私は、タイでの出家生活に言葉では言い表せないほどの大きな感銘を受けた。
心が震えるとは、まさにこのことであった。
なぜならば、学生時代に読んだ古い経典に描かれているそのままの光景が、実際に私の目の前に展開しているのである。
この現実に心が震えないわけがない。
さて、先日、私の友人から質問された。
『タイのお坊さんは、洗濯はしないのか? 』
もちろん、洗濯はするに決まっている。
日常ではないか。
『自分で洗濯をするのか?』
あたりまえだ。
自分で洗濯をするに決まっている。
自分で洗濯しなければ、一体、誰がしてくれるというのか?
『洗濯機は使わないのか?』
・・・。
これは、意表を突いた質問だった。
洗濯機とは、日本の生活では、ごく当たり前過ぎて、今まで全く考えたことすらなかった。
言われてみれば、3年間の出家生活のなかでただの一度も洗濯機を使ったことがない。
使ったことがないどころか、お寺の中に置かれていない。
お寺はお寺でも、在家者が使うスペースであれば置いてあるのかもしれないが、出家者が住むスペースでは洗濯機を見たことがない。
それは当然かもしれない。
使わないのだから置かれていないのだ。
しかしながら、タイに洗濯機がないわけではない。
これもまた、わかり切った話だ。
置かれていないのは、使う必要がないから置かれていないのか、あるいは瞑想修行のために敢えて置かれていないのか・・・それはわからない。
個人的には、その両方の意味があるのではないかと思う。
左肩にかけているのがサンカティン 全身に纏っているのがチーオン |
比丘や沙彌の衣は、実に簡素である。
基本的には1枚の布を纏っているだけだ。
細かくいうならば、サボンという腰巻とアンサという肌着を着用した上からチーオンという袈裟を纏っている。
パンツや褌などといった下着類は一切着用しない。
チーオンは、身体をぐるりと包み込めるほどの大きさの1枚の布だ。
日常的に洗濯をするのは、このサボンとアンサとチーオンの3枚の布ということになる。
なお、比丘になるとサンカティンという袈裟を身につけることになるのだが、これは身につけないといけないものではあるが、通常は折り畳んで身につけるので、日常的に洗濯することはない(写真を参照)。
洗濯をするとしても、ごくごくたまにである。
比丘や沙彌の衣の洗濯は、実にシンプルである。
なぜなら、洗うのは『布』だからだ。
干すのも実に簡単でよい。
洗って干す。
ただそれだけだ。
日本で言うところの洗濯紐にただ掛けるだけ。
衣が縮んでしまったりすることも、型崩れすることもない。
たとえ多少縮もうとも、着用するうえではそれほど影響するものではない。
破れたり、ほつれたりしたら、自分で針と糸を使って修繕する。
何から何まで実にシンプルだ。
色落ちすることももちろんあるのだが、森林僧院の比丘は、意外にも色落ちしているくらいのほうが(尊敬の眼差しという意味で)一目置かれることがあるというのが実に興味深い。
もっとも、森林僧院で出家生活を送ってきたというだけで一目置かれる傾向がある。
余談であるが、このことは、タイで聞いてはいたことであるが、日本へ帰国した後、初対面のタイ人と話した時に、私自身が実際に経験している。
日本人で出家経験があるというだけでも一目置かれてしまううえに、さらに森林僧院で瞑想修行に励んできたのだと話した途端に、大変尊敬されてしまい、こちらの方が恐縮してしまったことがある。
さて、話を元に戻すことにする。
全く気にしたことがなかったのだが、私の友人からの質問で気づかされたのが、タイのお寺、特に森林僧院には電化製品がない(極めて少ない)ということである。
電化製品で僧院内にあるものと言えば、部屋の照明器具くらいのものだ。
私がタイの出家生活に大変な感銘を受けたのは、仏教の本質の世界を見せられたという意味ももちろんあるのだけれども、現代においてもごく普通にこうした自然な生活スタイルが続けられているということもあったのだと思う。
もっともこれは、気候的にも年間を通じて暖かなタイだからこそ可能な生活スタイルではあるのだが・・・。
とはいえ、仏教の本質とともに出家生活の本質の部分である。
それは、タイの寺院に住んでいたり、滞在したりしている在家者の姿をとってみても全く同様で、嗚呼、寺院に住む、あるいは滞在するとはこういう意味を持つことで、寺院において学ぶとはこういったことなのかと大いに納得させられた。
日本でもよく生活自体が修行なのだと言われてはいるのだが、いまいちぼんやりとしてよくわからなかったことが、タイの僧院や出家生活に触れた瞬間にストンと腑に落ちてしまったのだ。
私が、タイの出家生活に触れて感銘を受けたのは、あらゆることが腑に落ちたからである。
時代とともにタイも随分と変わっているのではないかと思うが、果たして、現在もこうした生活が維持されているであろうか・・・。
思い出は美化されるというが、これは単なる美化だけではない。
(『憧れの出家生活』)
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