タイのタムルアン洞窟の遭難事故(タムルアンどうくつのそうなんじこ)をご存知だろうか?
数年前、大きな注目を集めたニュースであるので、ご存知の方も多いかと思う。
『2018年6月23日にタイ王国・チエンラーイ県のタムルアン森林公園内のタムルアン洞窟において地元のサッカーチーム「ムーパ・アカデミー」のメンバーであるコーチ1人と少年ら12人の計13人が閉じ込められた遭難事故。7月10日までに13人全員が救出されたが、救出活動中にダイバー1人が殉職した。』
Wikipedia:「タムルアン洞窟の遭難事故」より
事故の概要は上記の通りであるが、私が注目したいのは、救助隊が洞窟内で少年を発見した時、少年たちが『瞑想』をしていたという点である。
これは、仏教や瞑想に関心を寄せている方であれば、みな注目した点であるかと思う。
少年たちを指導していたサッカーチームのコーチが瞑想を教えたもので、このことも大きな話題を集めた。
『捜索で洞窟に入ったダイバーが発見した時、少年たちは瞑想をしていた、と伝えている。体力を消耗しないよう、そしてパニックにならないよう、コーチのエッカポル・ジャンタウォンさんが少年たちに瞑想を教えたのだ。』
ニューズウィーク日本版:
「タイ洞窟のサッカー少年たち、心身を支える瞑想で耐えた9日間」より
特に私たち瞑想実践者・経験者たちは、大いに注目したのではないかと思う。
同時に、瞑想が注目されたということで、大変嬉しくもあったというのは私だけではないはずだ。
大変記憶に残る話題であった。
ニューズウィーク日本版:
「タイ洞窟のサッカー少年たち、心身を支える瞑想で耐えた9日間」より
さて、今回は、なぜ2018年の話題をここで採り上げたのかといえば、先日、『現代タイ仏教の瞑想法』として、現在タイで実践されている瞑想法についての特別勉強会を開催させていただいた。
ここで、主な5つの瞑想法について概観した。
タイでは、仏教の宗派とは関係なく、たくさんの瞑想の流れが存在し、実践されている。
それは、日本の宗旨・宗派における仏教の修道方法としての理解の枠組みとは全く異なるものである。
日本人がタイの宗派や瞑想法について理解しようとした時、一旦、日本の概念からは離れないと適切な理解はできないものと思う。
少し話題が逸れたが、いくつもある瞑想法のなかで、この事故の少年たちは、どの瞑想法を実践していたのか?ということが気になったので、雑談程度に書いてみることにしたという次第である。
4年も昔の話題になるが、2022年2月現在、掲載されているどの記事を見ても、少年たちは“瞑想”を実践していたということには触れらているが、どの“瞑想法”を実践していたのかということまでは触れられてはいない。
それは当然だろう。
皆さまは、どの瞑想法を実践していたと想像するであろうか。
ここからは、私の推測である。
ゆえに、できる限り根拠を示したいとは思うが、明確な根拠があるものではない。
違ったご意見もあるかと思うので、これはこれとして、気軽なお気持ちでお読みいただければと思う。
現在、タイで広く実践されている代表的な瞑想法としては、
1、アーナパーナサティ
(呼吸瞑想)
2、プットー
(プットー瞑想、呼吸系の瞑想のひとつ)
3、ユプノー・ポーンノー
(マハーシ式の瞑想、ミャンマーより伝来)
4、チャルーン・サティ
(手動瞑想、プラユキ師が実践)
5、サンマー・アラハン
(ワット・パクナム、ワット・タンマカーイの瞑想)
この5つの瞑想法がある。
まず、消去法で考えるならば、サンマー・アラハンの瞑想法ではないと思う。
この瞑想法の発祥の地であるワット・パクナムでは、現在、それほど盛んに実践されているわけではなく、この瞑想法の実践者は、ほぼワット・タンマカーイの信者の人たちだと言えるだろう。
この事件で瞑想を教えたコーチは、かつて出家をしていた時に瞑想を習得したということであるが、ワット・タンマカーイの信者は、信者数こそ多いがバンコクを中心とする都市部の人たちで、比較的裕福な層であることが多い。
この事故は、タイ北部のチェンラーイ県である。
おそらくは、(確証はないが)ワット・タンマカーイの信者である可能性は低いのではないかと考えられるから、この瞑想法ではないものと思われる。
次に、消去法で考えられるのは、チャルーン・サティでもないということであろうか。
チャルーン・サティは、日本ではプラユキ師が広めておられ、タイの瞑想法として大変よく知られている瞑想法ではあるのだが、タイではタイ東北部(イサーン地方)を中心に実践されている、どちらかと言えば少数派の瞑想法だ。
『・・・捜索で洞窟に入ったダイバーが発見した時、少年たちは瞑想をしていた、と伝えている。体力を消耗しないよう、そしてパニックにならないよう、コーチのエッカポル・ジャンタウォンさんが少年たちに瞑想を教えたのだ。・・・(略)・・・ジャンタウォンさんは10歳の時に病気で家族全員を失い、その後は仏教の僧院で暮らした。・・・(略)・・・ジャンタウォンさんは僧侶として10年過ごし、現在もときどき僧院に戻り、僧侶とともに瞑想すると伝えている。』
ニューズウィーク日本版:
「タイ洞窟のサッカー少年たち、心身を支える瞑想で耐えた9日間」より
記事には上記のようにあり、瞑想を教えたコーチは、事故当時も、時々お寺へと通い、日常的に瞑想を実践していたことがわかる。
事故が起きた場所はタイ北部・チェンラーイ県であり、チャルーン・サティが比較的多い東北部からは外れることも考慮すると、(確証はないが)やはりチャルーン・サティである可能性は低いのではないだろうか。
残るは、アーナパーナサティ、プットー、ユプノー・ポーンノーだ。
実践者の人口で言えば、まず考えられるのは、断然、ユプノー・ポーンノーであろう。
所謂、ミャンマーから伝えられたマハーシ式の瞑想法で、日本において上座仏教の瞑想法として最も広く知られている瞑想法である。
タイにおいても実践者が多く、この瞑想法が最大多数派であるという瞑想事情の点では、日本とほぼ同じである。
ゆえに、可能性として考えられる最有力候補だ。
最後に、残るのがアーナパーナサティとプットーであるが、純粋にアーナパーナサティだけを実践している僧院は比較的少なく、プットー瞑想のような形で実践されていることが多い。
そのため、プットー瞑想をアーナパーナサティとして採用している僧院もみられる。
(厳密に別れているものとしては見ないこともある。)
また、プットー瞑想は、おもにタイ東北部からチェンマイやチェンラーイを中心とする北部地方の森林僧院で比較的多く実践されている。
このような瞑想事情を考え合わせると、プットー瞑想の可能性が濃厚であるほか、タイ全土で実践されている最大多数派のユプノー・ポーンノーである可能性が濃厚であると考えられる。
結論としては、あくまでも私の推測の域を出るものではなく、確証のあるものではないが、洞窟の中でコーチが教え、少年たちが実践していた瞑想法は、プットー瞑想かユプノー・ポーンノーの瞑想であった可能性が高いのではないだろうか。
タイでは、日常的にお寺や僧院へと通い、お布施や瞑想をしながら過ごすというのがごく一般的である。
それゆえ、小学生であっても『瞑想』をよく知っている。
すなわち、小学生の頃から心の調え方をよく心得ているということである。
仏教やお寺というものを通じて、『瞑想』しながら心を調える。
もちろん、彼らとしては、心を調えているのだという意識は全くないだろう。
仏教の実践行として行っているので、それは即、徳を積む行いとして励んでいるのである。
あえて実践をしているのだとは思っていないと思う。
それほど、タイでは、お寺や仏教が身近な存在なのである。
日本の仏教事情と比較すると、ただただ「素晴らしい」の一言であり、日本の状況が非常に寂しい限りだ。
このような時代だからこそ、仏教や瞑想へと関心を向けて欲しいものであると、私個人としては切に願うばかりである。
ここで考察した瞑想法の話題は、あくまでも私の推測の範囲である。
お遊び程度にお読みいただければ幸いに思う。
(『少年たちが実践していた瞑想法は何か?』)
▼ご登録はコチラから▼
一通、一通、心を込めてメールをお届け致します。
何かを感じて取っていただくことができましたら幸いです。
登録は無料です。どうぞ、お気軽にご登録ください。
そんな思いをあなたとともにわかち合っていきたいと考えています。
日々、心穏やかで、心豊かな生き方を探究しています。
毎日更新しています!
友達リクエストの際は、メッセージを添えていただきますようお願いいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿