タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2023/06/19

タイ人が驚いた?ここが変だよ日本人!?

タイ人が日本へ来て非常に驚くことはたくさんあるそうだ。


そのなかでも仏教の価値観と深く関わるようなことをいくつか挙げてみたい。



タイも日本も、大きくは変わらないと思う。


いくら仏教徒が95%を占めるタイだからといっても、全員が全員、仏教に対して篤い信仰心を持っているというわけではない。


それは言うまでもないことではあるのだが、そうはいっても、やはりタイ人のほうが仏教に対する意識は、日本人のそれよりも遥かに篤いと私の目には映るのである。



ここでは、そうしたタイ人の仏教に対する考え方や姿勢を垣間見ることができる、ちょっとしたエピソードを紹介してみたい。











【踊り食い】


この話は、私が日本へ帰国した後の出来事であるが、来日したタイの知人を観光案内した時のことである。


ある日本料理店へ案内した際、料理のひとつに伊勢海老が出されてきた。


これがまた伊勢海老がまだ生きた状態で出されてきたのであった。


いわゆる伊勢海老の『お造り』だ。


日本人であれば、なんと贅沢な料理かと驚くところであるが・・・タイ人は、驚きの観点が違ったのである。



そのタイの知人は、ただ目を覆っているばかりで、かわいそうだ、かわいそうだの連呼であった。


もう、見てはいられない様子だった。



話を聞いてみると、日本でよくある『踊り食い』やまだ“頭”の部分が生きている『活け造り』や『お造り』、あるいはまだ生きていることがわかるような状態で出されてくる刺身などは、タイでは考えられないそうだ。


さすがは、日本へ遊びに来るほどの日本好きなタイ人とあって、テレビをよく見ているのか、日本の料理に大変詳しい。



私としても、全く高級な料亭などではなく、まさか庶民が出入りするような手軽な和食店で、そのような立派な『お造り』が出されてくるとはこれぽっちも思わず、大変申し訳ない気持ちになった。



とはいえ、日本では『活け造り』や『お造り』は、庶民にとっては高級品であり、贅沢と新鮮を象徴するかのような料理であるが、冷静に考えてみれば、確かに、非常に残酷な食べ方なのかもしれない。


まだ死にきっていない、まだ動いている、しかも全身が切り裂かれていて、大変苦しそうな瀕死の状態のものを喜々として食べるのは、残酷以外何者でもないだろう。



さらに残酷なのは、『踊り食い』だと話していた。


おそらく、これもテレビか何かで目にしたことがあるのだろう。


あれは、『かわいそうだ』と言っていた。


私は、『踊り食い』を経験したことはないのだが、確かに私のタイの知人が言う通り、これも残酷な食べ方なのかもしれない。




【金魚すくい】


もうひとつ、私のタイの知人が大変驚いていたのが『金魚すくい』だ。


『金魚すくい』と言えば、夏の風物詩であり、お祭りの象徴的存在だ。



私も幼い頃にはよくやったものである。


ところが、そのタイの知人は、かわいそうだと話していた。



確かに、心地よく泳いでいる金魚を捕まえるのであるから、酷いと言えば酷いのかもしれない。



タイには、『金魚すくい』と真逆のことを行う徳の積み方がある。


捕まっている魚を川へと放してあげるのである。


日本で言うところの『放生』だ。



生き物をもと居た場所へと放してあげる(ないしは逃がしてあげる)ことは、功徳を積む行為のひとつであると考えられているためである。


魚以外にも、小鳥や亀などを放すこともある。



タイでは、よくお寺の近くや町の中で、籠の中に入った小鳥が売られていることがある。


それらはペットにするために売られているのではなく、その小鳥を買って、その場で籠の中から放つのである。


籠の中の小鳥は、元気よく大空へと飛びたって行く。


買ってすぐに、しかもその場で外へ逃がしてあげるというのは、日本人の感覚では何のためにお金を出して買ったのか、さっぱりわからないかもしれない。


少し違和感のある行為かもしれないが、これで功徳を積んだことになるのだ。



お寺の行事として実施される場合もあれば、特にお寺とは関係なく、ごく普通の街角でなされることもある。



もし、タイへ訪問される機会があれば、少し町の中を見渡してみてほしい。


きっと、売られているのを見つけることができるのではないだろうか。


見つけたら、ぜひやっていただきたいと思う。



考えてみれば『金魚すくい』は、これと真逆のことを行うのであるから、“酷い”行為であると映るのかもしれない。


解き放つのが『功徳』となるのであれば、金魚を“捕まえる”『金魚すくい』は悪業を積む行為となってしまうのかもしれない・・・。











【仏像や仏画に対する扱い】


タイでは、いうまでもなく仏教への敬意が非常に篤い。


当然のことながら、仏像や仏画そのもの、あるいはそれらが印刷されたものをも大切に扱う。



この扱い方の差にタイ人が非常に驚くそうだ。


実は、この指摘は、インターネットで知ったのであるが、要するに、日本人は仏像や仏画に対する扱いが大変軽いという指摘である。


言われてみれば、嗚呼、なるほどと感じるところが大いにあるので、ここに挙げることにした。



確かに、私がタイで触れたタイの人たちは、仏像や高僧が描かれたものは、たとえポスターのようなものであっても、毎回、手にする前と放した後に手を合わせたうえで扱っていた。


それはそうだろうと、何の疑問も抱かずに見ていたのだが、改めて指摘をされると、日本の場合は、僧侶のような専門の(篤信の)関係者ではない限り、一般にはそのようなことはしない。



タイの常識として、仏像やお守りを置く時には、より高いところに置くこととされており、床や階段の上に直接置いたり、ベッドの下などに置いたりすることは、仏教に対して不敬な行為であるとみなされ、大変非常識な行為であるとされる。



あるタイ人芸術家が仏像をアートの題材にしたそうであるが、その作品が仏教への敬意を欠くものと見なされて(アーティスト本人にその意図はなかったそうではあるが)、大変大きな問題になったことは記憶に新しいと思うが、この種のことが問題になるのは、日本ではまず考えられないと思う。



なるほど、仏像や仏画に対する扱いを少し振り返ってみると、確かにこの指摘は頷けるところがあると思う。


タイでは、食品や飲み物、商品の札や箱などにも、仏像(仏画)を貼り付けるような行為は避けるそうである。


日本はといえば、仏像を模したお饅頭や最中などの食べ物、または土産物としての商品や箱などにデザインされているのをよく目にすることがある。



どこまでが仏像や仏画で、どこからがキャラクターなのかの判別がつきにくいところではあるが・・・



私は、日本で仏像(仏画)をプリントしたシャツを見たことがある。


シャツということであれば、身体の安全や身体の健全を願う護符的な意味合いも出てくるのであろうか(おそらく日本ではその意図はないのかもしれないが・・・)。


ちなみに、日本でタイの商品を扱っている店にタイの高僧を描いたシャツが売られていた。


それがこの画像である。






画像の高僧は、
どちらもタイでは知らない人はいないほど
非常によく知られた高僧で、
絶大な力があったとされる高僧である。
護符がそのままプリントされている。





タイでは、護符や呪文を“刺青”にするという文化もあるので、それを思えば、シャツに護符や呪文がプリントされているのはなんら不思議ではないし、不敬ではないと言えるかもしれない。



ところが、それが下着や靴下となればどうであろうか。


私は、日本で靴下に仏像がプリントされた商品を見かけたことがあるのだが、おそらくタイではあり得ないのではないかと思う・・・



これは、私の率直な所感であるが、さすがに下着や靴下に仏教に関する図像をプリントするのはいかがなものかと感じる。



ここでは、その賛否を問うことはしないが、タイという仏教国に学んで、再び日本で生活を送ってみると、戸惑いを感じざるを得ない場面に多々遭遇することがある。


『踊り食い』は以前から少々残酷だと感じてはいたが、『金魚すくい』はあまりにも馴染み過ぎていて何も感じることがなかった。



仏像や仏画に対する姿勢はどうだろうか。


面白ければいいのか、売れればいいのか、あるいはまたユニークだったらいいのか・・・あまり細かなことは言いたくはないし、言うつもりもないが、どのような思いがあってそのようにしたのかは、私が存知するところではない。



自分が敬意をもって接しているものに対して、失礼な接し方をされるということは、自分の存在そのものをも軽んじている姿勢の表れだと思うのだが。



これは、ごく自然な感情なのではないかと思うのだが、いかがお感じであろうか。



宗教に対する感覚そのものが違うのであるから、仕方がないのかもしれないが・・・。




(『タイ人が驚いた?ここが変だよ日本人!?』)






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