現在のテーラワーダ仏教は、スリランカ大寺派の教学で統一されているというのが最も大きな特徴である。
タイ・ミャンマー・スリランカ、相互の国のサンガが交流し合ってきた歴史があるということは、すでにご存知のことかと思う。
とはいえ、テーラワーダ仏教国ならば、どこの国であっても同じであるのかと言うとそうではなく、各国ゆるやかな特徴があり、決して同じであるというわけでは無いことは言うまでもないことであろう。
国が変われば、事情も異なるということだ。
さて、日本人にとっては、タイもミャンマーも瞑想の本場だ。
事実、タイ以外には、学びの場を求めてミャンマーへと渡る日本人は多い。
とても興味深いと感じたことがある。
タイ人とミャンマー人とは、お互いにいい印象を持っていないということだ。
タイでは、何かにつけて「お前はビルマ人か!」などといった具合に、ミャンマー人を引き合いに出して、一段下に見下すことがある。
逆にミャンマー側においも同様なのだそうで、ミャンマーで瞑想修行をされた日本人から聞いた話では、やはりタイ人のことをあまり良くは言わないそうだ。
さらには、ミャンマー人がタイへ行くと人間扱いされないから、タイへは行かない方が良いとまで言われているそうだ。
ちなみに、これは、逆隣のラオスとカンボジアについても同様で、タイ人はラオス人やカンボジア人のこともあまり良くは言わない。
「お前は、カンボジア人のようだな!」などとやや見下した言い方をすることがある。
私は、チェンマイのお寺で出家生活を送ったのであるが、ラオスからの留学僧がいた。
和気あいあいとタイ人もラオス人も、そして日本人も、全く分け隔てなく、非常に仲良く日々を過ごしていた。
決して仲が悪いわけではなく、険悪な雰囲気であるわけでもないということを断っておく。
ある時、ラオス人の留学僧の彼が、
「バンコクのエメラルド仏は、もともとはラオスにあったものなんだ。だから、本当はラオスのものなんだ。」
と私に語ってきたことがあった。
確かに、そのような歴史があるのだが、心の内ではタイのことをそのように思っていたのかと少々驚いた次第であった。
歴史を紐解けば、タイとミャンマー(ビルマ)、タイとラオス、タイとカンボジアは、双方戦争の歴史でもある。
互いに、攻めたり、攻められたりしてきた間柄だ。
おそらく、そうした感情は、そのような長い歴史にまつわる関係もあってのことであろう。
いがみ合っているわけではなく、仲が悪いわけでもない。
しかし、ちょっとした瞬間にそうした隣国感情のようなものを感じる瞬間がある。
どこの国においても、隣国同士は複雑な歴史と関係が絡まり合っているのかもしれない。
タイ人と深い人間関係を築いていくうえでは、ひとつの予備知識として知っておいても良い情報だといえるかと思う。
(『意外によく思っていないお隣の国』)
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