タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

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2021/11/09

タンマカーイ寺院の問題点について ~タイ社会における認識~

 

現代タイ仏教を語るうえにおいて、避けては通れない問題がワット・プラ・タンマカーイ(以下、タンマカーイ寺院と表記する)の問題であろう。



この問題は、一面において非常に繊細な問題である。



なぜならば、タイの人たちの間では、親タンマカーイ派と反タンマカーイ派とにきっぱりと分かれる宗教問題だからである。



つまり、タイ人を二分するデリケートな問題だからだ。



ゆえに、まだ信頼関係が構築されていないタイ人と会話をする場合や、なにげない会話のなかでは、この話題に触れないよう注意を払っておいた方が賢明であろう。



場の空気を読んでおくことは、大切なひとつのコミュニケーションだ。






タンマカーイ寺院の僧侶たち






タンマカーイ寺院の僧侶たち






実は、私にも、ちょっとした失敗談がある。



友人たちの前で、タンマカーイ寺院の話題を出したのであるが、「タンマカーイ」の一言で、その場の空気が一変してしまった。



友人の顔色や雰囲気を見れば、すぐに察することができ、理解することができた。



話もそこそこに、サラリと話題を変えられてしまったのだ・・・




もちろん、私は、タンマカーイ寺院はさまざまな問題を抱えている寺院であり、瞑想についても問題を指摘されているということは、当然、承知のうえで話題に出したのではあるが、まさかここまでとは夢にも思わなかった。



この話は、私が出家生活を送った僧院内での話であるのだが、タイの一般社会においても同様である。



タンマカーイ寺院へ訪問した際、町の人たちにタンマカーイ寺院はどちらの方向かを訪ねた時にも、大層怪訝な表情をされた。



タクシーの運転手に、タンマカーイ寺院への行き方を尋ねた時もそうであった。



まるで、暗に行くのは止めておけとでも言おうとしているかのようであったことを鮮明に覚えている。




後日、日本へ帰国後、タイ在住の日本人に確認したのであるが、私が感じたことに全く相違はないと教えていただいた。



私が感じてきてきた雰囲気が、おおむねタイ全体の一般的な認識であるとして構わないものと思われる。






タンマカーイ寺院のウボーソッド(布薩堂)






私は、タイへ渡る以前から、タイにはこうした寺院・瞑想法があるという情報は把握していた。



ところが、まさかここまでタイの一般社会全体を覆う、しかもかなり繊細な問題であるとは思ってもいなかった。




「タイサンガ」という上座仏教教団“一枚岩”であると理解していた私にとっては、非常に驚きを感じた事実であるし、大変印象に残っているものでもある。




近年、日本においてもインターネット上でしばしば見かけるようになった。



タイの仏教事情をご存知ない人にとっては、「ああそうか」程度で過ぎていく問題であろうけれども、例えば、土地問題や金銭トラブルで採り上げられているし、派手な演出の仏教行事を採り上げられてもいる。



そうという記述はないのだけれども、全てタンマカーイ寺院の話題である。



見る人が見れば、はっきりとそれとわかる。



現在も(2021年11月現在)、インターネットを検索していただくと、たくさんの記事が上がってくるので、タイ社会においてどのようなことが問題になっているのか、あるいは、どのような仏教行事が話題となったのかなどを知ることができる。




インターネットで話題となっていることからもわかる通り、タンマカーイ寺院は、タイ社会において「社会問題」として問題視されている側面が強く、純粋な仏教の教義上の問題としては採り上げられてはいない。



私が問題視したいのは、その点である。



すなわち、仏教の教義解釈の問題と瞑想法の問題だ。



仏教の教義上の問題として、大きな「問題」があるという点を強調しておきたい。



そちらの問題のほうが、はるかに重要であり、大問題である。




ところが、この点について、明確に説明ができて、間違いを指摘できるタイ人は少なく、碩学の学僧か仏教教理に詳しい人物しかわからないし、そもそも一般には関心が薄いというのが実情のようである。



もっとも、問題は、単純ではなく、より多面的であり、より複雑なものであるのだから、仕方がない一面はあるのだが、よく整理をしながら見ていかないと、問題の重要な箇所を見逃してしまう。



そのような浅い理解に留まってしまわないよう、今一度、整理をしてみたいと思う。






タンマカーイ寺院の大仏塔の夜景
(プラ・タンマカーイ・チェディ)






実は、タンマカーイ寺院の問題については、以前にも当ブログにおいて紹介しているし、YouTubeにおいても簡略に説明をさせていただいている。



参考までに、過去に掲載した記事を紹介しておくこととする。



ただし、10年以上過去の古い記事である点は、なにとぞご容赦いただきたいと思う。




参考記事:


「サンマー・アラハン(ワット・パクナム)」


「ワット・プラ・タンマカーイ ~寺院での出家生活~」


「ワット・パクナムとワット・プラ・タンマカーイの瞑想法」


「ワット・プラ・タンマカーイ ~特筆すべきその特徴~」




すでに冒頭においても触れた通り、タイを語るうえでは、避けて通ることができない大きな問題であり、仏教や瞑想に関心を持つ者であれば、必ず出会う問題である。



ここで、明確に断っておきたい。



タンマカーイ寺院の良し悪しを表明するものではない。



注意喚起を行うものでもない。



あくまでも、タイにおける現状と認識、実際に存在する批判の声をできる限り忠実に紹介することを試みるものである。



私の勉強不足、調査不足な点は、もちろんあることかと思う。



しかし、その点は、なにとぞ広い目で見ていただくことができればと思う。



また、タンマカーイ寺院やこの寺院で実践されている瞑想法についても、その良し悪しは、あくまでもご自身で体験していただき、ご判断いただく問題であると認識しているため、各自に委ねたいと思う。




タンマカーイ寺院への批判は、大きく以下の3点となる。



1、タンマカーイ寺院の瞑想法は、サマタである。

(悟りへと到る道である、ヴィパッサナーを説くものではない。)


2、タンマカーイ寺院では、「我(アッタ)」を説いている。

(仏教は、無我(アナッター)を説くものであるが、仏教から逸脱している。)


3、タンマカーイ寺院における寺院運営の問題。

(土地問題、金銭トラブル、その他多くの疑惑がある。)




具体的には、おおむねこの3点にまとめられるのだが、問題の詳細については、次回以降の記事(下記より閲覧可能)において、詳しく考察していくこととしたい。




【関連記事】


タンマカーイ寺院の問題点について ~タイ社会における認識~


タンマカーイ寺院の問題点について ~誰もが気づきにくい大問題~


『タンマカーイ寺院の素晴らしいところ』




※タンマカーイ寺院の関連画像は、全てフリー画像素材『Pixtabay』より。




(『タンマカーイ寺院の問題点について~タイ社会における認識~』)






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