タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2022/11/09

注意しておきたい『瞑想』という言葉


言葉というのは、ひとつひとつに意味がある。


特に日本語の場合であれば、漢字一文字一文字に深い意味が込められている。


音写の言葉でない限り、使われている漢字そのものに意味が込められているのである。


たとえ類義語であっても、それは類義語であって、言葉自体が違うのであるから、微妙に異なったニュアンスの言葉であり、全く同義の言葉ではないのだ。


ごく当然な話ではあるのだが、端的に言えば、言葉が違えば意味も違うということだ。



大学の『講読』の講義でお世話になった先生がおっしゃっていた。



『経文の意味がとれなければ、漢字の意味をひとつひとつ調べなさい。』



今さらながら、先生がおっしゃっていたことがよくわかる。



さて、他に表現方法がないので使用してはいるのだが、私は、日本語の表現として『○○瞑想』という呼び方は、適切だとはいえない表現なのではないかと感じている。


仏教以外の“瞑想”については、私の存知するところではないが、特に仏教の実践行としての“瞑想”に対して使う場合は、少し注意が必要なのではないだろうか。



タイでは、サマタはサマタであるし、ヴィパッサナーはヴィパッサナーだ。


日本のように『サマタ“瞑想”』であるとか、『ヴィパッサナー“瞑想”』などと表現しない。



それでは、何と表現するのか?


タイ語では、『瞑想』や『祈りを捧げる』ことを意味する言葉に『パーワナー』という言葉がある。


これは、仏教用語が由来のタイ語で、古いインドの言葉であるパーリ語がタイ語に訛ったものだ。


仏教用語としての『パーワナー』は、日本語では『修習』という言葉になるが、あまり聞きなれない言葉であるかと思う。


もう少し平易に説明するとすれば、心の開発や心の進歩、心の発展などを意味する言葉である。


繰り返し繰り返し実践を重ねて、善き状態へと条件づけていくことや自らを善き方向へと変容させていくことである。



そのような意味から、『瞑想』することや『修行する』という意味のタイ語として使われている。











これは、私の私見であるが、瞑想とは繰り返し実践を重ねていくものであるし、いわば“習慣”としていくべきものだ。


習慣によって、私たちの生活のみならず、生き方やさらには人生そのものを善き方向へと変容させていくわけであるから、言葉の意味合いからしても、タイの用法のほうが適切なもののように感じている。


繰り返し実践して、条件づけていくことは、自らを善き方向へと変容させていくものであるからだ。



ところが、『瞑想』という言葉は、心を落ち着ける行為全般を指す“包括的”用語である。


ゆえに、テーラワーダ仏教における『瞑想』も、禅宗における『禅』も、密教における『観想』も、マインドフルネスがいうところの『瞑想』も、その他の宗教における『瞑想』も、すべてが“瞑想”という言葉の範疇に含まれるものである。


同じ『瞑想』という言葉を使っていたとしても、仏教の実践行としての『瞑想』と、例えばよく対比される(対比どころか、仏教そのものとして紹介しているのをよく散見する)実利的なマインドフルネスとしての『瞑想』とは、根本的に異なるということをよく理解しておかなければならない。


まして、心理療法としての『瞑想』やスピリチュアル的な『瞑想』、アスリートのトレーニングとしての『瞑想』とは、その『瞑想』の定義や目的からしても全く異なるものだ。



しかしながら、ここで『瞑想』という言葉が云々と私が言ってみたところで、どうしようもない。


すでにご承知の通りの現状である。


残念ながら、日本の状況が変わらないのは百も承知ではあるが、せめて心ある人たちは、正しく理解をしたうえで使うようにしたいと思うところである。



このあたりに関して、違和感を抱いているのは、おそらくは私だけではないと思っているのであるが、いかがであろうか・・・。


ぜひとも、諸師諸先輩方のご意見を聞かせていただきたいと思う。




(『注意しておきたい『瞑想』という言葉』)






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