タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2013/03/24

沙彌出家


私は、はじめ沙彌、つまりサーマネーンとして出家した。

サーマネーンとして一時期を過ごしたのち、比丘として出家することができた。



サーマネーンとは、通常、20歳以下の未成年出家者を言う。

少年僧、あるいは見習い僧のことである。


しかし、ごく稀に、20歳を超える者であってもサーマネーンとして出家する者もいる。

厳しい修行寺などでは、年齢を問わずサーマネーンからしか出家を認めない寺もある。


私の出家は、その稀なケースであった。


私は、すでに20歳を過ぎており、比丘として出家できる条件を満たしていたのであるが、出家を支援してくれる存在である「家族」がいなかった(外国人の出家の場合は、家族の代わりとなって出家を支援してくれる存在が必要)ため、比丘として出家することができなかった。


しかし、その時私がお世話になっていた寺の住職のすすめで、サーマネーンとしての出家を認められ、許していただくことができた。


サーマネーンの出家は、比丘の出家よりもより簡易的であることからサーマネーンとして出家させていただくこととなったのだ。



サーマネーンの出家と比丘の出家との大きな違いは、
(年齢条件を除く)


①守るべき戒律の数が違う。

比丘は、227の戒律を守って生活を送らなければならないが、サーマネーンは10の戒律を守りながら比丘に準じた生活を送る。


②サーマネーンは、三師七証がいなくても出家できる。

正式な比丘となるには三師七証が必要で、少なくとも10人の比丘が必要となる。
三師七証とは、
三師・・・戒師の他2名の師となる僧
七証・・・師僧からの受戒を証明する7人の立ち会いの僧
のことで、サーマネーンの出家は、師僧、つまりは戒を授ける戒師のみで出家が認められるので、比丘の出家よりも簡易的なのである。


③サーマネーンの出家時期はいつでもよい。

比丘の出家は通常、パンサー期間中(安居期間中)は出家できないことになっている。
しかし、サーマネーンの出家は年間を通じて出家ができ、パンサー期間中であっても出家ができる。
しかしながら、パンサー期間中を比丘やサーマネーンとして過ごすことに重きがおかれ、意義が認められるので、一般的にはパンサー期間中に出家は行われない。


④サーマネーンは、正式な寺でなくても出家ができる。

比丘出家は、どこであってもできるというものではない。

比丘の出家は、正式な寺で、正式な作法でもって行われなければならない。

正式な『寺』とは、布薩堂(タイ語:ウボーソット、ボーット/日本語で言えば、戒壇)を備えた寺のことで、この布薩堂において出家の儀式が行われる。

なお、布薩堂がない『正式な寺ではない寺』のことをサムナックソンといい、布薩堂のない場所では出家の儀式が行えず、出家ができない。

サムナックソンというのは、あえて日本語で表現すると布教所といったところか。

ちなみに、私が出家した寺も、簡素ではあるが正式な寺であった。



その他、サーマネーンとは、先述の通り、比丘は227の戒律を保たなければならないが、サーマネーンは10の戒律を保ち、比丘に準じた生活を送る。

それゆえ、サーマネーンは比丘には戒律で禁じられた作務を代行したり、比丘と在家者との取次ぎ役的な役割を果たす。


サーマネーンは出家者ではあるが、比丘に対しては、布施をする形式をとり、比丘に対して合掌または三礼(3回の礼拝)して接しなければならない。


また、比丘とサーマネーンが同席することは許されない。

例えば、食事の席などは両者明確に分けられる。


出家者はであっても、正式な戒律である227の戒律を受けた者ではないということであり、清浄ではないという観念による。


このように、比丘とサーマネーンとははっきりとした違いがある。



サーマネーンも比丘と同じ衣をまとっており、外見上は比丘と全く同じだ。


しかし、タイでは、比丘とサーマネーンとの境界線が明確に存在するのである。



⇒『沙彌出家』後篇・・・『サーマネーン達とともに』へ
http://tekutekubukkyou.blogspot.jp/2013/03/blog-post_27.html



(『沙彌出家』)



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