私がタイへ渡る時、深く悩んだ“親孝行”についてもそう。
今まで全精神をかけて追い求めてきた“求道”についてもそう。
全てが
「あなたが一番いいと思うことをやりなさい」
という一言に帰結するのではないかと思っている。
私は、タイの森の修行寺で出家をして“瞑想”を学び、また日本へ帰国してからは、随分と派手に“迷走”した。
大層未熟な、どうしようもない奴だとお感じのことかと思う。
そうした未熟者の私が、ひとつだけ気づいたことがある。
それは、私にとって、
「一番いいと思うことをやる」
ということである。
言い換えるならば、今の私にとって最善のことをやるということである。
では、何が最善なんだ!というお声が聞こえてきそうだが、それもご尤もであろう。
私だってそう思う。
何が最善であると判断できるのであろうか?
そもそもは、何が一番善いのかなど、確固たる答えなどない。
実は、非常に曖昧で、かつわからないものなのである。
そうであるから、そこは深く追求してみたとしても意味のあることではなく、答えは出ない。
“最も善い”と“思われる”こと・・・それでいいのである。
もしかすると、もっと善いことがあるかもしれないし、後になって振り返ってみると、やはり最善ではなかったということもあるかもしれない。
今の私にとって最善のこと。
今の私が一番いいと思ったこと。
これが“最善だ”と“思われる”こと。
この姿勢さえ貫かれていれば、決して後悔することのない人生を歩むことができると確信している。
日々、迷いと戸惑いとともにあるのは、私一人だけではないと思う。
ここをお読みいただいている方々も、そのような時がなかっただろうか?
私は、むしろ、そうした姿のほうが自然な姿なのではなかと思うのだ。
ともすると、そうした迷いや戸惑いそのものを
「悪いもの」
として考えてはいないだろうか?
悪いものだから、無い方がいいに決まっているし、消し去ってしまいたい。
忌み嫌うべきものだから、できるだけ遠ざけて、見えないようにしてしまいたい。
このように考え、そうとらえてはいないだろうか?
もしも、そうだとしたら、こうした感情を
「悪いもの」
として受け取らず、ごく自然なもの、ごく当たり前のものとして受け取ってみてはいかがだろうか?
私がタイの森の修行寺で瞑想修行に励んでいた時のことである。
タイでは、自由に出家するお寺を選ぶことができるし、自由に先生や瞑想法を選んで、自由に自身の修行の道を選択することができる。
私にとって、どんな瞑想法が良くて、どんなお寺が良くて、どんな修行生活を送っていくことが私にとって一番ベストなのだろうか?
そんな質問をお世話になった何人ものタイの先生方に訊ねさせていただいたことがある。
不思議なことに、どの先生からも返って来る答えはほぼ同じであった。
「あなたが一番いいと思うことをやりなさい」
というものであった。
当時は、「なんて適当な答えなんだ!」と感じたのだが、日を追うごとに、「なんて味わい深い答えなんだ!」と感じ入るようになってきた。
私の責任のもとで、私が判断をして、私が選択をして、進んでいかなければならない私のこの人生である。
他者は、私の人生の選択のうえでは、助言や提案はできるけれども、実際に歩みを進めていくことはできない。
それは、どれだけ愛する人であったとしても、どれだけ信頼し合う家族であったとしても、どれだけ愛情をかけてくれた父母であったとしても、絶対に越えることのできない、厳然たる事実なのであって、ひとりの「人」としての問題である。
私があなたの人生を替わりに歩むことはできない。
私とあなたの人生を交換することなどできないのである。
歩みを進めて生きていくのは、何者でもない、この私なのである。
そうした真実の姿を、ごくわかりやすい最も身近な言葉として見事に凝縮している表現だなと感じたのだ。
時には真っ暗闇に迷い込んでしまうことがある。
またある時には、どうしようもないような状況に突き落とされてしまうことだってある。
そのような時、どう行動していったらいいのであろうか?
この問いに答えを与えてくれたのが「瞑想」であった。
自身の状況に気づく。
今この瞬間の事実を観察する。
感情から一歩離れたうえで、次にとるべき適切な行動を選択する。
瞑想は、日々の実践の中において、こうしたことを繰り返し、繰り返し、訓練を重ねていく。
・・・ふと、日々の実生活の中であったとしても、全く同じではないかということに気づかされたのであった。
何も、タイでの瞑想修行だけが修行なのではない。
何も、坐って瞑想している時だけが修行なのではない。
いや、“瞑想”している時だけが“修行”なのではないし、さらには“瞑想”している時だけが“瞑想”なのではないのだ。
このことに思いをいたしたその時、タイのたくさんの先生方から助言していただいた大切な言葉が明るく光り輝き始めたのだ。
「あなたが一番いいと思うことをやりなさい」
というたった一言の意味と重みがよく理解ができて、ストンと腑に落ちた瞬間だ。
この時から、
「最善を生きる」
ということを大切に考えるようになった。
そして、これこそが人生を切り開く“鍵”であると考えるようになったのである。
全てはタイの森の修行寺で賜った言葉・・・
「あなたが一番いいと思うことをやりなさい」
・・・という一言に帰結する。
迷った時も、そうでない時も、今の私にとって一番いいと思ったことを実践し、行動していくように決めている。
(『あなたが一番いいと思うことをやりなさい』)
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