タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2010/04/28

タイへの道のり


大学卒業後、実家に帰った。

そして、小さな一般企業へ就職をした。


私は、実家に帰ることが長男に生まれた私が果たすべき義務だと思っていた。

しかし、満たされない日々であった。

悩み・苦しみを越える道である仏教を学んだはずなのに、逆に悩み・苦しみに押しにつぶされた。

4年間の修学が水の泡になってしまったような気がしてならなかった。


わからない・・・仏教がわからない・・・人生がわからない・・・。

自分がやってきた4年間は一体何だったのか・・・。


「仏教なんか勉強してきて何の役に立つっていうんだ?

せめて、経済学や法学でも勉強してきたのなら、社会の役に立つってこともあるだろうに。」


会社の上司からはそのように笑いながら揶揄された。

悔しかった。

同時に、心のもやもやを解決できずにいた自分の心を突かれたようでもあった。

全く言葉がなかった。

ただただ歯を食いしばり、無言でいることしかできなかった。


もう何年も前のことである。

しかし、この一言は今でも忘れることができない。


自分で言うのもあつかましいが、仏教を学ぶことへの志が強かったぶん、非常につらかった。


「大学とは、学問を探求する場であって、就職の踏み台ではない。」


これは、私の持論であるのだが、それは今も変わっていない。

しかし、現実は違う。

就職を有利に進めるために大学へ行くのである。

就きたい職業のために大学で学ぶのである。


人生の目標とライフプランに従って進んでいくべきなのであろうが、私にはそのような人生は歩めなかった・・・。


そんな日々の通勤途中に読む本はといえば、全てが仏教関連の書籍ばかりであった。

街で目に入った本屋で無意識に手にとる本も全てが仏教書であった。

仏教を修学する場から離れても、やはり仏教のことしか考えることができなかった。

何冊か本を読んでいく中で、少しずつ私の心をとらえるものがあった。

それは、原始の仏教であった。

同時にそれまでは、あまり関心のなかった「瞑想」というものにも強くひきつけられた。


原始の仏教といっても、それぞれの地域でそれぞれの歴史を重ねてきているので、現在ではブッダの時代そのままの仏教というものは存在しない。

しかし、現存する仏教宗派のなかでは上座仏教が最も原始の仏教に近い形態をとどめている仏教であるということで、上座仏教に強い関心をもった。

なかでも、上座仏教の瞑想関連の書籍からは強いインパクトを受けた。


「これだ!!」


と思った。


学生時代に学び、読んできた経典の意味が理解できるような気がした。

人生の苦悩を超える大きなヒントがあると感じた。


ブッダ時代の仏教は、もっとシンプルであったはずだ。

シンプルであったからこそ、誰にでも理解ができたはずである。

誰にでも理解ができたからこそ、世界に仏教が広まったはずだ。

より原点に近い仏教を知れば、きっと仏教が理解できるに違いない。


この道ならばきっと理解できる!

この道ならばきっと近づける!


・・・そう直感した瞬間であった。



⇒出家までのことを紹介します。

『そしてタイへ』



(『タイへの道のり』)



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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

いろいろな事をできるのが才能って言われてしまうし、なんでもこなすのがよくできる人、そんな万能にならなければその道で誰よりもプロになる事で見えてくるものが違うのでしょうね。仏教を求めて求めだからこそ万能の瞑想に出会い、自分はこれだ!と今年込めた事でより自分のものにしたくなり求め探求して今があるんですね、自分に習得したものを伝える事でより多くの人に希望と心のゆとりを気づかせてあげれる事って素晴らしいです。心落ち着かせて気づに気づかせていただきたいそんな現状なんですよね。この続きを楽しまにしています。感謝してます

Ito Masakazu さんのコメント...

匿名様

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。

若かったからということもあるのでしょうか・・・当時は、真の仏教を学ぶためなら、地の果てまででも、地獄の果てまででも、という篤い思いでタイまで行きました。現在は、それなりの答えといいますか、自身の道といいますかを見出すことができたと思っています。ただそれをひたすら歩んでいくのみですが、当時の燃えるほどの情熱を振り返ると懐かしくもあります。