4月といえば、エイプリルフールだろうか。
しかし、たとえ、エイプリルフールだと言っても、嘘をついていいはずがない。
ところが、日本においても、この日ばかりは嘘をついてもいいということで定着してしまっている。
それどこか、いかなる嘘もついていいはずがないだろうと主張すれば、人を喜ばせる嘘なのだから、それくらいは構わないではないかとか、場を和ませることが目的なのだからむしろ推奨できるものではないか、などといった声が多数聞かれる始末だ。
嘘は嘘である。
場が和むとも限らない。
相手が喜ぶとも限らない。
そうしたことが問題なのではない。
ほんの一瞬であったとしても、心の動きが不安な方向へと陥ってしまったり、怒りの方向へと陥ってしまったりすることもある。
仏教は、心の動き、すなわち心の方向性を重視する。
そうした心の動きの全ては、自身の行為・行動として相続されていくもの(引き継がれていくもの)だ。
やはり、いかなる嘘であったとしてもいいはずがない。
「嘘は、泥棒のはじまり」
このようによく言い聞かせられて育ってきたものであるが、こうした言葉も今は昔のこととなってしまったようだ。
日本は、いつから嘘を善しとするような社会となってしまったのだろうか?
仏教には、五戒というものがあり、「嘘をつかない」という努力徳目がある。
特にタイのお寺では、こうした戒が在家よりも、より厳しく守られているのだ。
私が瞑想を学び、実践に励んできた森の修行寺では、町のお寺よりもさらに厳しく指導されるため、相当細かなところまで注意を受けることがある。
「嘘」ということについて言えば、“冗談”でさえも『嘘』をついたこととして見なされる。
冗談が嘘だなんて、それこそが嘘だろう?と思われるかもしれないが、確かに冗談も嘘の類の言葉であろう。
あるいは、
戯れに発した言葉やユーモアとしての言葉なども同様で、嘘の類の言葉として厳禁されている。
余談になるのだが、相手を疑うような言葉、すなわち「本当に?」であるとか、「それは、本当ですか?」などといったような言葉も、相手の比丘に対して、大変失礼な表現となるので、決して言ってはいけない言葉だと指導を受けたことがある。
注意を受けてみれば、確かにそうだ。
原則として、お寺の生活では『嘘』はないわけなのだから。
とはいえ、いくらお寺の中だと言っても、どうしても事実と異なることや、嘘となってしまうようなことがらを言わざるを得ない時もあるというのが人間社会だ。
そうした時は、極力嘘とならないように、発する言葉に注意するというのはもちろんのこと、言葉の表現や言い回しを変えたりして工夫を凝らす。
あるいは、そのような会話をしないことに努めたり、時には、黙秘するといった避け方もある。
このようにして、嘘を避けるよう常に努力が払われるのだ。
日本人からすれば、いささか違和感があるのかもしれないが、冷静に考えてみれば至極当然なことばかりだ。
やはり、冗談やジョークといったものは、そもそもが『嘘』の一種であると言える。
事実でも、真実でもない。
ゆえに、そういった類の言葉は、『嘘』そのものだ。
言葉は、非常に大切なものである。
言葉は、自身の行為・行動のひとつでもある。
自身を形成していく重要な要素のひとつとなるものだ。
「嘘をつかない」
これは、とても簡単なことに感じるかもしれないが、嘘をつかないということを実践してみると意外に難しいことがわかる。
どうしても自分を守ったり、人には言えないことや他者に言ってはトラブルになってしまうようなことなど、ついつい事実とは異なることを口にしてしまったりするものだ。
しかし、是非とも、はじめから嘘をつかないことは無理なことであると決めつけないで欲しい。
嘘をつかないようにしようとする態度、姿勢、その心がけこそが大切なのである。
自身の言葉が、嘘とならないように心がけていくことで、自身の言葉へと注意が向けられ、心が磨かれていく。
そして、自分自身の姿が少しずつ見えてくるのである。
すると、生活そのものが少しずつ変わり始めて来る。
それは、やがて、人生そのものの変化へとつながるのである。
これこそが、人格を磨き、より善き人生とするための行いなのではなかろうか。
自分自身に注意を向けていく。
この姿勢こそは、まさに『瞑想』そのものでもある。
全ては、瞑想につながるものであり、全ては、サティにつながっている。
近年の日本の風潮では、嘘はつくもの、嘘はついて当たり前のもの、嘘はつかないとやっていけないものだと見なされているようである。
すなわち、組織や社会などにとって、やむを得ず必要とされていることであり、所謂“必要悪”としてその存在が認められているということが非常に残念だ。
もはや、だれも嘘は「悪」だとは考えていないと言っては言い過ぎだろうか?
日本は、仏教国ではなかったのだろうか・・・
(『嘘をついていいはずがない』)
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