目標や目的のない人生を生きることが果たしてできるのだろうか。
帰国後、私がタイの出家生活との激しい落差を感じ、大きく崩れ、全てを見失ってしまったのは、新たなる目標を見つけ出すことができなかったことが大きかったと思っている。
何かを支えにして生きているのが人間。
何かを支えにして立っているのが人間。
ものごとに意味を与え、意義を与える。
そうしなければ生きてはいけないのが人間だ。
・・・そうではないだろうか。
ところが、目標にしても、目的にしても、意義にしても、実はそれらは自己が作りあげた単なる妄想でしかない。
単なる思い込みでしかない。
全ては自己の感情が作り出す産物なのである。
妄想を妄想であると見抜き、真の苦しみの正体を見極め、滅する。
そして、より善き人生を生きる・・・それが仏教であった。
妄想を妄想であると見抜き、真の苦しみの正体を見極めるためのトレーニング。
そのトレーニングこそが「瞑想」であった。
本来であれば、どこまでも冷徹に自己を観察し、どこまでも客観的に自己を観なければならないのだ。
そうして自己を培いながら、冷静な判断と最善の選択をしてゆくことで、より善き人生を築いていくことができるのだ。
こうした「人間の本性」や「心の本性」というものは、大学で知り、タイで学んでいたはずであった。
帰国後間もない当時の私であっても、おぼろげながら理解をしていたはずである。
・・・そう、理解をしていた“はず”であった。
還俗後の実生活はどうであっただろう。
そうしたことを見抜きながら生きることができていただろうか?
それは、日本へ帰国してから嫌というほど見せつけられた。
生きる意味すらわからない・・・
そんな余裕のない私に真の苦しみの正体など見抜けようはずもなかった。
“生きる意味”でさえも、所詮は自己が勝手に与えた価値観に過ぎない。
ところが、その“生きる意味”がわからねば人は立っていることすらできないのだ。
私は、立っていることができなかった。
ただ辛く、地面をのたうちまわった。
結果・・・実に紆余曲折を経験することになった。
なかでも、生活の基盤となる仕事(≒お金)では、特に苦労をすることとなった。
転職を繰り返し、職を転々とした。
転職を重ねれば重ねるほど労働条件は悪くなっていった。
今で言いうところの“ブラック企業”に何度か就職したこともある。
気がつけば、堂々と組織ぐるみで法令違反をしていた会社で働いていた。
法令違反をしているらしいと社内でささやかれるようになり、ひとり、またひとりと会社を去っていった。
やがて私も、その会社を去らねばならない状況となり、その会社を去った。
その後、その会社は新聞に取り沙汰され、行政処分を受けた。
数十人単位での集団離職が起きた会社で働いたこともあった。
しかも、複数回そうした事態が起こった。
職場から数十人単位で人がいなくなっていくと業務にならなくなる。
なかば巻き込まれる形で、私も何度目かの集団離職をした一員として退職した。
さまざまな職場を経験したが、数十人単位での集団離職などそうそう起きるものではない。
ヤクザまがいの会社で働いたこともあった。
不幸中の幸いで、私に直接被害が及ぶことは少なかった。
激しく怒鳴りつけられ、暴力をふるわれる同僚をみて震えあがった。
何かあるたびに事務所に呼び出され、ガラス製の灰皿を投げつけられた。
意義を申し立てれば、即刻クビにされ、次の日には姿がなくなる。
恐怖におびえながら勤務し、やっとの思いで退職し、会社と縁が切れた事に安堵したことを鮮明に記憶している。
体調を崩し、40度近くの熱があっても仕事を休ませてもらえなかった会社もあった。
休ませてもらいたい旨を伝えると、「欠勤することは許さない。いつも通りに出勤しろ。」と、冷たく対応された。
果たしてこの会社は、私の身体をどのように思っているのだろうか。
さすがにこの時ばかりは、会社に殺されると本気で思った。
だが、会社を辞めれば収入がなくなってしまう。
生活ができなくなる。
迷った・・・。
しかし、命あっての労働だ。
身体が健康でなければ働くことすらできない。
退職した。
ついに無職となってしまった。
振り返ってみれば、不思議な出来事ばかりに遭遇してきたものだ。
思わず自分自身に失笑してしまう。
世間では、「正社員を一度辞めると、再び正社員に戻る事は困難だ」などと言われているが、あながち間違いではないと感じた。
資格もない、職務経験もない。
賃金も下がる。
採用されない。
悪循環だ。
何ヵ月間も無職で、なにをするということもない日々を過ごした。
先の見えない無職の生活は、まさに恐怖だ。
どこか自分の存在を完全に否定された感すらある。
精神的にも辛かった。
社会から必要のない人間だと烙印を押されたかのように・・・。
なにをしたいというわけでもない。
どこへ行きたいというわけでもない。
動けば動くほど転落していく自分の姿が情けなかった。
だが、生きねばならない。
働かねばならない。
お金を稼がなければならない。
働かなければ、生きていけない。
堂々と街を歩くこともできない。
人間だと胸を張って生きることもできない。
しかし、もう自分にはその自信もなければ、生きる勇気も、気力もない。
目の前に広がる恐ろしき暗闇の前にただただ立ちつくすことしかできなかった。
泥沼の人生・・・そんな文字が頭に浮かんだ。
もがけばもがくほど沈んでいく。
それはまるで暴れれば暴れるほど引きずり込まれる“アリ地獄”だった。
明日はどうしようか。
明日は何をしようか。
私はこの先、一体どうなってしまうのだろうか・・・ただただ恐ろしかった。
嗚呼・・・
こんな状況の私に冷静な判断などできようはずがない。
安らかなる心。
穏やかなる心。
瞑想している時の心。
こういう時こそ冷静な判断ができねばならない。
穏やかな心を保つことができてこそ仏教の実践ではないか。
追いつめられた時こそ、その人の本性が現れる。
本当の自己の姿がわかるのだ。
崖っぷちを崖っぷちだと思わずに堂々と歩けてこそ本物の仏教的生き方をしている人間だ。
全くできていないではないか!
タイでの出家は何だったのか。
懸命に励んだ瞑想は何だったのか。
全く元の木阿弥ではないか。
全て無意味だったではないか。
俺は一体何だったのか・・・
こんな情けない姿の自分を見せることに少し躊躇したが、出家前にお世話になった“ある師”を訪ねた。
師は、若かりし頃・・・おそらく3、40年前のことであろうか・・・私と同じくタイで出家し、さらにスリランカへ渡り修行に励まれた経験のある方である。
私のタイでの出家を応援し、背中を押してくれた唯一の人だ。
私にとって唯ひとりの理解者であると言ってもいい。
その師に近況と心の内を打ち明けた。
今の心境を素直に伝えた。
師は、穏やかにゆっくりと微笑んで、全てを見通したかのような表情で私にこのように言った。
「どうも出家をしてきた人の言葉とは思えないなあ。
一度は出家を志したのでしょう。
あなたは、全てを捨てたいと思った。
そして、全てを捨ててタイで出家を果たしてきた。
それならば、何も恐れるものなどないでしょう。
そのためにタイへ行ったのではなかったのですか?」
と。
師は、そのまま優しく微笑しながら、しばらく私を見つめていた。
私がタイへ渡ったのは25歳の時であった。
日本へ帰国し、再び働き始めたのが29歳の時だった。
帰国して周囲を見渡してみれば、みんなの生活はどうだっただろうか?
マイホームを持っている。
マイカーを持っている。
明るい家庭を持っている。
仕事では、チームリーダー、主任、係長、課長・・・
会社経営者までいる。
みんなそれなりの社会的地位があるではないか。
バリバリと働いているではないか・・・。
私はどうか?
何もない・・・。
師からの言葉には「はっ」とさせられた。
頭からいきなり冷たい水を思いっきり浴びせられたかのような気持ちだった。
この師からの言葉は、その後、何度も反芻(はんすう)した。
繰り返し繰り返し私の心の中に響いた。
はじめは「情けない」気持ちしかなかった。
その通りだった・・・「出家を志した者の言葉ではない。」
自分でもわかるほどの核心をついている言葉だ。
しかし、少しづつ心が落ち着き、少しづつ変化してきた。
私が惹かれた世界は、そうした世界ではなかったはずだ。
そう考えた時、私は思った。
全ては、私自身の“心”が生み出した結果に過ぎなかったのではないかと。
今までに出会った出来事、遭遇した体験・・・自分自身に失笑してしまうほどの出来事。
これらはみな、私自身が自己を見失った、苦しみ、迷っている“心”が生み出した当然の結果なのではないかと。
そのことを「体得」するために、そのことを十分に理解をして身につけるために、遠くタイの寺で出家をしてきたのではなかったか。
師の私への言葉と微笑。
そうだった・・・
そうだった!
タイで学んだこと・・・
それは、言葉で他人に伝えられるものではない。
なぜならそれらは形があるものではないからだ。
自分の中でさえもまだはっきりとしてはいない。
やがては、自分の中で昇華されてゆくものであると表現したらよいのだろうか。
現在・・・このブログの記事を書いている今。
今もなお、それらは昇華されてはいない。
しかし、昇華されつつあると思っている。
そして、おそらくはこの先、昇華されるであろうという確信がある。
やっとここまで来ることができたということなのであろうか。
恥ずかしながら。
今までの体験を振り返り、「心の本性」というものに照らし合わせてみた時・・・
次に摂るべき行動がわかる。
これまでの奇怪な出来事の数々は、そうした心の本性を“体得”することを求めた結果なのであろうか。
あるいは、奇怪な出来事を通して学ぶことができたということなのであろうか。
「理」を知っておくことの大切さを学んだように思う。
タイで学んだことなど無意味だった。
全てが中途半端だった。
何も得られなかった。
結局は元の木阿弥であったし、無意味であったのかもしれないけれども、もしかすると意味があったのかもしれないと思うようになった。
タイでの経験はしっかりと私の中にある。
今の私は、過去の私の考えの結果である
未来の自分の姿を知りたければ、今の自分の姿を見よ
(『生きねばならぬ3 ~無意味の意味~』)
何かを支えにして生きているのが人間。
何かを支えにして立っているのが人間。
ものごとに意味を与え、意義を与える。
そうしなければ生きてはいけないのが人間だ。
・・・そうではないだろうか。
ところが、目標にしても、目的にしても、意義にしても、実はそれらは自己が作りあげた単なる妄想でしかない。
単なる思い込みでしかない。
全ては自己の感情が作り出す産物なのである。
妄想を妄想であると見抜き、真の苦しみの正体を見極め、滅する。
そして、より善き人生を生きる・・・それが仏教であった。
妄想を妄想であると見抜き、真の苦しみの正体を見極めるためのトレーニング。
そのトレーニングこそが「瞑想」であった。
本来であれば、どこまでも冷徹に自己を観察し、どこまでも客観的に自己を観なければならないのだ。
そうして自己を培いながら、冷静な判断と最善の選択をしてゆくことで、より善き人生を築いていくことができるのだ。
こうした「人間の本性」や「心の本性」というものは、大学で知り、タイで学んでいたはずであった。
帰国後間もない当時の私であっても、おぼろげながら理解をしていたはずである。
・・・そう、理解をしていた“はず”であった。
還俗後の実生活はどうであっただろう。
そうしたことを見抜きながら生きることができていただろうか?
それは、日本へ帰国してから嫌というほど見せつけられた。
生きる意味すらわからない・・・
そんな余裕のない私に真の苦しみの正体など見抜けようはずもなかった。
“生きる意味”でさえも、所詮は自己が勝手に与えた価値観に過ぎない。
ところが、その“生きる意味”がわからねば人は立っていることすらできないのだ。
私は、立っていることができなかった。
ただ辛く、地面をのたうちまわった。
結果・・・実に紆余曲折を経験することになった。
なかでも、生活の基盤となる仕事(≒お金)では、特に苦労をすることとなった。
転職を繰り返し、職を転々とした。
転職を重ねれば重ねるほど労働条件は悪くなっていった。
今で言いうところの“ブラック企業”に何度か就職したこともある。
気がつけば、堂々と組織ぐるみで法令違反をしていた会社で働いていた。
法令違反をしているらしいと社内でささやかれるようになり、ひとり、またひとりと会社を去っていった。
やがて私も、その会社を去らねばならない状況となり、その会社を去った。
その後、その会社は新聞に取り沙汰され、行政処分を受けた。
数十人単位での集団離職が起きた会社で働いたこともあった。
しかも、複数回そうした事態が起こった。
職場から数十人単位で人がいなくなっていくと業務にならなくなる。
なかば巻き込まれる形で、私も何度目かの集団離職をした一員として退職した。
さまざまな職場を経験したが、数十人単位での集団離職などそうそう起きるものではない。
ヤクザまがいの会社で働いたこともあった。
不幸中の幸いで、私に直接被害が及ぶことは少なかった。
激しく怒鳴りつけられ、暴力をふるわれる同僚をみて震えあがった。
何かあるたびに事務所に呼び出され、ガラス製の灰皿を投げつけられた。
意義を申し立てれば、即刻クビにされ、次の日には姿がなくなる。
恐怖におびえながら勤務し、やっとの思いで退職し、会社と縁が切れた事に安堵したことを鮮明に記憶している。
体調を崩し、40度近くの熱があっても仕事を休ませてもらえなかった会社もあった。
休ませてもらいたい旨を伝えると、「欠勤することは許さない。いつも通りに出勤しろ。」と、冷たく対応された。
果たしてこの会社は、私の身体をどのように思っているのだろうか。
さすがにこの時ばかりは、会社に殺されると本気で思った。
だが、会社を辞めれば収入がなくなってしまう。
生活ができなくなる。
迷った・・・。
しかし、命あっての労働だ。
身体が健康でなければ働くことすらできない。
退職した。
ついに無職となってしまった。
振り返ってみれば、不思議な出来事ばかりに遭遇してきたものだ。
思わず自分自身に失笑してしまう。
世間では、「正社員を一度辞めると、再び正社員に戻る事は困難だ」などと言われているが、あながち間違いではないと感じた。
資格もない、職務経験もない。
賃金も下がる。
採用されない。
悪循環だ。
何ヵ月間も無職で、なにをするということもない日々を過ごした。
先の見えない無職の生活は、まさに恐怖だ。
どこか自分の存在を完全に否定された感すらある。
精神的にも辛かった。
社会から必要のない人間だと烙印を押されたかのように・・・。
なにをしたいというわけでもない。
どこへ行きたいというわけでもない。
動けば動くほど転落していく自分の姿が情けなかった。
だが、生きねばならない。
働かねばならない。
お金を稼がなければならない。
働かなければ、生きていけない。
堂々と街を歩くこともできない。
人間だと胸を張って生きることもできない。
しかし、もう自分にはその自信もなければ、生きる勇気も、気力もない。
目の前に広がる恐ろしき暗闇の前にただただ立ちつくすことしかできなかった。
泥沼の人生・・・そんな文字が頭に浮かんだ。
もがけばもがくほど沈んでいく。
それはまるで暴れれば暴れるほど引きずり込まれる“アリ地獄”だった。
明日はどうしようか。
明日は何をしようか。
私はこの先、一体どうなってしまうのだろうか・・・ただただ恐ろしかった。
嗚呼・・・
こんな状況の私に冷静な判断などできようはずがない。
安らかなる心。
穏やかなる心。
瞑想している時の心。
こういう時こそ冷静な判断ができねばならない。
穏やかな心を保つことができてこそ仏教の実践ではないか。
追いつめられた時こそ、その人の本性が現れる。
本当の自己の姿がわかるのだ。
崖っぷちを崖っぷちだと思わずに堂々と歩けてこそ本物の仏教的生き方をしている人間だ。
全くできていないではないか!
タイでの出家は何だったのか。
懸命に励んだ瞑想は何だったのか。
全く元の木阿弥ではないか。
全て無意味だったではないか。
俺は一体何だったのか・・・
こんな情けない姿の自分を見せることに少し躊躇したが、出家前にお世話になった“ある師”を訪ねた。
師は、若かりし頃・・・おそらく3、40年前のことであろうか・・・私と同じくタイで出家し、さらにスリランカへ渡り修行に励まれた経験のある方である。
私のタイでの出家を応援し、背中を押してくれた唯一の人だ。
私にとって唯ひとりの理解者であると言ってもいい。
その師に近況と心の内を打ち明けた。
今の心境を素直に伝えた。
師は、穏やかにゆっくりと微笑んで、全てを見通したかのような表情で私にこのように言った。
「どうも出家をしてきた人の言葉とは思えないなあ。
一度は出家を志したのでしょう。
あなたは、全てを捨てたいと思った。
そして、全てを捨ててタイで出家を果たしてきた。
それならば、何も恐れるものなどないでしょう。
そのためにタイへ行ったのではなかったのですか?」
と。
師は、そのまま優しく微笑しながら、しばらく私を見つめていた。
私がタイへ渡ったのは25歳の時であった。
日本へ帰国し、再び働き始めたのが29歳の時だった。
帰国して周囲を見渡してみれば、みんなの生活はどうだっただろうか?
マイホームを持っている。
マイカーを持っている。
明るい家庭を持っている。
仕事では、チームリーダー、主任、係長、課長・・・
会社経営者までいる。
みんなそれなりの社会的地位があるではないか。
バリバリと働いているではないか・・・。
私はどうか?
何もない・・・。
師からの言葉には「はっ」とさせられた。
頭からいきなり冷たい水を思いっきり浴びせられたかのような気持ちだった。
この師からの言葉は、その後、何度も反芻(はんすう)した。
繰り返し繰り返し私の心の中に響いた。
はじめは「情けない」気持ちしかなかった。
その通りだった・・・「出家を志した者の言葉ではない。」
自分でもわかるほどの核心をついている言葉だ。
しかし、少しづつ心が落ち着き、少しづつ変化してきた。
私が惹かれた世界は、そうした世界ではなかったはずだ。
そう考えた時、私は思った。
全ては、私自身の“心”が生み出した結果に過ぎなかったのではないかと。
今までに出会った出来事、遭遇した体験・・・自分自身に失笑してしまうほどの出来事。
これらはみな、私自身が自己を見失った、苦しみ、迷っている“心”が生み出した当然の結果なのではないかと。
そのことを「体得」するために、そのことを十分に理解をして身につけるために、遠くタイの寺で出家をしてきたのではなかったか。
師の私への言葉と微笑。
そうだった・・・
そうだった!
タイで学んだこと・・・
それは、言葉で他人に伝えられるものではない。
なぜならそれらは形があるものではないからだ。
自分の中でさえもまだはっきりとしてはいない。
やがては、自分の中で昇華されてゆくものであると表現したらよいのだろうか。
現在・・・このブログの記事を書いている今。
今もなお、それらは昇華されてはいない。
しかし、昇華されつつあると思っている。
そして、おそらくはこの先、昇華されるであろうという確信がある。
やっとここまで来ることができたということなのであろうか。
恥ずかしながら。
今までの体験を振り返り、「心の本性」というものに照らし合わせてみた時・・・
次に摂るべき行動がわかる。
これまでの奇怪な出来事の数々は、そうした心の本性を“体得”することを求めた結果なのであろうか。
あるいは、奇怪な出来事を通して学ぶことができたということなのであろうか。
「理」を知っておくことの大切さを学んだように思う。
タイで学んだことなど無意味だった。
全てが中途半端だった。
何も得られなかった。
結局は元の木阿弥であったし、無意味であったのかもしれないけれども、もしかすると意味があったのかもしれないと思うようになった。
タイでの経験はしっかりと私の中にある。
今の私は、過去の私の考えの結果である
未来の自分の姿を知りたければ、今の自分の姿を見よ
(『生きねばならぬ3 ~無意味の意味~』)
2 件のコメント:
実に様々な経験をされてきましたね。
今は縁が熟してきているのですから、釈迦に説法になりますが、無意味なことなどないのでしょう。
全てが業となり、縁を熟していき(どんな縁になるかはその行為によるでしょうけれど)、変化していきます。
私はかつて司法試験を失敗しましたが、その経験を経て仏教との縁が熟してまいりました。
弁護士になるという点では無意味な時間となりますが、そのお蔭で今があります。
まさにブログ主様と一緒ですね(微笑)。
『良い』も『悪い』も『意味がある』も『意味がない』もなく、無常があるだけだと私は感じています。
無常というのは奥深いですよね。世間では無常というと方丈記のような悲哀の意味合いとなりますがとんでもないことで、それだけでは極めて狭い偏った捉え方です。
無常とは真理であり、世界そのものです。
これからもよい縁が熟していくように精進していきたいな、と思っています。
それでは失礼します。
ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
「無常」とは、もはや悲哀や哀愁を表現する文学的表現でしかないように感じます。そもそも、無常という仏教用語を正しく知っている人は、はたしてどのくらいいるのでしょうか。
確かにその文学的表現の無常も「無常」の一面を表現していますが、悪い時が無常ならば、良い時も無常なのですよね。
文学的表現になってしまっているのは、すでに実生活と“言葉”が離れてしまっているからでしょう。
しかし、それは世間を貫く「真理」なのですよね。
さて、私は今までに「人生には点と点が線でつながる時がある」ということを時々耳にしたことがあります。全くその意味するところが理解できずにいましたが、最近になってようやく点が線でつながるようになってきたように思います。
あの時のあの体験は、こういうことだったのか、あの時のこれは、この言葉そのままのことではないか・・・などなど。
今は、もしかすると過去に学んだことや諸師・諸先輩方からいただいた言葉の確認作業なのかもしれないなと、そう思います。
真理に逆らわず、真理に沿って、より善く生きていきたいものですね。
私も気楽に、そして気軽に、精進していこうと思っております。
今後ともよろしくお願い致します。
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