タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2022/08/09

タイの毘沙門天信仰


タイは、言うまでもなく上座仏教(テーラワーダ仏教)を信仰する敬虔な仏教国であるが、タイの信仰は、純然たる上座仏教だけではなく、大変多様で奥が深いものである。


例えば、ヒンドゥーの神々や華僑による大乗仏教の観音菩薩、道教の神々なども信仰されており、街中のいたるところで、そうした信仰に関する建物を見かけることができるほか、いわゆる“ご利益”のある神様もたくさん信仰されている。




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◆タイの観音さま


◆タイで出会った観音菩薩




出家の比丘においては、神々を拝むことはないのであるが、一般在家の立場においては、自由かつ重層的な信仰がなされているのだ。



私が最も長く過ごした森の修行寺や瞑想修行系の僧院では、特に戒律遵守が徹底されているばかりでなく、呪術的なものや占いに関するものについても厳禁が徹底されている。


そのような関係で、タイの大寺院やご利益で有名なお寺などではお馴染みであり、タイの人々が大変好む「お守り」などは、修行系のお寺には一切置かれていない。



ちなみに、ここでは、敢えてお守りを「販売する」という表現を避けることにした。


なぜなら、タイでは、お守りを寺院で購入する際には、「買う」とか「購入する」という表現を使わず、「借りる」「お借りする」という表現を使用し、特別な言い方をするからである。


それは、単なるモノではないのだから、当然と言えば当然だろう。


日本においても、「授与する」とか「授かる」と表現するのであるから同じである。



ヒンドゥーの神々への信仰はよく知られている通りであるし、どのような願いごとでも聞き届けてくれるというガネーシャは、タイにおいても人気の神様で、日本ではタイの観光名所としてもよく知られている通りだ。



そうした信仰のひとつに、毘沙門天信仰がある。



タイにおいても盛んに信仰されており、特に近年、毘沙門天信仰の人気が急上昇しているのだという。


これには、私も大変関心を抱いた。



ちなみに、神様への信仰にも流行り廃りがあるというから、さらに大変興味深い。






タイ・バンコクのワット・サッタータム寺院の
ターオ・ウェーッスワン(毘沙門天)。
こちらの毘沙門天がバンコク市内では、
大変人気があるということである。





日本では、毘沙門天は仏教における天部に属し、仏法を守護する護法の善神である。


一般的には、七福神の一人としてその名をよく知られているのは、ご存知の通りかと思う。


北の方角を守護する神であり、四天王の一人として祀られる場合は「多聞天」と呼ばれ、単独で祀られる場合は「毘沙門天」と呼ばれる。


なお、『毘沙門』とは、サンスクリット語の『ヴァイシュラヴァナ』の音写である。


戦いの神であり、勝利をもたらす神であるとされているほか、さまざまな財宝の神であり、たくさんの福徳を授けてくれる、幅広いご利益を授けてくれる神であるとされている。


毘沙門天は、夜叉や羅刹(鬼神)といった眷属を従えており、それらの総大将というか、統率者であるとされているというのが、日本における毘沙門天信仰の概略である。



タイでは、ターオ・ウェーッスワンと呼ばれ、篤く信仰されているのだ。






タイ・サムットソンクラーム県にある
ワット・チュラマニー寺院の
ターオ・ウェーッスワン(毘沙門天)。
こちらの毘沙門天がタイで
最も人気があるということである。




タイの毘沙門天こと、ターオ・ウェーッスワンは金棒を持っており、夜叉(タイ語:ヤック)の姿で現わされることが多く、日本の毘沙門天とは大きく異なる。


そのため、見た目ではタイのターオ・ウェーッスワンが日本の毘沙門天であるとは、知っていないと気づきにくい。



(パーリ仏典では、「ヴェッサヴァナ」と呼ばれており、「ターオ・ウェーッスワン」はそのタイ語訛りであろう。)



一方で、日本と同じく、四天王の一人として北方を守る神であるとされ、商売繁盛や金運上昇といった財宝の神として信仰されている点は、日本の信仰とほぼ同じである。


このように大きなご利益が得られると信じられているため、タイでは、ターオ・ウェーッスワンのお守りがたくさん作られており、大切に肌身離さず所持している人は多い。



もとより、お守りを大変好むタイの人たちの間では、なにもターオ・ウェーッスワンのお守りだけに限らず、ブッダや高僧のお守りをはじめとして、実にさまざまなお守りがあり、お守りを持っていないタイ人はいないほどである。




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◆タイのお守りとタイで出会った人々1


◆タイのお守りとタイで出会った人々2


◆タイのお守りとタイで出会った人々3




私は、タイ入国後、すぐにタイのお寺で宿泊をさせていただくこととなった。


出家前にお寺以外の宿に泊まったことはたったの数日しかなく、まして一般家庭に泊めていただいたことは一度もなかった。


出家後は、厳格に戒律を厳守する森の修行寺で過ごし、還俗後はタイ人の友達の家庭に泊めていただいたこともあったのだが、非常に残念なことに、タイの民間における信仰を知る機会はほとんどなかった。



出家中にタイ人比丘たちの話題に挙がるほど知られた信仰であれば、私の耳にも入ってくるというものであるが、僧院内は私語厳禁であり、瞑想三昧の日々である。


何と言っても、森の修行寺では、戒律遵守、純然たる仏法の立場より、呪術的なものや占い、民間信仰や迷信的なものは忌避され、徹底して厳禁されているのだ。



よって在俗の信仰は知る由もないということになるのだが、そうしたことを学びにタイまで来たわけではないのだから、少々残念に思わなくもないが、それでよい。



このようにして、タイの仏教に関連する信仰の形について、詳しく知るようになったのは、おもに日本へ帰国してからのことである。


タイは、上座仏教が広まる以前は、密教色の濃い大乗仏教が信仰されていたという歴史があり、ヒンドゥーの神々が信仰されていても何ら不思議ではない。


また、ターオ・ウェーッスワン(毘沙門天)について言えば、パーリ仏典にも記載がある仏教の護法神であるから、仏教信仰の一側面であるといえるものだ。



しかしながら、ルーツを経典に求めることができる存在であったとしても、出家の比丘としては信仰しないもの(むしろ信仰してはいけないもの)というのは、実は多い。



礼拝対象はブッダのみ。


比丘が手を合わせてもよい存在は、ブッダと目上の比丘のみだ(具体的に言えば、先輩比丘、長老比丘、師匠である比丘、先生である比丘、住職の比丘など)。



どのようにしてタイへと広まり、どのように信仰されているのだろうか?


ルーツは如何なるもので、日本との違いはどのようなところにあるのだろうか?


パーリ仏典には、記載はあるのかないのか?



このようなことを紐解いてみるのは、実に興味深く面白い。




※写真は、タイのバンコクに在住されているたーれっくさんにご協力いただきました。


この場を借りて、お礼申し上げます。ありがとうございました。


たーれっくさんは、タイの仏教や神様について、漫画でわかりやすく紹介されていらっしゃる方です。ご興味のある方は、ぜひ検索してください。




(『タイの毘沙門天信仰』)






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