タイの仏教、すなわちテーラワーダ仏教においては、「菩薩」と言えば、ブッダ(釈迦)の修行時代を指すのであって、観音菩薩や地蔵菩薩といった菩薩たちは存在しない。
しかし、タイでは、さまざまな場所で観音菩薩を見かけることがある。
例えば、お線香やロウソクのパッケージに描かれていたり、あるいは仏教書の裏表紙などに描かれていたりする。
それだけではない。
タイのテーラワーダ仏教寺院の境内の一角に祀られていることもある。
何の違和感もなく、タイの人々の生活の中に溶け込んでいるのである。
おそらく、このような光景を見れば、「なんだ、タイにも観音さまがいるではないか」と思うことだろう。
日本の仏教と同じように捉えて、タイの仏教における尊格のひとつであると勘違いをしてしまうに違いない。
ところが、そうではない。
実は、タイの観音菩薩は、タイの仏教のものではなくて、タイへ移住してきた華僑によってもたらされたものであり、タイのテーラワーダ仏教とは無関係の存在なのである。
タイのお線香のパッケージに描かれた
「観音菩薩」の姿。
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ならば、タイの観音菩薩とは、一体、何者なのだろうか?
タイは、華僑が大変多い国で、その華僑たちが信仰する大乗仏教の影響によってもたらされたものだ。
ゆえに、テーラワーダ仏教とは何の関係もなく、タイの仏教とは分けて考えられている。
ちなみに、出家者となると、観音菩薩に参拝することもしないし、拝むこともしない。
たとえ、観音菩薩がお寺の一角に祀られていたとしても、比丘たちはただ素通りするだけだ。
日本人としては、少し違和感を感じるのかもしれないが、テーラワーダ仏教とは無関係の存在であるのだから、当然と言えば、当然だろう。
さて、一般のタイ人たちにとっての観音菩薩とは、どのような存在なのだろうか。
タイの人たちにとって、観音菩薩は、実は、仏でもなく、菩薩でもない。
華僑由来の「神様」の一人として認識されている。
それゆえに、観音菩薩のお守り(プラクルアン)を持つ者や自宅の仏壇に観音菩薩像を祀る人たちもいる。
華僑由来の“神様”の一人であるという認識はあっても、大乗仏教由来であるという認識まではないようだ。
華僑由来の“神様”の一人であるという認識はあっても、大乗仏教由来であるという認識まではないようだ。
とは言え、観音菩薩に対する信仰は、地方の田舎に至るまでタイの全土に広く浸透している。
どうして、タイのテーラワーダ仏教寺院に観音菩薩が祀られたり、町の人たちに篤く信仰されるまでになったのかについては、私には詳しくはわからないが、この信仰の形は、大変興味深いと思う。
とても私の関心を刺激する。
タイの人たちにとって、ご利益があればどのような神様であっても問題はなく、それほどこだわりもないようだ。
なんとも人間的で、素朴な信仰ではないだろうか。
ご利益があることこそが大切。
そんな感覚は、どこか日本にも通じるものがある。
とても親近感を感じる瞬間である。
(『タイの観音さま』)
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