私は、3年もタイにいたのにタイ語があまり上手くない。
当初、タイへ入国してから、現地でタイ語を学ぶ予定であった。
ところが、予想すらできないアクシデントが発生し、計画していたことが全て白紙となってしまった。
ここで日本へ帰るという選択肢もあったのかもしれない。
しかし、私は、その選択肢を選ばなかった。
今の自分にできることや思いつくことを全てやってから帰国を考えたとしてもいいではないか。
そのように考えたのだ。
今の自分にできることや思いつくことへと行動を移した。
さらに、それらのことへと注力し、精一杯努力した。
タイ語の学習だけではない。
瞑想修行についても同様である。
タイ語が上達しなかったことに対して、悔しいという思いやもっと上達したかったという思いがないかといえば、もちろんそうではない。
もっともっとタイ語を学びたかったし、もっともっと上達したかった。
だが、後悔は一切ない。
なぜならば、当時の私にできることは、全てやり尽したし、最善を尽くし切ったという自負があるからだ。
やるしかなかったのだ。
今の自分にできることをやるしかなかったのだ。
はるばる日本から遠くタイまで来て、いきなり計画が白紙になったとしたら、あなたならどうするだろうか?
わざわざ時間をかけて、準備を整えてタイまで来たのだ。
長年の夢を叶えるためにやっとここまで来たのである。
ノコノコと日本へ帰国することなどできようか!
だからこそ、私は、右も左もわからないタイの地で精一杯にやった。
自分にできること、思いつくこと、それらを片っ端から懸命にやった。
ただそれだけのことである。
それ以外に何もない。
他の人から見たら、努力と呼ぶのも恥ずかしいほどの努力なのかもしれない。
だが、それで一向に構わない。
自分にとって精一杯の努力なのであって、その時の自分にとって最善であったのだから。
私は、こうした一連のことから、実にたくさんの学びを得たと思っている。
タイの森の修行寺で瞑想修行に励んだこと以外にも、実にたくさんの学びがあった。
できないからやらないというのではなく、今の自分にできることを探してやるということだ。
できないから諦めるというのではない。
諦めるのはまだまだ早い。
できることを探してやるのだ。
だからこそ、深い学びがあるのであるし、大きな成長があるのである。
このタイ語辞典は、そうした私の努力の痕跡だ。
タイでの学びの全てが何にも代え難い私の人生の宝物であると思っている。
(『最善を尽くすことからの学び』)
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