タイへ行くと、とても癒されるという日本人は多い。
それは、なぜかというと、気候的なものも、もちろんあるのだろうとは思うのだが、タイ人の気質が日本人を癒すのではないかと感じている。
それは、タイ人の非常に大らかなところだ。
そして、タイ人の大変アバウトなところだろう。
もちろん、日本人と“比較して”ということにはなるが、そうした日本とのギャップが日本人にとって心地の良いものに感じるのではないだろうか。
近年、日本人の価値観というか、考え方が大きく変化してきている。
すでにひと昔前とは同じではないとはいえ、やはり日本の社会全体を覆っている閉塞感は、誰もが感じているところなのではないだろうか。
タイ人の価値観や思考の基盤となっているものは、いうまでもなく仏教の思想である。
それは、タイ社会全体を貫くタイの価値観の根幹だ。
その影響なのか、仏教の瞑想でよく耳にする、過去や未来という妄想の中へと身を置くのではなく、ただ今を懸命に生きる、という姿勢が生活の中の随所で垣間見ることができる。
ところが、タイ人のこうした姿勢や考え方に対して、刹那的で後先を考えない、非常に場当たり的な姿勢だという日本人による批判がある。
物事に対して慎重であり、行く先々を見通しながら生きるという、いかにも日本人らしい批判なのかもしれない。
しかし、一方で、こうした日本人の長所ともいえる考え方が逆に、現代を生きる日本人自身を苦しめる手かせ足かせとなっているのかもしれない。
なぜならば、『個』の開放や個人の生き方を追求する文言であったり、『今を生きる』といった文言が広く受け入れられ、大変もてはやされているという状況こそが何よりの証左であると私は感じている。
さて、ここで質問がある。
少し唐突ではあるが、もしも、給料が2倍に増えたとしたら、何をするだろうか?
日本人であれば、貯金と答えるだろうか。
あるいは、旅行と答えるだろうか。
豪華な食事を食べに行くだろうか。
あるいは、子どもの学費へと当てるだろうか。
タイ人であれば、そうは答えないそうだ。
給料が2倍に増えたら、タイ人は、2日に1回働くと答えるそうである。
なんと大らかな考え方なのだろうか。
もちろん、タイ人の誰もがそのように答えるというわけではないと思うが、非常にタイ人らしく、日本人からするといかにも面白い考え方だ。
何より、日本人には、決してあり得ない発想であり、考えられない答えではないか。
このようなところが日本人にとっては、非常に心地がよく、また癒しに感じるところなのではないかと思う。
私は、日本社会のこの閉塞感から、日本の未来を危惧する者の一人である。
人生に何の指針も持たず、羅針盤なき旅を続けていかざるを得ない日本人を危惧している。
ますます自らの心を追い詰め、自らを苦しめていく姿を見ているのは、私だけではないはずだ。
日本社会は、この先、一体どこへ向かって行くのであろうか。
そして、この私は、一体どこへ向かって行くのであろうか。
場当たり的な生き方ではいけないということはいうまでもないことであるし、先を見通した人生を歩んでいかなければならないということもまた大切なことではある。
そうした姿勢を持ち、堅実で誠実な生き方を貫いてきたのが日本人の誇るべき長所である。
しかし、令和の日本人にとっては、こうしたタイ人の思考も、少しばかり必要な時なのではないかと思うのである。
(『タイ人的思考の癒し』)
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