タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2012/07/03

タイのお坊さんは数珠を持たない


お坊さんといえば数珠、数珠といえば仏教・・・このように連想されるほど、数珠は日本ではなじみの存在だ。

おそらくは、大部分の日本人が数珠を持っているのではないだろうか?

たとえ信ずる宗教が仏教ではなくとも、また宗教は信じていないという人であっても、各家庭にひとつはあるのではないだろうか?


日本では、お葬式や法事の時には必ず手にする。

また、僧侶であれば法要などの儀式の時には手にしていなければならないもののひとつでもある。

仏教の儀式には必須のもの・・・それが数珠である。


しかし、タイの僧は数珠は持たない。

タイの在家の人々も数珠は持たない。

タイの仏教では、数珠はなく、必要としないのが基本である。


ところが、タイに数珠が存在しないのかと言えばそうではなく、タイにも数珠が存在する。

バンコク周辺のタイ中央部では、おおむね数珠を見かけることはないが、チェンマイなどのタイ北部などへ行くとたまに数珠を目にすることができる。


では、タイでは数珠とは何をするためのものなのだろうか?

それは、瞑想の「小道具」である。



例えば、瞑想時に呼吸を数えたり、「プットー」という言葉を用いて数珠を繰ったりしながら、集中の手助けとする。

数珠を繰ることで、心が散漫になり、集中しづらい時や暴れまわる心を静める手助けとするための道具なのである。

一応、玉は108あるが、「瞑想のための小道具」、それ以上の意味はない。



数珠を使った瞑想の方法は、別のページで紹介しているので参照されたい。

『アーナパーナサティ』の頁を参照
http://tekutekubukkyou.blogspot.jp/2010/05/blog-post_17.html



ちなみにチベット仏教では、マントラや五体倒地の回数を数えるための「カウンター」として使用するという。もちろん、現在でもそのように使われているという。

日本においても、この意味合いが濃い。


タイへは、いつ頃、どのようにして数珠が伝わったのか、いつ頃からこのような使われ方をされてきたのか・・・詳しい歴史のことはわからない。


単なる瞑想の小道具。

あってもなくてもよいもの。


数珠というものに、これ以上の意味を特に追わないところがいかにも上座仏教の国・タイらしいと感じた。



(『タイのお坊さんは数珠を持たない』)



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3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

以前メールで質問させて頂きましたがメールは削除してください。代わりにこちらのコメント欄で質問させて頂いてよろしいでしょうか。
①タイで一時出家ではなく永久出家するには、そのお寺の御坊様と仲良くなったりするなど、人間関係が一番大きなポイントですか?

②森林僧院でお風呂は毎日入れますか?シャワーのみですか?お湯は出ますか?水のみで結構冷たいですか?それともシャワーなしでバケツに水を汲みタオルでふく程度ですか?入浴時間は何分と制限がありますか?

③一時出家でも現在結婚していたら離婚しないといけないですか?

④日本人僧がいるお寺で出家すべきですか?

匿名 さんのコメント...

追加
⑤タイで永久出家するには最低英語の勉強が必要ですか?英検何級以上ですか?
タイ語の勉強も必ず必要になりますか?それとも英語のみで生きていけますか?

⑥やはり一時出家は比較的簡単で、永久出家は本当に困難な狭き門ですか?

Ito Masakazu さんのコメント...

匿名様 いつもコメントをいただきましてありがとうございます。

私も同様にいくつか疑問を抱いていたこともあり、とても親近感を覚えます。ひとつひとつに回答させていただきたいと思っております。しかし、長文になってしまいますのでメールにて回答をさせていただきたいと思います。
その旨ご了承ください。

今後ともよろしくお願いいたします。