タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2020/04/29

苦手な人とつき合う時



『苦手な人とつき合うには、どうしたらよいでしょうか?』


『嫌いな人と毎日顔を合わさなければならないのですが、なんとかなりませんでしょうか?』



このように質問をされることがある。



最近、私は、生活の中で瞑想していくこと、あるいは生活そのものを瞑想としていくことに力を入れている。


実は、力を入れているとは言っても、何も特別なことではなくて、森のお寺などでは日常的に指導されることがらである。



違うことといえば、森のお寺なのか、自宅なのかの違いだ。



会社のなかで、職場のなかで、プライベートな付き合いのなかで、苦手な人はいないだろうか。


何人か思い浮かんだのではないだろうか。



私にもそうした人は何人もいる。


私も苦悩のなかで、悩み、苦しみながら生きる衆生の一人だ。



おそらくは、誰もが多かれ少なかれ経験があることかと思う。


同時に、万人における課題であり、関心事だとも思う。


まさに『怨憎会苦』だろう。



ブッダの時代も現代も、人間の悩みというものは何ひとつ変わってはいない。


どんなに社会が変わろうとも、どんなに科学が発展して、便利な世の中になろうとも、人間の苦悩は今も昔も全く同じなのである。


生活の中では、苦手な人や嫌な人と顔を合わせなければならないのだ。



この“現実”を前に、どのように向き合っていけばよいのであろうか。




瞑想を実践していると、実にさまざまな感情が湧きでてくる。


激しい怒りや憎しみもそのひとつだ。


その際、ある修行寺の瞑想指導者の方から、瞑想中に恨みの感情が激しく出た時や苦手な人、嫌いな人のことが頭から離れないような時には、「慈悲の瞑想」を実践し、相手に慈悲を送りなさいと指導されたことがある。



苦手な人や憎しみの感情を抱いている人に対して、彼らの幸せを願う。


相手の幸せを願うことは、自己の幸を願うことと等しい。


相手の悪いところだけを見るのではなく、相手の良いところに目を向ける。



・・・相手も私と同じく感情を有し、同じく苦しみを感じている人間だ。


・・・自分だけがただ一方的に彼・彼女を憎み、嫌悪できるだろうか。



このように少しずつ自己の心と対象への双方の観察を深めていくのである。


やがては怒りや憎しみの感情を無くし、自己の心をも安穏たらしめてゆくのである。



これは、瞑想中のみならず、日常生活の中においても同じだ。


しかしながら、憎き相手のことを慈悲の心でもって見つめるということは、なかなか困難なことかもしれない。


罵詈雑言を吐いてしまったり、相手を攻撃するような行動にでてしまうことすらある。


そして、さらに怒りの感情が増大させてしまう結果となってしまう。


行動までは至らなくとも、心の内では、汚い言葉を吐いてしまう。



・・・これがいつもの自己の姿だ。










どうしても感情がおさまらない、そのような時に「慈悲の瞑想」の実践の他に、日常生活の中での実践として以下の心がけを提案してみたい。



1、自己の感情をそのまま受け入れる。


まずは、苦手な相手に対して抱いている自己の「感情」を知る(観察する)。


嫌だ、腹が立つ、憎い、目にするのも嫌だ・・・など。


そうした感情を抱いていること自体に気づくことが重要である。


今、自分が抱いている感情をそのまま知り、気づくのである。



2、その感情をそれ以上追いかけないようにする。


嫌だ、腹が立つ、憎い、目にするのも嫌だ・・・そうした感情を抱くこと自体は、実は、良いことでも、悪いことでもない。


勝手に“いい気分”、“悪い気分”と感じているに過ぎないのだということを知らなければならない。


嫌だ、腹が立つ、憎い、目にするのも嫌だ・・・という感情を抱いたとしても、そこで留めておき、それ以上は追いかけないことが肝要である。


追いかけてしまうとさらに巻き込まれ、さらに様々なことを考えてしまい、ますます勝手な想像や妄想へと発展し、膨れあがり、苦しみが増してゆく。


どうしても頭から離れないかもしれないが、それ以上感情をつかんでしまってはいけない。


感情の渦に巻き込まれて、のみ込まれしまってはいけない。


できる限り「手放す」ことを心がけるようにするのである。



3、気分を変えることに努める。


“ある気分”に引きずられることによって、さらに“ある気分”が増幅して引きずられてしまう結果になるという“心の仕組み”を知らなければならない。


“ある気分”が嫌な感情や苦痛となる感情、すなわち悪しき結果を産むものであるのなら、それは善き未来をもたらすものではないということは明白だろう。


できる限り嫌な感情から距離を置くことが肝要である。


特定の対象に執着しないことだ。


どこかで感情の方向性を切り替えなければ、やはり巻き込まれていくことになる。


気分を“パッ”と切り替えることを意識してみるとよいだろう。



気分を変えるとは、言い換えれば、如何に怒りの感情から気を逸らすかである。



・・・これらを心がければ、いつか苦手な人もさほど気にならなくなっているかもしれない。


どのような結果になるのかはわからないのだが、攻撃的な感情を抱くことがなければ、悪しき結果を招くことはないということは確かだ。



簡単な作業ではないかもしれない。


しかし、ほんの少しからでいいと思う。



小さな慈悲の心が芽生えればよい。


少しでもおだやかな気持ちになればよい。



その小さな慈悲の種を育てていくのである。


やがて、その慈悲の種は、やがて不動の大木へと育つであろう。



(『苦手な人とつき合う時』)











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