タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2012/09/13

仏舎利の出開帳

【開帳】・・・厨子の扉を開き尊像を公衆に拝せしむるをいう。 (宇井伯壽監修 佛教辞典より)

現在でもたまに『御開帳』という言葉を耳にすることがある。
出張での御開帳もごく稀に耳にするが、これを『出開帳』という。

タイにもこの『御開帳』があった。

ここでご紹介させていただく記事は、日本で言うところの『出開帳』とよく似たようなもので、とても心に残っている出来事のひとつだったので、ここに書かせていただくことにする。


ある日の朝、托鉢から戻ると、あるタイ人比丘から言われた。

「今、バンコクにスリランカから仏舎利が来ているんだ。さっきラジオで聞いたんだ。ぜひともお参りに行かなきゃな。おまえも行きたいだろ?」

という彼の言葉で、今、バンコクにスリランカから仏舎利が来ているらしいことを知った。
なんでも、とても貴重な機会であるらしい。

私が日本人であり、外国人であることも手伝ってか、その比丘はやや興奮気味な、そしてやや得意げな表情で私に語ってくれた。

数日後、幸運にも私は、そのスリランカからバンコクに来ているという仏舎利を礼拝できる機会に恵まれた。

会場は、バンコク市内のとある大寺院。
会場となっている寺の境内の建物には、多くの人が参拝に来ていた。
その中に花に囲まれたひときわ高い仏塔が立っており(・・・高いといっても建物の中であるが)、それこそがはるばるスリランカからタイにやって来たという仏舎利であるらしい。

参拝者たちは、その仏塔と仏舎利の周りを供花を持ちながら3回まわる。

その際には、配布されたパンフレットに書かれた仏舎利を礼拝する偈文を唱えながらまわる。
お賽銭を入れ、供花をささげ、手を合わせている人々。

スリランカから来たという仏舎利の姿を直接拝めるのかと思いきや、仏舎利は高い仏塔の上部にあるらしく、直接目にすることができない。
仏塔の上部は、ふたが開いているような形になっており、鏡で反射させて、間接的に礼拝できるようになってはいるが、私にははっきりとは見えなかった。

やはりただのみせ物ではないのだ。
直接は見えない、そしてひときわ高い場所にある仏舎利。
そのようにしてあるのは、礼拝対象というか、宗教的存在だからなのだろうか。

このような懐疑的なことを考えるのはよくないが。

・・・はたして本当に本物のブッダの骨なのだろうか・・・

一瞬、このようなことが私の頭をよぎりはした。

バチあたりだ・・・

しかしながら、そのようなことをここで考えることはしないでおこう。
いかにも現代人的というか、日本人的な考え方だ。

タイ人と同じく、仏舎利だと伝え聞いているのだから、それは紛れもなくブッダの骨なのだ。
本物のブッダの骨なのだ。
仏舎利なのである。

仏舎利についての関連記事:
『タイの仏舎利』


そんなことよりも、はるばるスリランカよりタイに来ているという仏舎利を、今、ここで目の当たりに拝めたということのほうがはるかに感動的である。

思えば、上座仏教の歴史の中では、古来よりタイとスリランカ、相互の交流が行われてきた。
タイでも、スリランカでも、宗派は存在するが、それは主に戒律の順守の度合いの相違であって、教義内容が違うというわけではない。
伝持する三蔵経典も同一のものであるし、戒律も同様のものである。
そのような意味では、タイもスリランカも、日本で意味するところの「宗派」というものはないといえる。

タイの人々も、スリランカの人々も、そして私も・・・同じ仏教に生きている仏教徒である。

同じ『仏教』であり、同じ『仏教徒』である。

日本で見聞きしているような仏教の「交流」とは、ひと味もふた味も違ったもののように感じた。

多くのスリランカの人々も礼拝したであろう仏舎利。
バンコクに来て、多くのタイ人から礼拝されたであろう仏舎利。

そして、今、この仏舎利を礼拝している私。


私はこの時・・・

国を越えて、人種を越えて、仏教というものを共有できる、仏教というものを共有しているということは、とても素晴らしいことだと感じた。


関連記事:
『タイの仏舎利』



(『仏舎利の出開帳』)

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