タイにおいても、この言葉は、法話の中でよく耳にするものです。
タイ語では、「ターン(ทาน)」「シーン(ศีล)」「パーワナー(ภาวนา)」と言い、パーリ語の「dāna」「sīla」「bhavana」のタイ語訛りです。
(※なお、ここでは、ご法話の中での表現に合わせて「ダーナ」「シーラ」「バーワナー」と表記させていただきます。)
今回のニャーナラトー師のご法話の中においも、何度も耳にした言葉でした。
ご法話の中で、これらの3つのことがらについて、具体的にどのようなことなのかを順番にわかりやすくお話くださいました。
アチャン・チャー(チャー師)
合掌・礼拝(3回)
ニャーナラトー師は、チャー師が設立された外国人専門の森林僧院であるワット・パー・ナーナーチャート(国際森林僧院)で出家されました。チャー師の流れをくむ森林僧院は、タイ国内をはじめとして世界各国に設立されています。
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前回の記事では、「拠り所」というものをしっかりと築いていくように、ということをお伝えいたしました。
ご法話は、さらに拠り所を築くこととは、どのように生きることなのか、ということへと進められていきました。
大丈夫なのかなぁ・・・
これでいいのかなぁ・・・
何に頼ったらいいのかなぁ・・・
わからない・・・
どこか安心できない。
なぜか不安、なぜか心配。
多くの人がどこかにそのような気持ちを持っているのではないでしょうか。
それは、生活していくうえでの規範となるものや、指針となるものを何も持たないことに起因するのではないでしょうか。
ニャーナラトー師は、ご法話の中で、人生の基礎となるものとして「ダーナ」「シーラ」「バーワナー」の実践ということを示してくださいました。
一つ目は「ダーナ」です。
ダーナとは、お布施をすることです。
自分のものを他者へ施すことを言います。
これは、サンガや比丘に対しての行為のみを指して言うのではなく、他の誰かのお手伝いをしたり、他者に何かを分け与えたり、提供したりするなどの行為全てを含みます。
実際に、私も、タイの方から誰かの手助けや役に立つような行為を「これもお布施だから、徳を積む行為なのだよ。」と教わったことがあります。
相手を喜ばせる行為をすることで、自身の心をも喜ばせることができるのです。
自身の心を喜ばせることで、その喜びを他者へとさらに大きく広げていくことができるのです。
「お布施」と言うと、日本人の場合、どうしても「お金」を想起してしまうのではないでしょうか。
ご法話の中でニャーナラトー師は、「お布施とは、“いいことをしましょう”ということなのです」と、お話になりました。
「お布施」=「お金」というイメージが強い日本人にとって、お布施とは「いいことをしましょう」ということなのだよ、という理解を示されることで、とても親しみやすく、自分にも実践できるものなのだなと感じることができたのではないでしょうか。
二つ目は「シーラ」です。
「シーラ」とは、「戒」のことですが、単なる禁止事項のことを言うのではなく、「道徳」のことです。
参考までに、私の手元にありますタイ語辞典を引いてみますと、
【シーラ】(ศีล)
戒、戒律
掟、道徳、道理、倫理
(大学書林『タイ日・日タイ 簡約タイ語辞典』平成12年 515頁。)
などと書かれています。
日本では、あまり「戒」ということが定着していないため、しっくりと来ない方が多いのかもしれませんが、仏教でいう「戒」とは、わかりやすく言えば、生活規範のことであり、善い習慣性を身につけることで、「悪いことはやめましょう」という実践徳目のことを言います。
すなわち、「私は、善い習慣性を身につけるための、こういう項目を実践していきます」ということが「シーラ」の意味するところなのです。
この“こういう項目”というのが、次の5つの項目です。
1、生き物を殺さない
2、与えられていないものを取らない
3、淫らな行為をしない
4、いつわりをかたらない
5、放逸の原因となる酔わせる酒・麻薬類を使用しない
(※五戒の訳文は、サンガ文庫『増補版・手放す生き方』2016年 318頁より引用。)
この5つの項目が在家の仏教徒が守るべきことがらで、日々心がけて、生活の指針とすべきことがらです。
これが心身を整えるための最も基礎となるものであると言えるものです。
三つ目は「バーワナー」です。
「バーワナー」とは、「修習(しゅじゅう)」と表現されていますが、わかりやすく言えば、瞑想すること、修行することです。
ニャーナラトー師は、これを「心を発展させること」、つまり「自分の心に直接はたらきかけること」、「直接、心そのものにはたらくもの」、「直接、自分の心に向き合うもの」であるとお話されました。
私は、これは、とても平易で、非常にわかりやすい表現だと感じました。
残念ながら日本は、仏教国でありながら仏教に馴染が薄いため、決して理解が容易な言葉ではないように思います。
また、日本では瞑想というものが一般的ではないうえに、修行と言われても何をすることなのかがはっきりとしていません。
ニャーナラトー師がお話されたように、「心を発展させること」「自分の心に直接はたらきかけること」「直接、心そのものにはたらくもの」「直接、自分の心に向き合うもの」という表現は、瞑想や修行とは何なのかを理解し、深めていく手助けとなるものなのではないでしょうか。
そして、そういうことならこの私にも実践できるのではないか、とより身近に、より私のこととして感じることができるのではないでしょうか。
この後、法話会では実際に自分に戻る機会であり、心を発展させる機会として、「瞑想」の時間が設けられ、私達にわかりやすく「バーワナー」というものをお伝えくださいました。
・・・生きる自信となり、自己の信頼となるもの。
また、人生の揺るぎない拠り所となるもの。
それが、「ダーナ」「シーラ」「バーワナー」という3つの善い行いの実践です。
これらの実践こそが、確固たる人生の拠り所となるものであり、人生の土台となるものに他ならないのではないでしょうか。
ニャーナラトー師がご法話のはじめにお話されましたように、仏教とは、私達日本人が一般的に想起するような「宗教」なのではなく、道徳であり、善き習慣性の構築そのものであるのです。
そして、より善く、より心穏やかに生きるためのトレーニングなのです。
ニャーナラトー師は、「結果は、心の中にあるのです」と仰いました。
ご法話の中で「どうか“本気で”生きてください」と何度も仰ってみえたことがとても深く私の心に残っています。
それはまさに、“心穏やかな生活のすすめ”であるとも言えるものなのではないでしょうか。
このわたくしは、今、どのように行動して、今、どのように生きることが心穏やかな生き方へとつながるのだろうか?ということをニャーナラトー師は直接語りかけてくださり、伝えてくださったのだと私は聴かせていただきました。
合掌・礼拝(3回)
サートゥ
(สาธุ / sādhu)
< つづく ・ 『ニャーナラトー師の法話3 ~私はこのように聴きました <瞑想の時間と質疑応答> ~』 >
※記事の中には、ニャーナラトー師の言葉を多く引用しています。また、ニャーナラトー師の言葉に私の言葉や解釈を織り交ぜて表現している箇所も多くあります。そのうえで、私の「理解」として記事をまとめていますので、その点をご了承ください。
※また、ニャーナラトー師がお伝えされたかったことを正しく伝えることができていないかもしれません。これは、ニャーナラトー師には大変失礼かつ、申し訳のないことなのですが、ひとえに私の理解不足、そして未熟さゆえのことです。何卒お許し願いたいと思います。
(『ニャーナラトー師の法話2 ~私はこのように聴きました <「ダーナ」「シーラ」「バーワナー」> ~』)
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