安居をともに過ごした後輩比丘が、とても尊敬する比丘がいるお寺があるから私を連れて行きたいと言ってきてくれた。
もちろん、私は彼からの申し出を快諾し、後輩比丘が尊敬をしているという比丘に会わせてもらった。
私は、簡単に自己紹介し、この安居が終わったら病気の父親がいるので、還俗して日本へ帰る決意をしているということと、一方で本当はもっとタイで比丘を続けたい思いがあるということを伝えた。
すると、その比丘は、
「そうか・・・。
還俗をして日本へ帰ったとしても、五戒を守って生活するように。
在家での生活は、手かせや足かせを増やすことになるのかもしれない。
でも、安心しろ。
五戒を守って生活することは、鎧(よろい)を着るようなもので、あなたをあらゆるものから守ってくれるはずだ。
還俗をしたとしても同じだ。
しっかりと覚えておくんだぞ。
忘れるんじゃないぞ。」
と、穏やかに私へ語りかけてくれた。
そして、歩いている姿のブッダ像をひとつ、私に手渡してくれたのであった。
「これを見たら、この言葉を思い出すんだぞ。」
と。
私に手渡してくれたブッダの遊行像
あの時のあの比丘の表情が目に浮かぶ。
今まで長い間しまい込んでいたが、いつでも見える所にあった方が良さそうだ。それでこそ、あの比丘の思いとこの言葉が生きてくる。
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大学で仏教を学んできた。
その後も数々の仏教書を読んできた。
ところが・・・
全く仏教というものがわからなかった。
そして、私は深い深い苦悩の中へと飲み込まれていった。
テーラワーダ仏教と出会い、タイで出家した。
還俗し、帰国した。
そう、挫折したのだ。
結果的に挫折してしまったタイでの出家であったが、たったひとつだけつかんだことがある。
それは、「これが仏教なのだ」と納得できたことだ。
私は、これで本当に大学を卒業することができたんだ・・・と、この時、初めて思うことができた。
それまでは、卒業したとは言えないほど仏教がさっぱりわからなかったのだ。
ところが、帰国後、見事に「迷走」してしまった。
やはり、まだ頭の中だけでしかわかっていなかったということなのだろうか。
煩悩の国、日本・・・。
煩悩の中で人生の歩き方が全くわからなくなった。
どうして私は、日本で「迷走」してしまったのだろうか。
どうして私は、苦悩に飲み込まれてしまったのだろうか。
「迷走」の渦中にあったまさにその時、あの時あの比丘から言われたこの言葉を思い出すことができたであろうか。
・・・忘れるんじゃないぞ・・・
そのように言われたとおり、五戒を守ろうとしていたであろうか。
少しでも瞑想していたであろうか。
答えは、否だ。
覚えてもいなかった・・・。
人ごみの中を歩く。
たくさんの人々の、たくさんの思惑が蠢く。
私はどう生きる?
トラブルに巻き込まれない生き方とは、一体どのような生き方なのだろうか・・・。
心穏やかな生き方とは、一体どのような生き方なのだろうか・・・。
東京・新宿の都庁付近にて撮影
田舎育ちの私は、東京の背の高いビル群と人の多さに圧倒されてしまう。
煩悩に囲まれた中で、一体私はどのように生きていけばよいのだろうか。
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それは、「五戒」を守ることを”心がけながら”生きるということなのではないか。
仏教に生きる者として不謹慎なのかもしれないが、たとえ守りきれなくとも構わないと思う。
まずは、心がけるだけでよいと私は思う。
意識するだけであっても、不思議と身が整ってくるのではないか・・・そのように感じるのだ。
出家生活の最後に貰ったこの言葉。
もう少し早く思い出すことができればよかった。
そうすれば、もしかすると「迷走」することはなかったのかもしれない。
今ももちろん悩むこともある。
苦しいこともある。
怒りに襲われることもあるし、落ち込むこともある。
どうしようもなく苦しくて、苦しくて・・・仕方のない時もある。
だが、以前とは少し違う。
どこか安心感のある、妙に落ち着いた感覚があるのだ。
それがあの時、あの比丘から貰った言葉の意味するところなのだろうか・・・。
すっかりと忘れてしまっていたこの言葉。
五戒を完璧に守り通すことなど不可能なのかも知れない。
それどころか、私はそれほど清浄な生活などしてはいない。
・・・けれども、守ろうとする姿勢だけは常に持っておきたいと思う。
五戒を守って生活をする。
それが、煩悩の国の歩き方だ。
(『煩悩の国の歩き方』)
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