タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/08/10

僧侶という職業

タイ人に「日本では、僧侶というのは“職業”のひとつなんだ。」と説明すると、たいていは驚くか、なにやら腑に落ちない、おかしな顔をされる。

どうして?と疑問に思われた方はいらっしゃるだろうか?


『日本の寺の世界は、本気で仏教を学び、実践したい人の芽をうまいこと摘むようにできている。』
・・・ある人がこのように指摘していたのを聞いたことがある。

私もそのように思う。

仏教に道を求める人は、どこかで挫折するようにできている。
法を真剣に求める人は、そのうち食えなくなるようにできている。

このように表現すると、ご批判をいただきそうではあるが、実は私も学生時代から肌で感じているところだ。

残念ながら、その所感は今に至るまで変わらず一貫している。

結果として「仏教の教えは私の道ではない。」という答えに至る。
あるいは、求道において道を捨てるという結論に至ったというのであれば、それはそれで素晴らしいことであると思う。

しかし、ここで言う「どこかで挫折するようにできている。」とはそういう意味あいではない。
何を云わんとしているのかということは、すでに伝わっていることと信ずる。


在家の世界から寺の世界に入る者は、もちろん数多くいるが、基本的に日本の寺は「世襲」の世界である。

日本において僧侶として一人前にやっていこうと思えば、寺へ養子に入るか、男性がいない寺の娘と結婚をする、あるいは空き寺を紹介してもらうかのいずれかとなることが多い。

特に空き寺へ入る場合は、檀家が少ない寺も多く、決して経済的に安定しているとは限らない。

自分で寺を持つことができた者はまだ幸運である。
僧侶になったはいいが、行き先がない者もたくさんいるというのが実情だと聞いている。


日本では、一般的に僧侶とは、「職業」のひとつであると見なされている。

ここがタイの認識との大きな違いだ。

タイでは僧侶、すなわち比丘とは「職業」であるとは思われていない。
なぜならば、職業とは「“生計”を立てるために日常する“仕事”」であるからだ。

比丘は、生産活動を行わない。
比丘は、金銭から離れて生活を送る。

すなわち、生計を立てないから「仕事」ではない。

比丘とは、生計を立てて生きる存在でもなく、金銭を稼いで生きる存在でもないのだ。

それでは、比丘とはどのような存在なのか?

言うまでもなく、比丘とは、出家である。
法(ダンマ)を学ぶ者であり、法を実践する者であり、法に生きる者であり、真理を求める者である。

根本的な認識が違うのだから無理もない。

まずは、この点を指摘しておきたい。


ある私的な話題を書かせていただきたいと思う。

数年前、私の実家が所属する寺の住職から仏教の研修会への参加をお願いされた。
なかば義理で参加することを承諾した。

近隣の地域にある同じ宗派の寺が合同で主催する研修会だ。

仏教に関することはもちろん嫌いではないので、快く研修会への参加を引き受けた。

研修内容は、焼香の作法であるとか、日常の勤行作法であるとかいったものが中心だ。
これらの研修は、もちろん大切であるとは思うが、特に仏教の核心に触れるものや、私が知りたいと思う内容のものは何ひとつなく、私の心を満たしてくれるものではなかった。

この研修会を終えると、次は本山での宿泊研修会を受講することになる。

本山の宿泊研修会では、日本全国から檀信徒が集まり、様々なテーマについて僧侶を中心に討論する。
僧侶との討論だけではなく、檀信徒同士での討論もある。

もちろん朝の勤行へも参加しなければならない。

早朝の凛とした空気。
広く、大きなお堂の中に響く声明。
細かなところまで寸分たりとも違わない僧侶たちの所作。

美しい。

心身ともに引き締まる時間だった。


こうした本山での宿泊研修会は、それなりに有意義な時間であった。

しかし、本山の宿泊研修会においてもやはり仏教の核心に触れるものは何もなく、私の心を満たしてくれるものはなかった。


偶然、この本山での宿泊研修会で大学の先輩と再会することとなった。
世の中には不思議な再会というものがあるものである。

彼は、ある法話を担当する僧侶の一人として私達受講者を前にして話していた。

私は、法話が終了した後、彼の法話の内容について個人的に質問をするため、講師である彼を訪ねた。
ひょんなことから同じ大学の出身であることがわかり、さらに同じ教授の同じ講義を受けていたこともわかった。

あの時のあの彼だということがお互いにわかったのだった。

当時・・・
私は学部生、彼は大学院生だった。

ともに同じ講義を受講し、講義の終了後には教授にわからない箇所の質問をした。
教授とも顔なじみとなり、質問がある日もない日も、講義が終わったらその講義について話した。

質問までする学生はそう多くはない。

私と彼は、質問のたびに毎回顔を合わせるのであるから自然に顔見知りとなった。
そのような調子であるから、学年も学部も違う私達は、お互いによく知った仲となったのである。

あの時のあの彼だ!

久しぶりの再会にお互いに学生時代へ戻った。
懐かしかった。

彼は、その後、さらに勉強し、宗派の専門機関へと進学し、布教師になったとのことだった。
この本山での宿泊研修会には、布教師として招かれて来たのだそうだ。

彼が常に手にしている分厚い教学全集には、たくさんの付箋が付けられ、手あかで汚れていた。
勉強に勉強を重ねていることが一目でわかる。

私の質問にも、「ここにこのように書いてある。」とすぐに教学全集の頁(ページ)を開き、根拠を示して丁寧に解説してくれた。

さすがとしか言いようがない。

宗派の教学は完璧だ。

しかし、近況の話となった時、私は愕然とさせられたのだった。

聞けば、生活ができなくて困っているというのだ。
さらには、うつ病で通院しているのだという。

まさかと思った。

さっき、あんなに立派な法話をしていたじゃないか・・・内心、私はそう思った。


彼も私と同様、寺の出身ではない。
大学を卒業しても行き先がない。

卒業後は、寺の後継ぎの人達とは違い、いばらの道を歩むことになる。

彼が言うには、布教師となっても生活ができず、明日が不安でたまらないのだという・・・。


「実は、うつ病で病院に通っているんですよ。
生活ができなくて、明日が不安でたまらないんですよ。

今月は生きていると思う。
来月もたぶん何とか生き延びていると思う。

でも、再来月は生きているかどうかわからないんです。」


と、弱々しい声で私に語った。

立派な法話をしていた彼。
宗派の教学では、完璧にしっかりと解説もできる。
私の質問へも丁寧に根拠を示して答えてくれた。
宿泊研修会にお呼びがかかるのも納得の人物なのに。

それなのに心が病んでいるとは・・・。

一瞬、愕然としたのであったが、その反面、私もその気持ちは痛いほど理解ができた。
私に「愕然」とする資格などない。

私も彼も同じだからだ。

そうした私の苦悩は、前回までにブログの記事で紹介させていただいている通り、嫌というほど味わっている。

私も同じ苦悩の中にある。

彼は衣を着た僧侶で布教師、私は私服を着た普通の社会人。
その違いだけで、生活上の悩みや苦しみは彼も私も全く変わらない。

私も彼も同じだ。
苦悩は全く同じだ。

共感できるだけに返す言葉もなく、彼を励ましてあげることさえできなかった。

だが、“僧侶で布教師である彼”から聞いた言葉にはショックを受けたのも事実だ。

これでは本末転倒も甚だしいではないか・・・・・・そう感じた。


ある意味では、日本の寺の世界の現実を見せられた瞬間であったような気がする。

タイでは、仏教の勉強なり、瞑想の実践なり、志さえあれば誰でも自分が納得できるまで道を修めることができる。

自分が好きな寺へ行くことができる。
自分が尊敬する師のもとで学ぶことができる。

自分の道ではないと思えばいつでも辞めることができる。
この道をもっと歩みたいと思えばそのまま続ければよい。
一生続けることもできる。

一度出家をすれば、生活上のことは心配しなくてもよい。
最低限度の衣食住を保障してくれているのがタイの出家の世界である。

タイでは、比丘というのは仕事ではない。
出家という「生き方」なのである。

人生の中で、出家という時間を過ごすことができる。
出家という生き方を知ることができる。

仏教の価値観を学び、実践する「生き方」なのだ。


日本では、僧侶とは「僧侶」という仕事であり職業である。
仕事であるがゆえ、やりくりしていくことと直面することになる。

たとえ僧侶の世界であっても、お金を稼がなければならない。
明日の生活のことを常に考えなければならない。

僧侶であったとしても、私達と同様、食うことを考えなければならないのだ。


現実に遭遇する苦悩を仏法でもって乗り越えることは、果たしてできるのだろうか。
私は、できると思っている。

もし、できないのであれば仏教はすでに宗教として意味のない存在になり下がっているはずだと思う。

私もそうであったが(ブログ中の記事を参照)、心に余裕を持ち、冷静な姿勢でもって臨むことができなければ、こうした日常の苦悩の中へといとも簡単に飲み込まれていってしまうのではないだろうか。

自己の姿、心の本性、すなわち心の仕組みをしっかりと理解しておかなければならない。

真理を知らなければならない。


真理を知っていれば不安はなくなる。
真理を知らなければ不安になる。


今日もその彼が笑顔で仏法を伝えていることを願いたい。



(『僧侶という職業』)

4 件のコメント:

坐馳 さんのコメント...

ブログ主様の先輩のお話、大変考えさせられるものでした。

私は日本の仏教の僧侶は初期仏教やタイの仏教とは異なり、最初から出家などしておらず在家のままの僧侶なのだと考えています。

元々大乗仏教は在家からの働きで生じてきたものですし、その仏教が行き着くところまで行きついたのが今の日本の仏教なのだろうと思います。

そうしていきついたところが法を実践する生き方ではなく、一つの在家の渡世になってしまったのは皮肉なものだと感じています。

未来や過去を捨て、全てを捨てて今を生きるのが仏教の基本であり、出家の最初の一歩であるのに、今を見失ってしまうのはあるいは最初の一歩目から方向を間違えているのではないかと思います。

ブログ主様が僧侶という職業と書かれたそのことがすなわちその最初の一歩目、間違いの始まりでしょう。

在家の僧侶であれば、すなわち僧侶という職業というのであれば、出家ではありません。
日本では僧侶は世襲であり、最初から渡世が念頭にある以上、出家は無理というか、矛盾したものとなり、混乱するばかりでしょう。

ですが、在家のままの僧侶と考えるのであれば目指すものが変わってきます。

出家はすべてを捨てますが、在家は保ちつつ離れることが大事になります。

これを本文のお話に当てはめるなら、『2か月後に生きているかわからないことが不安だ』、と考えていくのではなく、『2か月後に生きているかわからないことは不安だが、その不安をそのままに生きていくのが仏道だ』、と不安をありのままに受け入れて生きていくことでしょう。

我々にあるそのような不安や不満はまさに一切皆苦の実生活上の体感ですし、それらの感情も無常そのもので、在家であっても仏教の根本法理はなんら変わることなく見つめることが出来るものです。

真理は我々が感じていようといまいとかわらないので当然ですが(笑)。

そのような在家の生き方をしていく点では、日本における我々在家と、日本の僧侶はなんらかわらず、ともに在家であり、ともに仏道を歩くもの、と思っていた方が無理がないと思います。

在家として在家に寄り添う仏道修行者、というあり方は極めて大乗的だとおもうのですがどうでしょうか。

日本の僧侶は『出家』から離れることが修行の第一歩なのかもしれませんね。

Ito Masakazu さんのコメント...

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。いつも心に響くコメントをいただき嬉しく思います。ありがとうございます。

全くおっしゃる通りですね。不安を不安としてありのままに受け入れる・・・まずは今の自分の立ち位置を知ってこそ次の正しい行動ができるというものです。私を含めて多くの人はその視点を見失っているのかもしれません。そのような生き方に努めることこそ仏教的生き方だと、いただいたコメントから改めて気づくことができました。

しかしながら、その世界の方には申し訳がないのですが、日本の僧侶の世界は甚だ疑問だらけだというのが私の所感です。大乗だからと言えば何でもいいのかと感じてしまいます。坐馳様の言われるあり方の方が矛盾なく腑に落ちます。
次回も日本の僧侶についての記事をアップ予定です。日本とタイとの対比から、自分の生き方を考え、探っていき、深めることができればと思っています。

ブッダはあまりに偉大すぎて難しいのであれば、せめて同じ日本に生きた各宗派の祖師方・高僧方の生き方を真似ようと努めるのが日本の僧侶なのでは?とも思うことがありますがいかがでしょうか。

さて、これもまたおっしゃる通り、真理(=仏法)というものは、私達が出家であろうと在家であろうと、誰がどこで何をしていようと、気づいていようがいまいが、変わることなく常にはたらいているものです。世界のルールと言いますか法則なのですから。

「あなたは自分のすぐ足元に、そしてすぐ隣に仏法があるのだということに気づけるようになりなさい。」というような旨の言葉を複数の師より助言いただいたことを懐かしく思い出します。

今後ともよろしくお願い致します。

座馳 さんのコメント...

「あなたは自分のすぐ足元に、そしてすぐ隣に仏法があるのだということに気づけるようになりなさい。」
素晴らしい言葉ですね。

今以外に仏法に気が付けるときはありませんから、仏法にいつでも気づけるように、しっかり淡々と今を生きていこうと思わせてくれる言葉です。

『ブッダはあまりに偉大すぎて難しいのであれば、せめて同じ日本に生きた各宗派の祖師方・高僧方の生き方を真似ようと努めるのが日本の僧侶なのでは?』

この高僧の『生き方』を真似るという時に、恐らく言葉が悪いですが猿真似というか、表面だけをなぞってしまう僧侶が多いのでしょうね。

お経をソラで暗証できるようにしたり、作法を完璧に覚えるというのは、祖師を真似ようと努めた結果でしょう。

そのこと自体はよいのですが、表面だけをなぞって満足してしまうという危険性がある。

むしろ、自らが祖師、高僧となりかわるというような『生き方』の真似が必要なのだと思います。

例えば、禅宗であれば座ることが仏であり、日蓮宗であれば題目を唱えることが日蓮であるとして題目を唱えることでしょう。

祖師、高僧の時代には初期仏教が入っていなかったのですから、祖師高僧であれば、初期仏教をどのように捉えたか、私は絶対祖師の方々は初期仏教を喜んで学んだと思います。

自らを祖師とする、自らを仏とする、それが真似るということでしょう。

ブログ主様の仰りたいこともそのようなことだったのではないかな、と思いました。

Ito Masakazu さんのコメント...

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。そして、コメントをいただきましてありがとうございます。貴重なコメント、本当にうれしく思います。

ある師から言われたその言葉は、簡単なようで私にとっては、非常に難しい言葉でもありました。「灯台もと暗し」とはよく言ったもので、まさにその通りです。言葉の意味するところはわかります。しかし、真っ暗で全くわからないのです。
今、ようやくここまで書けるくらいは理解ができ、少しづつ見えてきたように思いますが、これからも求め続けてゆくことだろうと思います。

「悟りを開く」と言いますが、「悟り」とは「開く」のではなく、「真理に沿って生きていくことができる」ことなのではないかな・・・と思うようになりました。

凡夫の私が感ずるところです。

今後ともよろしくお願い致します。