いや、みせつけられたのだ。
サーマネーンは出家者といえども、比丘に対しては礼拝をしなければならない。
また、比丘とは席をともにすることもできない。
私の心の中によぎる・・・どうして比丘として出家できなかったのかと。
比丘として出家をするためにタイへ来たのではなかったのかと。
悔しさと怒りがこみ上げてきた。
悔しさと怒りがこみ上げてきた。
上手くいかなかったことへの恨みの気持ちもあった。
しかし、身にまとう法衣の力であろうか。
比丘に対して礼拝しなければならないとは、自分に対して礼拝もらいたいということか?
しかし、身にまとう法衣の力であろうか。
比丘に対して礼拝しなければならないとは、自分に対して礼拝もらいたいということか?
いつしか「比丘として出家すること」だけが目的になってはいないか?
法衣は自己を見つめさせてくれた。
法衣は自己を見つめさせてくれた。
悔しさと怒りと恨みの気持ちの向こう側を見せてくれた。
よくよく自己を省みてみると、学びに来たのは仏教であり、瞑想である。
よくよく自己を省みてみると、学びに来たのは仏教であり、瞑想である。
そして、仏教の生き方である。
見せつけられた自己の姿とは、紛れもない傲慢(ごうまん)な自分であり、怒りの姿であった。
自己の慢心を満たすためにタイへ来たのではない。
見せつけられた自己の姿とは、紛れもない傲慢(ごうまん)な自分であり、怒りの姿であった。
自己の慢心を満たすためにタイへ来たのではない。
むしろ、その心の塵をなくしてゆこうとする生き方を学ぶためにタイへ来たのだ。
心穏やかな生き方を求めてタイへ来たのではなかったか。
少しづつ悔しさと怒りと恨みの気持ちは、小さくなっていった。
タイでは、多くのサーマネーン達がいる。
少しづつ悔しさと怒りと恨みの気持ちは、小さくなっていった。
タイでは、多くのサーマネーン達がいる。
そして、寺で生活し、学んでいる。
私も、縁あってサーマネーンとなった。
私も、縁あってサーマネーンとなった。
そして、サーマネーン達とともに出家中の一期間を過ごした。
多くのサーマネーン達は、日本でいえばだいたい小学生の高学年から中学生・高校生の年齢だ。
多くのサーマネーン達は、日本でいえばだいたい小学生の高学年から中学生・高校生の年齢だ。
サーマネーン達とともに寝泊まりし、ともに食事をとった。
サーマネーン達は実に楽しそうである。
実に明るい。
そして、たくさんの笑顔がある。
私があるサーマネーンに、
「家族と離れてさみしくないのかい?」
とたずねたことがあった。
そのあるサーマネーンは、
「もちろん家族が恋しいにきまってる!」
と答えた。
それも当然のことであろう・・・日本いえば小学生か中学生だ。
サーマネーンといえども、出家をしたからには家族と離れて寺で過ごさなければならない。
私があるサーマネーンに、
「家族と離れてさみしくないのかい?」
とたずねたことがあった。
そのあるサーマネーンは、
「もちろん家族が恋しいにきまってる!」
と答えた。
それも当然のことであろう・・・日本いえば小学生か中学生だ。
サーマネーンといえども、出家をしたからには家族と離れて寺で過ごさなければならない。
しかし、そのあとすぐに、
「でも、みんなと一緒だから平気だよ!」
「でも、みんなと一緒だから平気だよ!」
「楽しいよ。」
と笑顔で言った。
夜・・・
テレビのある部屋にサーマネーン達が群がっていた。
と笑顔で言った。
夜・・・
テレビのある部屋にサーマネーン達が群がっていた。
その中には、昼間は厳しく教鞭をとっていた先生もいた。
先生も生徒も同じ輪の中に入って、ともにテレビを見て笑っている。
とてもあたたかな風景に見えた。
珍しい外国人サーマネーンの私に自分の夢を語ってくれたサーマネーンもいた。
珍しい外国人サーマネーンの私に自分の夢を語ってくれたサーマネーンもいた。
頑張って英語を勉強して外国へ行きたいのだと。
タイで海外を夢見る者は多い。
そんなサーマネーン達との生活は、どこか童心に帰るような思いにさせられた。
タイで海外を夢見る者は多い。
そんなサーマネーン達との生活は、どこか童心に帰るような思いにさせられた。
私にとっては、あたたかな風景であったのと同時に、自己の心の内面を反省させてもくれた。
それもご縁であった。
自分の中にうごめく汚い心をも見せつけられた。
自分の中にうごめく汚い心をも見せつけられた。
私の機根を育ててくれたにちがいない。
それもご縁であった。
いや、必然だったのかもしれない。
それもご縁であった。
いや、必然だったのかもしれない。
仏教では偶然はない。
全てが必然なのだ。
そのような道を歩むべくして歩むことになったにちがいない。
すぐに比丘として出家できるはずであった。
そのような道を歩むべくして歩むことになったにちがいない。
すぐに比丘として出家できるはずであった。
比丘として出家するためにタイへ来たはずであった。
しかし、サーマネーンとしてから出家することになった。
それもご縁であった。
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4 件のコメント:
それなりにタイで長期の出家を考えている者ですが、海外旅行保険などの保険は日本で出発前に入るべきでしょうか?ただ海外旅行ではなく、出家なので、入った方が良いのか、入らなくても良いのかいまいち判断しにくいです。出家は全て捨てた状態だと思いますので、保険とかもなるべくない方が良いのかなとも思いました。ブログ主様のご意見聞かせて頂ければ嬉しい限りです。
他にも、現地(タイ)の健康保険や医療保険に入るべきだとお考えでしょうか?
ブログをお読みいただきましてありがとうございます。そして、コメントをいただきましてありがとうございます。
ご質問についてですが、私は最初の1ヵ月間のみ空港にて海外旅行保険に入りました。その後は何も入っていません。幸いにも一度も大病を患ったり、大怪我などもなく、また事故などにも遭うこともありませんでしたので言えることなのかもしれませんが、全出家期間中となりますとかなりの金額になってしまいますので、私は特に海外保険等には入らなくてもよいかと思います。(不特定多数の方が閲覧される可能性のある場ですので、あくまで「私」の所感とさせていただきます。)
出家中は、ちょっとした風邪やちょっとした体調不良、少しばかりの怪我などは全てお寺が面倒を見てくれます(ただし、それ以上のアクシデントについては保障できませんが)。また、車を運転することはないので事故に遭うことも少ないですし、所有物も多くはありませんので盗難の心配も少ないかと思います。ですから、出家生活に集中できます。
おっしゃる通り、「保険」や「保障」のある生活は本来の意味での出家ではありません。しかしながら、自らあえて自殺行為におよぶ必要もありません。長期間の海外生活を送るなかで、事故や大きな病気などの予想外な出来事もないとは言えませんので、最低限度の身を守る手段はぜひとも講じておくことをおすすめいたします。
どのくらいの期間の出家をお考えなのかは存じませんが、いざという時には帰国できるような体制を整えておかれるなどされておかれるとよいかと思います(そうしておくことで、大事故や事件などに巻き込まれることを除いて、ある程度の範囲は対応が可能かと思います)。ご家族様など、どなたかに心を許せる方にお世話になることにはなりますが、周囲の方にはできる限りの理解と協力をお願いさせていただくべきです。出家は周囲の理解を得られてこそ成立するものです。
ただし、元々お身体が弱い、現在病院にかかっていらっしゃる、持病があるなどと言った場合は、すでにそれなりの危険を背負っているわけですから、長期間の海外生活そのものをおすすめすることができないかと思います。そのあたりは、ご自身の置かれている心身環境を熟慮のうえご判断されてください。
簡略ではありますが参考にしていただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。帰国のための交通費はまず最初に考えておくべきことの1つだと思いました。
自分の状況と相談して判断させて頂きたいと思います。
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