タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


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2023/06/29

常に気づきを保つ『指の瞑想』

 思わぬ反響をいただいて驚いている。


それは、『指の瞑想』だ。



『指の瞑想』については、以前に拙ブログにて掲載しているので、詳しくはそちらの記事をご覧いただきたい。




『指の瞑想』

(2020年02月29日掲載)




『指の瞑想』といっても、厳密にはタイにはそのようなものがあるわけではなく、そういった名前の瞑想法があるわけでもない。


無論、独立した『指の瞑想』というものがあるというわけではなく、いかに『気づき』を保ち、いかに『気づき』を育てていくかであって、ただそうした方法のひとつとしてこのようなやり方があるというに過ぎない。


『指の瞑想』などと呼んでいるのは、仮にそのように呼んでいるだけである



それはさておき、私自身は、いつでもどこでも『気づき』を保つのだという心構えでもって『指の瞑想』の実践に取り組んできた。


否、取り組んできたというよりは、所謂、空き時間や隙間時間をも無駄に過ごすことなく、かつ間断なく『気づき』を育てていくための『指の瞑想』であった。



瞑想修行の観点から言えばそうではあるのだが、『指の瞑想』は、いつでも、どこでも、気軽に、気楽に、どんな瞑想初心者であっても『気づき』というものを理解し、保ち、発展させていくための手段としては大変都合がいい。


なんといっても、実践しやすい。


ゆえに『気づき』というものを伝える手段として、『指の瞑想』を活用しながら『気づき』をお伝えする機会が多くなった。



冒頭にも触れたように、私自身は瞑想の効果や効能といったことは、全く考えずに実践してきた。


ところが、ここ最近、『指の瞑想』を伝えたところ、続々と『指の瞑想』に関する反響をいただくようになった。


また、日本人にとってはインパクトがあるのだろうか、『すごく良い』という声が多数聞こえてくるようになった。



反響というのは、所謂、瞑想による『効果』や『変化』のことだ。


実際にいただいた声を要約したものをいくつか紹介してみたいと思う。






指と指とを擦り合わせながら
その感覚へと気づきを向けていく。
どんなに時間がなくても、
このような形であればいつでも実践できる。





・あがり症だったが『指の瞑想』を実践して臨んだところ、実にスムーズに一連のことを終えることができた。


・大人数の前でプレゼンテーションを行うのが初めてで困っていたところ、『指の瞑想』を実践したおかげで、なんら緊張することなく、高い評価をいただくことができた。


・その場ですぐにまとめて自分の意見を発表しないといけないのであるが、『指の瞑想』を実践してみたところ、頭の中が驚くほど整理され、他の人たちの意見をまとめて、すぐさま自分の意見として発表することができ、無事に発表を終えることができた。


・出産時(お産時)に痛みへと意識を向けず、『指の瞑想』を実践しながらお産へと臨んだところ、痛みに苦しめられることなく、無事に出産を終えることができた。




これらは、ほんのごく一部の声ではあるが、これほどまでに変化があるとは驚きだ。


実践された人たちもその効果に驚き気味ではあったが、一番驚いているのは、この私である。



すでに触れた通り、私はそのようなつもりで所謂『指の瞑想』を実践したことがない。


さらには、上記のような効果や変化を狙って実践していたわけでもない。



ゆえに『指の瞑想』に対するインパクトを感じることもなければ、驚きを覚えることもなかった。



とはいえ、これほどの効果や変化があるのは、特筆に値するのではないか。



『指の瞑想』を実践して、『気づき』を得ることができ、さらに善き方向へと進んでいただけるようであれば、これほど嬉しいことはない。


これをきっかけに瞑想に親しんでいただければなおよいし、『気づき』を高めていっていただくことへと繋がればさらによい。


『気づき』がもたらす恩恵を感じていただけたというだけで、ただただ瞑想を伝える者として冥利に尽きる。



しかしながら、これは、『一里塚』のようなものだということにも触れておきたい。


こうした効果や変化に満足するのももちろん構わない。



だが、ぜひともその段階にとどまることなく、『気づき』というもののさらなる理解へと広げていっていただきたいと思う。



『気づき』とは、一体どのようなことであるのか?


そして、『気づき』によってもたらされることとは一体何であるのか?



そうした一連のことがらへと注意を向けて、気づいてよく知り、観察し、洞察していくというのがヴィパッサナーの実践であり、瞑想の実践が向かうべき方向である。



もしも、恩恵や効果を感じられたのであれば、たとえほんの少しの実践であっても構わないから、これからも続けて実践していっていただければと思う。


いや、たとえ恩恵や効果を感じなくても、こうして瞑想との『縁』があったわけであるから、是非とも続けて実践していっていただきたいと思う。



それにしても、私自身は、それほどの効果を感じたこともなければ、インパクトを感じたこともない。


一度くらいは、その大きな変化というものを体験してみたいものだと思わなくもないが・・・そのようなことを師の前でこぼそうものなら、『お前は瞑想をきちんと理解しているのか!』というお言葉を賜るに違いない。



わかってはいるのだが、それが凡夫である私の素直な心情ではある。



効果や変化を感じる感じないに翻弄されてはいけない。


ただ『気づき』を発展させていかなければならない。


翻弄されている自分の心そのものを観察していかなければならないのである。



その観察と洞察から、心は静まり、安らぎを得るのである。



ここに紹介した体験談は、瞑想によるそうした心の静まりの一端を示すものに他ならない。




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『指の瞑想』

(2020年02月29日掲載)




(『常に気づきを保つ『指の瞑想』』)






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