タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2013/10/20

女性と仏教

著名な修行寺や森の寺などでは、あちらこちらで白い服を着た女性達をよく見かけることがある。

境内を掃除する白服の女性。
厨房で忙しそうに働く白服の女性。
静かにお堂の中で瞑想する白服の女性。

白い服を着た女性・・・それは、篤き信仰をもつ女性信者達だ。


実は、女性に限らず、白い服を着用していることは『在家者』であることを示す。

ゆえにタイでは、在家の者は男であっても女であっても白い服を着用して寺に出かけ、布施をし、瞑想に励む。

白い服とは、いわば在家者の正装であり、象徴なのである。

出家の儀式の際にも、出家をする者は、正装として白い服を着用して儀式に臨み、比丘となる。
儀式の中で、在家者である白い服装から、出家者である黄衣へと服装を変える。


寺に来る在家の信者達をよく見ると、男性よりも女性が圧倒的に多い。
寺へやって来る人達の半数以上が女性達だ。

一般的に女性のほうが信心深いということなのであろうか。

タイの男性は、誰もが一生に一度は出家を経験する。

男性にとっての出家は、何よりも親孝行な行いであるとされ、何よりも徳の高い行いであるとされている。
男達は、そのために出家をする。

また、周囲の者達もそれを期待し、さらにその徳を受け取る。

しかし、女性にはその機会がなく、はじめから出家することができない。

そういったことも加わってか、女性のほうが信心深いということなのであろうか。


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それゆえに女性達は、寺に布施をしたり、托鉢をする比丘達に食物の布施をしたりして徳を積む。
あるいは、寺に足を運び、寺の行事に参加をしたり、そのお手伝いをしたりする。
もちろん瞑想をすることも徳を積む行為であり、尊敬される徳行として進んで実践する。

そういった徳の積み方が女性の徳の積み方でなのである。

つまり、寺や比丘をはじめ、僧伽(サンガ)に貢献すること全てが女性にとって最も徳を積むことのできる行為であるとされており、最上の喜びなのである。

出家をすることのできない女性にとって、自分の子どもを出家させることが最高の徳とされる由縁でもある。


その昔、タイでは、ビルマやラオス、カンボジアなどの周辺国との戦いが絶えなかったという。
男達は兵士として戦いに行くために家を出て、また一方で、出家を果たすために家を出る。
男達がいなくなった家庭と生活を守ってゆくのは必然的に女性達が中心となったらしい。

にぎやかな活気あふれるタイの市場を見渡すと女性が多いことに気がつく。
客に声をかける女性、値段の交渉をしている女性、重い荷物を平気で持ち上げる女性。
タイの女性達は実に働き者である。
タイでは、男性よりも女性のほうが働き者であるとも聞く。

もしかすると、現在にもそういった歴史の影響があるのかもしれない。

縁の下の力持ちの存在はやはり女性達なのだ。


近年、タイでは瞑想が一種のブームとなっており、女性達の活躍も注目されている。

お布施や寺への貢献にとどまらず、自ら瞑想に励み、仏法を身につけようと自ら学び、実践するために寺へ通う多くの女性達がいる。
寺に住み込んだり、集中的に修行に励もうとする女性達も多い。

なかには、メーチーとなって剃髪する女性もいる。


生活を支え、守ってきた女性達だからこそ、人生の酸いも甘いも、知り尽くしているのかもしれない。

男とは異なる、男にはわからない人生を知っているのかもしれない。

だからこそ、女性たちの篤き祈りがあるのかもしれない。

そして、篤き祈りが自己の探求へとつながっているのかもしれない。

そんな強き女性達だからこそ、男性よりも癒しと、安らぎを求めるのだろうか。

それは、答えを出せる問いではない。


静かな環境と穏やかな心、自己の探求と真理の探求は、もしかすると男女問わず誰もがもつ自然な欲求なのかもしれない。



(『女性と仏教』)

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

アジャン・チャー系列のお寺は呼吸瞑想を基本に活動されてるとお聞きしました。アジャン・チャー系列のお寺では呼吸瞑想の時、言葉のラベリングを使用されますか?それともラベリングなしで鼻先の呼吸の出入りの感覚に気づくだけですか?

Ito Masakazu さんのコメント...

ブログをお読みいただきましてありがとうございます。また、コメントをいただきましてありがとうございます。

言葉によるラベリングは一切行いません。ただただ、呼吸をしていることに意識を集中し、妄想や考えごとなどが浮かんだ時には、追いかけたりせず、すぐに呼吸へ意識を戻すよう指導されます。この訓練が瞑想の導入となります。

今後ともよろしくお願いいたします。

匿名 さんのコメント...

ラベリングが必要なマハーシ系の瞑想方法と少し違うという点が分かりどうもありがとうございました。