タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2012/09/18

ワット・ノーンパーポン

タイの仏教のなかには、いくつかの緩やかなグループが存在する。
特に森の寺や修行の寺では、師弟関係や人間関係などでパイプラインがつながっている。

そのような森の寺のグループの中で最も著名なものにアーチャン・チャー師(タイでは、ルアンポー・チャー、アーチャン・チャーなどと敬意を込めて呼ばれている。ここでは以下、チャー師と表記する。)のワット・ノーンパーポンの森の寺グループがある。

チャー師は、タイ国において、最も高名な、そして最も尊敬を集めた比丘の一人である。
タイ東北部・イサーンの都市、ウボンラーチャターニーにあるワット・ノーンパーポンという森の寺の創立者でもあり、現在、この寺を中心としてタイ国内や海外をも含めて100を超す森の寺グループを形成している。

チャー師は、タイ人比丘の弟子のほか、多くの外国人比丘の弟子をも育てており、多くの西洋人比丘の直弟子がいる。

某旅行ガイドブックにも紹介されているワット・パー・ナーナチャート(国際森林寺院)という外国人専門の森の寺は、このワット・ノーンパーポンのグループの寺のひとつであり、チャー師の弟子である西洋人比丘が住職を務めている。

また、チャー師の直弟子の一人にアーチャン・カベサコ師(本名:柴橋光男師/比丘名:プラ・カベサコ師/通称:アーチャン・カベサコ)という日本人比丘がいる。
チャー師の直弟子の中で唯一の日本人である。
また、タイ国内における最も有名な、そして最も著名な外国人瞑想指導者の一人となっている。

現在、カベサコ師は、多くのタイ人に知られる外国人比丘の一人となっており、カベサコ師の住するカンチャナブリー県にある森の寺、ワット・パー・スナンタワナラーム(ワット・パースナン)には、日々多くの人々が参拝や瞑想に訪れる。

また、カベサコ師が日本人比丘ということで、直接、日本語でタイの仏教や瞑想が学べるため、多くの日本人が師を訪ね、瞑想に励んでいる。
おそらくご存知の方も多いことかと思う。
インターネット上においてもすでに知られた存在となっている。

私もまた、師のもとで一時期を過ごし、師に指導を受けて瞑想に打ち込んだ者の一人である。


(※追記:伝え聞くところによりますと、カベサコ師は、平成25年6月(2013年6月)に還俗なされたそうである。
タイでは、トップニュースとして採り上げられ、大きく報じられたとのことである。)


チャー師を慕う森の寺グループの中心寺院がこのワット・ノーンパーポンである。
戒律の順守が厳しいグループの中心寺院であるだけに、非常に澄んだ空気の寺である。
そして、寺の隅々に至るまでよく掃除されており、一歩足を踏み入れただけでとても穏やかな気持ちになる。

瞑想修行も盛んに行われており、毎日比丘や在家の信者達をはじめ、多くの人々が訪れている。

その姿は非常に熱心で、心打たれる瞬間だ。

信心深く、温厚で丁寧な人柄の人が多い、なんともイサーンらしい風景だと感じた。

タイ語のできる外国人であればもちろん滞在が可能である。
しかし、英語ができる人、あるいは西洋人であれば、外国人専門のワット・パー・ナーナチャートを紹介されることもあり、さらに日本人の場合であれば、ワット・パー・ナーナチャートよりも、カベサコ師の森の寺、ワット・パー・スナンタワナラームを紹介されることが多いという。

おそらくは、言葉の問題からであると思われる。
あるいは、その人に最も適した指導者を慮ってのことであろう。

寺での生活は、おおむね他の森の寺と同様、一日一食の生活である。

⇒関連記事:『ある森の寺での生活』

比較的規模の大きな森の寺であるにも関わらず、とても落ち着く雰囲気の穏やかで静かな寺である。


さて・・・
タイ中央部とは少し雰囲気の異なった風景のイサーン。
ビルが立ち並び、車やトゥクトゥクの走る音が鳴りやまないバンコク。
そんなバンコクとは全く異なる穏やかな風景が広がるイサーン。
そして、どこか懐かしいイサーン。

そんなイサーンの人々が訪れる寺ということもあるのだろうか。

多くの森の寺にご縁をいただいたが、ここワット・ノーンパーポンの空気はとても印象に残っている。

私がタイに来たばかりのころ、とてもお世話になったタイ人比丘に、

「修行に興味があるのなら、ワット・ノーンパーポンが有名だから行ってみな。」

と言われたことがあった。
その時以来、一度は行ってみたいと思っていた。

たった数日の滞在ではあったが、行くことができてとても幸せに思う。
そして、チャー師の流れをくむ寺で出家生活の一時を過ごすことができ、修行することができたことは非常に有意義であった感謝している。



(『ワット・ノーンパーポン』)

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