タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2022/07/09

タイの指の瞑想体験談

 

タイには、『指の瞑想』というものがある。


平たく言えば、指を擦り合わせて、その感覚へと意識を向けつつ、細かく丁寧に観察し、常時、気づき(サティ)を保っていくというものだ。



これは、タイでは、どのような時であっても、いつもサティを保つために、ごく一般的に実践されているもののひとつで、タイで瞑想指導を受けたことのある者であれば、何かしらの機会に聞いたことがあるのではないかと思う。


それほど、広く知られているものである。



もっとも、生活全体を瞑想実践の場としてとらえていくという、(主に)森林僧院の考え方では、生活の全てがヴィパッサナーへと連なるものであるわけなのだが、わかりやすく言えば、主たる瞑想の補助的な瞑想として実践されているのが『指の瞑想』だ。


拙ブログにおいて、2020年02月29日に記事として紹介させていただいている。




『指の瞑想』

(2020年02月29日掲載)











大変拙い動画であるのだが、YouTubeで簡単に解説させていただいている。


(初めて撮影した動画のため、実に拙い仕上がりで、大変お恥ずかしい限りである。)


この動画がそこそこ人気のようで、時々、視聴されているようなのである。



しかも、特筆すべきは、この動画を視聴していただき、実生活で実践していただいた方から喜びのお声を複数いただいているという事実である。



主なお声としては・・・



・重要なプレゼンテーションの前に『指の瞑想』を実践し、極度の緊張状態を切り抜け、見事、重要なプレゼンテーションを成功裏に終えることができた。


・緊張する場で『指の瞑想』を実践したところ、うまく乗り切ることができた。


・出産時に『指の瞑想』実践し、痛みなどの身体の苦痛へは意識を向けず、楽に出産を終えることができた。



などがある。



私も、タイでは何度となく実践してきた『指の瞑想』であるが、これほどまでに実生活の中で活用していただいているとは思ってもいなかった。


しかも、効果としてかなり明確なものばかりだ。


私が皆さま方に紹介しておきながら、私の方がその効果に大変驚いている次第である。



瞑想の実践や仏道の実践は、お寺にいる時だけが実践であるのではない。


あるいは、お寺で瞑想している時やお経を読んでいる時だけが実践であるのでもない。



瞑想は、生活の全てが実践の場なのであり、日常生活の中において、どのような場であったとしても気づきを磨いてこそ真の実践なのである。



よく心を落ち着かせて、いつも冷静さを保ち、観察し洞察していくのが実践だ。


生活の全ての場において真実の姿を見い出していってこそ、本当の仏道を歩む者となり得るのであり、それこそが真の仏道を歩む者の姿なのである。



どなたかは存じあげないが、指の瞑想を実践していただき、その体験のお声をいただいたことを励みに、私自身も、常に気づきを保っていかなければと、襟を正す思いである。




(『タイの指の瞑想体験談』)






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