600カ所!

タイ関係の電子書籍を多数出版されている。


たーれっく氏のXのアカウント。

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(@taarekrek



【関連記事】


『『タイの神様図鑑』が面白い!~在家の信仰と出家の信仰~

(2025年08月29日掲載




【参考記事】


タイ観光案内サイト【公式】:タイ国政府観光庁

ワット・サマーン・ラッタナーラーム

 (ピンクガネーシャの寺院)

https://www.thailandtravel.or.jp/wat-saman-rattanaram/




(『私がピンク色のガネーシャの神像を知らなかった理由』)






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2025/08/29

『タイの神様図鑑』が面白い!~在家の信仰と出家の信仰~


タイにもさまざま神様が存在するということは、以前にも触れている通りであるが、最近、バンコク在住の日本人漫画家であるたーれっく氏がX(旧Twitter)で投稿しておられる『タイの神様図鑑』が大変注目を集めている。


タイの神様がイラストとして視覚化されて描かれているのに加えて、ひとつひとつ丁寧にとてもわかりやすく説明が加えられているのだ。


さらに、タイの神様だけではなく、タイの精霊や幽霊(おばけ)にいたるまで、詳しく解説されており非常に勉強になる。



タイの精霊信仰については、さまざまなタイの研究書にその記述があるので、私も学生の頃から知っていた。


また、インド由来の神々も深く浸透しており、信仰されているということも事前の情報として知っていた。


しかし、それらがタイ現地で具体的にどのように信じられており、どのように理解されているのか、さらにはどのくらいの種類があって、どういった姿をしているのかなど、詳細なことまではさすがにどの研究書にも記載がないためわからなかった。


なかでも特に、仏教とどういった関係にあるのかということは、私の個人的な関心事であったが、やはりその記載はどの書籍にもないので詳しくはわからなかった。









たーれっく氏著
『タイの神様図鑑』より
(※掲載の許可をいただいています。)





さて、私は、タイで3年間生活してきたわけであるが、タイの神様について全くといっていいほど触れることがなかった。


そのため、私の興味や関心も次第に薄れていき、いつしか忘れ去ってしまっていた。


そんな私の興味と関心を再び掘り起こしてくれたのが、たーれっく氏の『タイの神様図鑑』であったのだ。



私は、タイでの生活のほとんどを寺院や僧院で過ごしており、その大半を出家者として生活を送った。


・・・先ほど『タイの寺院で神様や精霊についての話題には、ほとんど触れることがなかった』と記した。


それは、結論から言えば、仏教となんら関係がないから触れることがないのだ。


神々の存在は、上座仏教の教理・教学としても、あるいは実践面すなわち瞑想実践としても、何ら関係がないのである。


特に、上座仏教の伝統を重んじつつ戒律を遵守して瞑想を実践する生活が中心である森の僧院では、そもそもが仏教とは関係のないものとして意図して避ける傾向がある。


ゆえに、私とほとんど接触することがなかったのだろう。








たーれっく氏撮影

タイの寺院のターオウェーッスワン像
日本では、『毘沙門天』である。
(※掲載の許可をいただいています。)





さて、たーれっく氏の『タイの神様図鑑』シリーズは、大変な反響を呼んでおり、たくさんの仏教関係の人たちの間で話題になっている。


そのコメントでは、『タイの上座仏教でも信仰されていたのか!』という声や『タイにもインドの神様がいっぱい!』などといった声が散見された。



ここで特筆すべきことがあるので記しておきたい。


神様に対する信仰は、在家者の信仰であるという点だ。



・・・『タイの寺院で神様や精霊についての話題には、ほとんど触れることがなかった』



これは、それもそのはずで、どういうことかと言えば、タイの神様は“出家者にとって信仰の対象ではない”ということを意味している。


言い換えるとすれば、出家者が信仰すべき対象、あるいは拠り所とすべき対象ではないということだ。



出家者が神様に礼拝することはしない。


そもそも、礼拝することを許されていない。


出家者が手を合わせて敬意を込めて挨拶するのは、ブッダと目上の出家者に対してのみである(関連記事:『タイの神様とお坊さん』)。


そこは、日本の僧侶と大きく異なる点だろう。



ブッダ(釈尊、お釈迦様)によって説かれた教えを実践すること、すなわち自らがブッダが歩んだ道を歩んでいくことで悟りへと向かっていこうとするのが上座仏教である。


瞑想に励み、仏教の学問に励む。


自己の修行のために日々精進し、邁進するのが出家者としての生き方だ。



そこに神様が入り込む余地はない。


神様といえども仏教の世界観から言えば、我々人間よりは境涯が上の存在なのかもしれないが、迷える衆生であることに変わりはないからだ。




とはいえ、一般社会の人々と生活を共にしている街や村の寺院では、一般社会の信仰が寺院の中へも入り込んでいることが少なくない。


寺院によっては、『タイの神様図鑑』に紹介されている神様が寺院内や境内に祀られていることも少なくない。


日本人には馴染みがある大乗仏教の観音菩薩像が祀られていることも珍しくない。


ご存知の通り、上座仏教に観音菩薩は存在しない。


タイで観音菩薩とはどういった存在なのかをタイ人たずねたことがあるのだが、大乗仏教由来のご利益がある神様の一尊として認識されているというから、とても興味深い(関連記事:『タイの観音さま』)。



ただし、いくらご利益があるといっても、それは世俗の社会でのことだ。


比丘や沙彌といった出家者が、こうした神々を拝することはない。


あくまでも信仰の対象、尊崇の対象はブッダのみだ。


寺院内や境内に神様が祀られているとはいっても、礼拝することはもちろん、出家者がその管理や祭祀に携わることはない。



このように仏教寺院であっても、神様が祀られていたりすることが珍しくないのであるが、神様が祀られていない伝統を重んじつつ戒律を遵守して瞑想を実践する生活が中心である森の僧院や瞑想実践を中心とする寺院よりも、むしろそうしたあり方の寺院のほうが圧倒的に多数を占めている。


そのため、一般的な視点から眺めてみると、タイの仏教徒たちはみなインド由来の神々やタイ在来の神々を信仰しているということになるのだが、その理解が全てかといえばそうではない。



タイでは、“在家の信仰”と“出家の信仰”があると言えるだろう。


在家の仏教徒は、五戒を守ってブッダ・ダンマ・サンガの三宝を拠り所とする。


あわせて、いろいろな神様も一緒に信仰しているのである。


もちろん、信仰しなくてもよいし、個人の自由であるが。


どんな神様を信仰しようとも、誰かに何かを言われることはなく、全く問題はないのだ。



しかし、一方で出家者は、明確に在家の生活とは異なるがゆえに『出家』なのであるが、ひとたび出家したのであれば、依るべきは『三宝』のみであり、ブッダ・ダンマ・サンガを拠り所として生きる者とならねばならないのである。



同じ仏教徒であっても、その立場によって信仰のあり方(生き方の在りよう)が異なるという点は、寺院と寺院へとやってくる人たちを表面的に眺めているだけではわからないことだろう。


私がタイの神様について深く関わる機会がなかったのは、上座仏教の伝統を重んじつつ戒律を遵守して瞑想を実践して生活をする森の僧院で過ごしていたからかもしれない。


これが在家での生活で、町や村、あるいは都会で生活を送っていたのであれば、事情はまた変わっていたのかもしれないと思う。



タイの神様たちは、仏教や出家生活とは何ら関係がないとは言っても、寺院を守る存在であると信じられていたり、仏法を守る存在であると信じられていたりするというその“位置”は日本とも共通するところがあり、全く無関係かと言えばそうでもないと言えるだろう。


それぞれの尊格も、多くはタイ独自のものではなくて(タイの風土に合わせた変容があったとしても)、おおむね仏教全体のものとして共通している。



一般の在家者の神々に対する信仰は、いわゆる現世利益であり、非常に現実的で生活感あふれるご利益信仰である点も見逃せない。


こうしたところに、並々ならぬ親しみを感じるのである。


素朴な神々への信仰が土台にあって、その上に高度な教理と実践体系を持った上座仏教からタイの仏教は成り立っているということになるだろうか。



そうしたことをすべて含めて“タイの仏教”なのである。



インド由来の神々は、いつどのようにして、タイへと渡ってきたのであろうか。


タイの呪術師や祈祷師は、カンボジアへその学びを深めるために留学するらしいことからも、私の想像の範囲ではあるが、上座仏教以前に伝わった仏教である大乗仏教とともにタイへと伝来したものではないだろうかと思う。


タイがまだ大乗仏教だった時代から上座仏教への信仰へと移ったあとも、一般社会で生活する人々のあいだで脈々と現代まで継承され続けてきたのではないかと思っているのだが、果たしてどうであろうか・・・?



その興味は尽きない。



お詳しい方やご専門の方がいらしたら、ぜひともご教示願いたいと思う。






たーれっく氏


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【関連記事】


『タイの神様とお坊さん』

(2010年05月17日掲載)


『タイの観音さま』

(2020年05月09日掲載)


『タイの毘沙門天信仰』

 (2022年08月09日掲載)




(『『タイの神様図鑑』が面白い!~在家の信仰と出家の信仰~』)





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2025/02/19

戒は単なる禁止事項ではない

戒は、日本人にとって非常に馴染みが薄いもののひとつだ。


仏教徒や仏教学者であっても、戒を守りながら生活をしているかといえば、そうした者はごく希少だろう。


上座仏教(テーラワーダ仏教)は、別名『戒律仏教』などと呼ばれることもあるが、いまだに禁止事項ばかりの窮屈で形式的なことばかりの仏教であると理解されることがあるが、それは大きな誤解である。



私は、タイで瞑想の師から、戒とは単に禁止事項であるのではなく、戒そのものが瞑想となっていくのだと指導を受けるととに親しく教え諭された。


戒を保っていこうと心掛けていくことで、自身の行為・行動をよく知り、観察していくことになるのだと。



ところが、日本では戒を“完璧に守る”ことのみに関心が向けられる傾向が非常に強く、完璧に守れない戒は意味がないと理解されることが多いため、全く話が噛み合わない。


日本で戒の話をすると必ずと言ってよいほど反発されるのだが、それはこうした日本の戒に対する理解を反映しているのではないだろうか。



絶対に守り切れない戒など意味があるのか?


完璧に守り切れないのだから、はじめから守らなくても、なんら問題などないではないか?



必ずこのように反発されるのである。



・・・今でこそ、このように言っている私であるが、瞑想の師から教えを受けるまでは、戒がそのまま瞑想の実践になるとは全く思いもしなかった。


戒を守れば生活が調うということは、個人的にはすでに体験として経験していることであるし、誰にでも容易に理解できる範囲ではないかと思う。


そもそも生活を調えなければ瞑想のための環境というか条件が揃わないので、瞑想実践者にとって戒の意義は比較的容易に理解できるものであると思うが、戒がそのまま瞑想であり気づきの実践だというのだから驚くほかない。


しかし、それは納得以外の何者でもない、まさにその通りだと深く腹落ちしたのであった。


戒にこれほどまで深い意義と瞑想との密接な繋がりを身をもって学び、実践できたことは、ひとえに師の教えと指導のおかげであると感じている。



それにしても、実に戒はうまくできていると思う。











完璧に守れない戒に意味はない、完璧に守れない戒は守らなくてもよい・・・そのような考え方は大きな誤りだ。


戒を完全に守ることができなかったとしても、たとえほんの少しでも戒を破ってしまう回数を減らそうと努力をするべきであるし、破戒の度合いを少しでも軽くしていこうと努力をすべきである。


またそうした努力は誰にでもできる実践だ。


完璧に守り切ることができなかったとしても、そうした決して大きくはないかもしれない努力や心掛け、意識づけを行っていくからこそ、心の境涯が着実に磨かれていくのではないか。



また、持戒のあり方もさまざまな実践の形があり、在家者であっても実践可能な形がある。


例えば、タイの修行寺や瞑想センターなどでよく見られる形式であるが、日数を決めて堅固に守るようにしたり、その日だけ堅固に守る(例えば、ワン・プラの日だけ堅固に守るという形はタイでは一般的によく実践されている)といった形であっても、立派な持戒の実践になるのである。



戒とは、単に禁止事項であるのではない。


戒そのものが瞑想の実践なのであり、日々の生活のあり方そのものなのである。


実生活全般に通底しているべきものであり、日々の営みのなかを貫いている生活規範なのである。



戒を守ろうと心掛けていくことで、自身の行為や話す言葉、心の動きに注意するようになるだろう。


自身の行為に注意するようになるということは、自身の状況や状態へと関心を向けて、気づいてよく知っていくこと、観察・洞察していくことへとつながっていくのである。



なぜ『持戒』が大切で、なぜ『持戒』が悟りへと向かわせていく“力”になっていくのかといえば、こうした善き習慣づけとなるものだからだ。


それだけでなく、いつも心と身体の動きへと注意を向かわせる実践となるものであるからだ。


同時に、常に欲望や怒りの感情といったものへと心を向かわせないための実践であるからだ。



戒は、単なる禁止事項であるのではない。


法の実践そのものであり、瞑想の実践そのものである。



いま一度、師からの教えをよくよく噛みしめ、深く味わいたいと思う。




(『戒は単なる禁止事項ではない』)






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