自業自得という日本語がある。
どちらかと言うと悪い意味で使用されるこの言葉。
これは紛れもなく仏教を起源とする言葉である。
「自業自得」とは、いわゆる「自己責任」ということだ。
自業自得は、なにも悪い結果を招いた時のことばかりを言うのではない。
善き結果を生んだ時もやはり自業自得なのだ。
よく耳にするタイ語に「タムディー・ダイディー」という言葉がある。
「よいことをすると、よいことが得られる」
といった意味合いの言葉で、タイ人の根底にある価値観のひとつだ。
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仏教における「業」の考え方は、いいことも、悪いことも、自分の選択や行為、行動の上にあるということを教えるもので、どんな結果であったとしても、最終的には自己が招いた結果なのであるということだ。
全ての結果は、甘んじて受け入れなければならない。
それゆえ、瞬間瞬間の一つ一つの行為・行動が重要となってくるのである。
タイの仏教に関する儀式の中で、唱和されるものに『五戒』がある。
ほとんどのタイ人はこの文言を諳(そら)んじている。
生き物を殺さない
盗みを行わない
よこしまな性関係をもたない
嘘をつかない
飲酒をしない
これらは、人間の一つ一つの行為・行動の戒めであり、努力目標であり、指針である。
ゆえに何度も何度も戒を受け、口に出し、心に刻む。
最低限、この五つの条項を守って生きてゆけば、人生を大きく踏み外すことはないのではないか。
仏教は、徹底した自己責任の立場をとる。
自己の行為は誰も代ってくれるものではないし、背負ってくれるものでもない。
自己の幸せも自己にしかわからない。
自己の気持ちは他人にはわからない。
また、自己が他人に介入することもできない。
自己の一つ一つの行為・行動が大切であるということを常に心に留めておかなければならない。
自己の一つ一つの行為・行動が自己を方向づけるのだということを常に心に留めておかなければならない。
そして、もちろんそのように行動しなければならない。
今、この瞬間の選択とその行動が大切であり、これから踏み出すであろう一歩こそが大切なのだ。
この一歩が覚悟を持たねばならない一歩かと思うとどこか怖くもある。
しかし、自己を変えるべき一歩であることを思えば希望の一歩でもある。
『自己責任』
これが仏教の基本的姿勢であり、もっとも心しておかなければならない仏教の生き方である。
(『仏教の基本的姿勢3・自己責任』)
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