タイの瞑想指導は、日本のそれとは異なる。
日本では、おおよそどのようなものであったとしても、いわゆる学校の教育システムに倣っていると言ってよい。
教えを授ける者、教えを受ける者。
この両者がはっきりと分かれており、教えを授ける者は、教えを一から十まで一律に授けていく。
教えを受ける者は、無条件に教えを授ける者から、平等に、一斉に、機械的にその教えを授けられるものと“思い込んでいる”。
ここが大変大きな問題である。
日本の教育システムが悪いとは言わないが、やはり学びは主体性をもって取り組んでいかなければならない。
そうでなければ、真の成長はあり得ないのであって、特に瞑想という師弟の信頼関係を重んじる分野ではなおのことであろう。
心を磨き、智慧を磨いていくにあたり、本人の姿勢は非常に重要なものとなる。
写真:『Forest Sangha Calendar 2017・2560』より
これは、瞑想に限らず、どのような分野であっても言えることであるが、書かれていることが本当に正しいかどうかを、自分自身で確かめていかないといけない。
聞いた教え、授かった教えについて、自分のなかでよく吟味し、本当にそうであるのかどうかを問いかけ、自分自身で検証していかなければいけない。
ただ答えや結果だけを聞いて、そのままにしてしまっていてはいけない。
単に情報だけを仕入れて、何もしないまま放りっぱなしにしていても、誰かが指摘してくれるどころか、声すらかけてももらえない。
どのように感じて、どのように思ったのかが大切だ。
実は、この点は、かつての私が見落としてきたことがらである。
ゆえに、その大切さがよくわかるのである。
ひとつひとつ検証し、確認していこうとする姿勢や主体性をもって自分から問いかけていく姿勢が無ければ、学びを深めるばかりでなく、心の成長はあり得ない。
自身で瞑想を実践して、どこでつまずいたのか?どのように感じたのか?
それで納得できたのか?納得できなかったのか?
もしも、納得できなかったのならば、どこが納得できなかったのか?
ただ待っているのではなく、自分から問いかけていくことが大切だ。
人がいいと言っていたから。
先生がいいと言っていたから。
本にいいと書いてあったから。
・・・だから良いものだというわけではないはずである。
それでは全くもっていけない。
そのままを鵜呑みにするのではなく、
「私は、どう感じたのか?」
「私は、どう思ったのか?」
ということが重要である。
ひとつひとつ自分で確かめてこそ、はじめて本当に自分のものとなるのである。
教えを聞いて、話を聞いて、知った気になって終わってはいないだろうか?
自分自身で検証して、よく確かめているであろうか?
自分で検証して、自分で確かめていく・・・これが、タイで瞑想を学ぶ基本的な姿勢である。
いや、タイだけではない、全ての学びに対する大切な姿勢である。
(『瞑想の学びの姿勢・・・自分で検証して、自分で確かめていく』)
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