タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2017/05/01

タイのお守りとタイで出会った人々2


前回に引き続いて、とても思い出深いタイのお守りをいくつかご紹介をさせていただきたいと思う。

タイへ入国してまだ日が浅い頃、とある日本人から教えてもらった通り、タイの人達は、仲良くなった人への“友情”と“感謝”の印として、その人にとってとても大切なお守りを私へと手渡してくれたのであった。





<合掌>
シーウィチャイ師
北タイでは誰もが知っているほど
大変尊敬されている高僧で、
北タイのお寺などではよく写真が飾られている。
タイでは、ブッダだけではなく、
こうした高僧に関する“お守り”も非常に多い。





これは、あるサーマネーン(沙弥)からプレゼントされたものだ。


どのような経緯だったかは忘れてしまったのであるが、あるちょっとしたきっかけから仲良くなり、彼のクティ(居室)へと連れて行ってもらった。


彼のクティへ行くと、彼の身の上話をはじめ、いろいろな話を聞かせてもらったことを記憶している。

その時にいただいたものである。


彼が大切に持っていたからであろうか、表面には艶ができている。


サーマネーン達がたくさん集うお寺は、とても賑やかで明るい。

どこか、日本で言うところの“林間学校”的な雰囲気があって、実に和気あいあいとしているのだ。


そんな彼らも、もちろんお守りが大好きだ。


このお守りに描かれているのは、北タイでは誰もが知っているほど大変尊敬されている高僧である。


タイには、日本でも知られているプッタタート師やチャー師と言ったように“全国区”で尊敬を集めている高僧も多いが、このように各地方や各地域で篤い尊敬を集めている高僧もたくさんいる。


こうした高僧に関するお守りも多い。


霊力を持っているとされる高僧が直接力を込めたお守りには、同じく霊力が宿っているとされ、非常に大切にされて、その価値も高いものとなるようだ。





<合掌>
近年、通信販売などで小さな仏像が
販売されているのをよく見かけるようになったが、
それらの多くはタイのものである。

学生の頃、上座部仏教の講義を受講した際、
上座部仏教研究の権威でもあった教授が
「タイのお守り」として私達学生に
見せてくれた小仏像もこのタイプのものであった。

「これらは“プラ”と呼ばれているものです。」
と説明なさっていたのを、
なぜかはっきりと記憶している。





これは、ある高僧の誕生日の法話会で配られた小仏像である。

写真では比較的大きく見えるが、親指の爪程の大きさだ。


とある森林僧院に止住していたある日、突然、「今から一緒について来るように。」と、周囲の比丘達と一緒に連れて来られたのが、この地域では大変尊敬されているらしい高僧の誕生日の法話会であった。


これが非常に山奥にあるお寺なのだ。


道路からまばらに見えていた民家は、やがて無くなり、ゴム園の中へと入っていった。

舗装されていない凸凹道を揺られながら、ゴム園を通り過ぎると、さらに深い森の中へと入って行った。

そして、着いたのは、小さいながらも立派なお寺だった。


・・・森のど真ん中だ。


ところが、お堂の中には、すでに比丘や沙弥達がいっぱい集まっていた。

どのくらい尊敬されている比丘なのかは、集まっているその人数を見れば容易に想像できる。


今日は、特別な日ということもあり、こんなにも多くの人達が集まっているが、おそらく普段は、とても静かで落ち着いたお寺であるに違いない。


お布施と読経のあと、一人ひとつずつ配られたのがこの小さな仏像だった。

その高僧が何という名前で、どのような人物なのかを聞いておかなかったことが悔やまれる。


日本で言えば、まさに「隠遁生活」といったところなのかもしれない。

近隣の人々の篤い尊敬を集めているのも大いに頷ける。


タイには、こうした生き方もあるのだ。





<合掌>
タイでは、お守りをプラスチックの
ケースに入れて持つことが多い。
街の中には、お守りの大きさに合わせて
ケースを作ってくれる露店がある。





これは、還俗後に私がタイ語を学んだチェンマイ市内のお寺の住職へ帰国の挨拶をさせていただいた際に手渡されたものである。


住職にお礼を伝え、挨拶を交わして、三回の礼拝をしたあと、部屋から出ようとしたその時に「ちょっと待ちなさい。」と、住職から声をかけられた。

「さあ、持って行きなさい。」と、これを渡してくれた。


当時、私と一緒に過ごしていた比丘からは、「あの住職は、怒りっぽいから気をつけろよ。」と、囁かれていた住職だ。


比丘とは、来てはまた去っていくもの・・・それがタイのお寺である。

そして、また新しい比丘がやって来る。


出会いと別れは日常茶飯事なのだ。


私との別れも、なんの変哲もない日常のいち場面に過ぎない。

しかし、私が日本人で、タイからは遠い国であろう日本へと帰国するということで、これをくださったのだと思う。


とても嬉しかった。


ここで、怒りっぽいなどと書くのは、お世話になった住職に対して、大変失礼なことなのかもしれないが、そこは微笑ましいタイでのエピソードとしてお許し願いたいと思う。

私にとっては、とても優しい住職だった。





<合掌>
お守りには、ペンダント型のものも多い。
大きなものから、小さなものまで、
形も大きさも実にさまざまだ。





これは、私が比丘として過ごした最後の安居明けの行事の際に、他のお寺より来ていた比丘からいただいたものだ。


私に興味を持ったその比丘からの語りかけに、「日本から仏教を学びに来たのです。」と、説明をしたところ、大変感心してくださり、「これをあげよう。」と言って手渡されたものである。


これも写真では、大きく見えるが、ほんの人差し指の爪程の小さなものだ。


右側のものは、今までしまってあったため、ほぼ当時のままの色合いであるが、左側のものは、色が剥がれてしまっている。

本来は、右側のもののように黒い色合いのものである。


これは、私が帰国後に長らく持ち歩いていたからだ。

小さくて、付けやすかったため、タイで学んだことを忘れぬよう身に付けていた。


・・・ところが、“瞑想”ならぬ見事なまでの“迷走”を重ねることになってしまった。


「迷走」していくなかで、私はタイで学んだことや身に付けたことを、ひとつ、またひとつと忘れ去っていったのであった。

そして、苦海へと沈んでいったのであった。


このタイのお守りを眺めながら、タイでの出家生活のことを想った。

あまりの苦悩に打ちひしがれ、あまりにも自分が情けなくて・・・

何度、涙したことかわからない。


こんなにも色あいが変化しているところを見ると、おそらく随分と触っていたのだろう。


・・・私は、今、ごく普通の日本人として、ごく普通に在家生活を送っている。

どんなに苦海に沈もうとも、どんなに苦悩とともにあろうとも、私は仏教が好きだ。

まだ未熟な私ではあるけれども、仏教に生き方を見出すことができたように思う。


仏教を捨て去ろうとしたこともあった。

しかし、私はもう決して仏教を捨て去ることはない。



< つづく ・ 「タイのお守りとタイで出会った人々3」 >



(『タイのお守りとタイで出会った人々2』)





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