タイでは、出家をするとひとりひとりに比丘名というか、出家名が授けられる。
その出家名は、一応は、師僧にあたる長老比丘から授けられるものではあるのだが、実際のところは、生まれた曜日によってあらかじめ決められており、機械的に振り分けられて名付けられていく。
よって、私個人に対してオリジナルに名付けられた名前ではない。
同名の比丘はすでにたくさんいるはずだし、今までにもたくさんいたはずである。
また、これからも同名の比丘がたくさん誕生していくはずである。
出家の儀式に臨む前に、事前に師僧から出家名が知らされ、説明を受ける。
私の場合は、僧院長から説明を受けた。
というのも、一連の出家の儀式のなかに、
『あなたは、どのような名前ですか?』
『尊師よ、私の名前は○○です。』
という問答があるからだ。
事前に自分の出家名を覚えておかないと、その問答が成り立たないため、事前に知らされるわけである。
私は、月曜日生まれで、『クサラチットー』という出家名を授けていただいた。
『クサラチットーというのは“善い心を持つ者”を意味する名前だ。』
このように教えていただいた。
機械的に当てはめられて授けられた名前とはいえ、自身をほめるわけではないのだが、意外に人柄を反映しているのかもしれないと感じた。
『善い心』とは、私が日頃から心がけていることがらであり、この出家名を授けていただき、説明を受けた時は、とってもしっくりと来るいい名前だと思い嬉しくなった。
布薩堂内で行われた私の出家式の様子 向かって左側が戒師 写真・右側に写っているのが私 (儀式では向かい合っている) |
私が出家したチェンマイの小さな森の修行寺の僧院長から授けていただいた大切なこの名前は、還俗した今となっては使用することはない。
しかし、私にとっては、今でも、とてもしっくりときている名前で、気に入っている。
『クサラチットー』とは、アビダルマで言えば『クサラチッタ』(善業を生じさせる心)である。
これは、現代のタイ語のなかにもあって、パーリ語読みの『クサラ』は、タイ語読みでは訛って『クソン』となる。
意味は、『善』『功徳』などといった意味だ。
『クサラチットー』は、もう比丘ではないので使えないが、アビダルマのなかにもある『クサラチッタ』であればよいだろうということで、私の活動名としている。
タイでの瞑想の日々を忘れないために。
学びを授けていただいた恩を忘れないために。
そして、善き心を持つ者となる志を忘れないためにも。
実は、両親から授かった戸籍上の私の名前とこの出家名以外にも、いくつかの機会があり、いくつかの名前を持っている。
しかし、大変勿体ないお話ではあるのだが、正直なところ、どの名前もしっくりと来ていない。
やはり、タイの小さな森の修行寺で出家をさせていただいた際に授けていただいた『クサラチットー』が最もしっくりと来ているし、最も気に入っている名前だ。
今でも出家者や修行者、ブッダの弟子たる比丘という存在は、私の憧れである。
タイで出家し、憧れの存在たる仏弟子となり、修行者となることが叶ったタイでの思い出も込められている名前だということもあるのだろう。
もっとも、そのような世俗の執着を絶つための出家名であるのに、そこに執着をしていたのでは何のための出家名なのかわからないし、何のための瞑想修行だったのかもわからない。
本末転倒だ。
しかしながら、世俗の恩愛の情を断ち切れぬ、情けない姿の私をもはっきりと見せてくれるというのも、この出家名ゆえなのだと思う。
これもまたひとつの『気づき』だ。
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・2019年03月19日掲載
(『私の出家名のこと』)
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