タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2021/12/29

佐々井秀嶺師とのご縁のお話

 

拙ブログでは、特定の個人に関する話題やタイおよびタイの仏教以外の話題については触れない方針である。


近年、大変著名なお方であり、私もインドでお世話になったことがある、タイとも大変ご縁が深いお方であることから、ここで少し触れておきたいと思った。


そのお方とは、佐々井秀嶺師(以下、佐々井師と記す)である。



佐々井師をご存知ない方のために、簡略に紹介しておくと、現在、インド仏教徒の指導者のひとりとして広くご活躍されている、インドに帰化された日本人僧侶だ。


かのインドの地で、日本人仏教徒のためにではなく、インド人仏教徒の指導者としてご活躍されているということが、何より凄いことなのである。



なぜ、拙ブログで佐々井師について触れておきたいと思ったのかと言えば、佐々井師の上座仏教の比丘としての得度は、タイのワット・パクナム寺院であり、さらにパクナム式の瞑想も深く修習されているという経歴をお持ちのお方だからだ。


おそらく、当時、パクナム寺院で瞑想指導をされていたという日系タイ人の河北師によるご指導だったのではないかと思われるのだが、あくまでも私の憶測であり、はっきりとしたことはわからない。


ともかく、私は実際に、佐々井師にパクナム寺院から贈られた書状を見せていただいたことがある。


(書状の詳細については、佐々井師からの口頭での説明に基いて記述させていただいた。現在もパクナム寺院では、そのような書状が発行されているのかどうかはわからない。)


その後、上座仏教の比丘としての還俗を表明されていないのであれば、現在の佐々井師の上座仏教の比丘としての戒律の流れは、タイの仏教であり、パクナム寺院での受戒ということになるのではなかろうか。(註1)


そのようなご縁により、タイとも関係が深く、私とも直接面識がある、私にとって大変思い出深いお方が佐々井師なのである。






2021年6月に完成したという
タイのワット・パクナムの大仏





私は、タイでの修学に区切りをつけて還俗した後、タイからインドへと仏跡巡拝の旅に出ている。


そのなかで、佐々井師には、2週間ほどお世話になり、インド・ナグプールの周辺にある(周辺といっても車で2、3時間はかかる場所だ)仏教遺跡や各地で開催される現地の法要へと同行させていただいた。


とにかく佐々井師は、現地のインド人に大変人気で、あちこちから引っ張りだこだ。


毎日のように各地の仏教徒の集まりへと足を運ばれていた。



広大なインドの大地を車に揺られてひた走るのは、ある程度旅慣れていないと大変だ。


しかし、そこはさすが現地のインド人。


どうということはないようである。


私のような一介のバックパッカーまがいの仏跡巡礼者に対して、これほどまで親切にしてくださったことに大変恐縮であった。




佐々井師は、私のことを『日本から来た求道者だ!』と現地にいた日本人に紹介してくださった。


この言葉は、大変嬉しく感じたので、この時のことは鮮明に記憶している。


このような飾らない言葉からもわかるように、非常に人情味のあるお方で、大変親切かつ大らかなお方だ。


インド人から慕われ、まるで“家族”のような雰囲気であった。






ネーランジャラー河より
ブッダガヤ大塔を望む





もうひとつ、触れておくべきことがある。


インドの新仏教徒についてだ。



新仏教徒については、大学の仏教の講義でも触れらるほどで、日本でもその存在を広く知られている。


ところが、ほとんどの日本人は、インドに仏教徒はほとんどいないという事実を知らない。


仏教は、インド発祥なのだから、インドは仏教の国だとすら思っている。


ともかく、インドには仏教徒はほとんどいないわけであるが、仏教への集団改宗が行われる際の導師こそが佐々井師なのだ。



しかし、インドの仏教事情は、非常に複雑なのだということも、またあまり知られていないことである。


現在のインド仏教には、大まかに言って以下の4つの派閥がある。




1、在来の大乗仏教系インド仏教徒(チベット仏教徒、ネワール仏教徒など)


本来的な意味でのインド仏教徒であるといえようか。2以下は、近代になってインドへと入ってきた仏教である。数は少ないが、元々インドにも仏教徒が存在する。広い意味において大乗仏教、チベット仏教の系統に属する仏教である。

※国境を接しているバングラデシュのベンガル仏教徒を含める見解もあることを付記しておく。

※インド在来の仏教を大乗仏教系とするか、密教系仏教とするか、チベット仏教系とするかは見解が分かれる。


2、スリランカ系上座仏教徒(スリランカからの布教・移入(逆輸入)による上座仏教徒)


スリランカ人仏教徒アナガーリカ・ダルマパーラによって設立された大菩提会(マハー・ボーディ・ソサエティー/1891年創設)の仏教復興運動による上座仏教徒である。インド国内にある各仏教関係の巡礼地にはその仏教寺院が建立されており、僧侶が止住している。スリランカ上座仏教である。


3、チベットからの亡命によるチベット仏教徒(チベット人チベット仏教徒)


中国共産党によるチベットへの軍事侵攻(1948年~1951年)によるインドへ亡命してきたチベット人およびチベット仏教徒である。言うまでもなくチベット仏教である。


4、ビームラーオ・アンベードカル氏を中心とした集団改宗(1956年~以降)による仏教徒(所謂新仏教徒、ネオブディスト、インド人新仏教徒など)


アンベードカル氏に始まる仏教復興運動や仏教への改宗は、その後も続いている。佐々井秀嶺師は、この流れを汲む仏教徒の指導者である。上座仏教の系統に属する仏教である。



※ここに大雑把にインド仏教の流れを示したが、インド仏教徒の歴史やその変遷については、非常に複雑で単純ではない。例えば、仏教といっても、大きな流れとして大乗仏教なのか、テーラワーダ仏教なのかで大きく異なる。また、同じテーラワーダ仏教であっても、スリランカから入ったテーラワーダ仏教なのか、ミャンマーから入ったテーラワーダ仏教なのかも見ていかなければならない。また、教理や儀礼の方面からも見なければならない。例えば、儀礼がテーラワーダ仏教だからといって、教理もそのままテーラワーダ仏教であるというわけではないことも考えあわせなければならない。あるいは、その地域の仏教に関する歴史も考慮せねばならない。現在信仰されている仏教の宗派が、以前よりそのまま信仰されている仏教の宗派であるとは限らない。そして、戒律の流れは、どこの仏教から相承したものなのかも忘れてはならないだろう。このように、一言では語れない複雑さを持つのが現代インド仏教である。



佐々井師をはじめとする、集団改宗による新たな仏教徒たちが上記の4である。



ここで、4のインド仏教徒についての簡単な歴史に触れておく。


先述の通り、インドには従来からいるごくごく少数の仏教徒以外は、ほとんど仏教徒はいない。


インドにはヒンドゥー教における根強いカースト制度が存在することは、すでにご存じの通りかと思う。


ヒンドゥー教徒でありながら、階級のなかへさえ入ることを許されなかった不可触選民階級の尊厳を取り戻すために起こされた運動がアンベードカル氏(註2)を中心としたヒンドゥー教から仏教への集団改宗であった。


そうしたインド人たちの仏教への集団改宗が行われたのがナグプールという街であった。


こうしてアンベードカル氏の指導のもとで新たに仏教徒となったインド人たちの意思を引き継いだのが佐々井師である。



ところで、どうして私がインドにはこのような仏教事情があるということを知ったのかといえば、新仏教徒たちの間では、「ジャイ・ビーム」という挨拶があることを知ったのがきっかけであった。


「ジャイ・ビーム」とは、「ジャイ」は万歳、「ビーム」はアンベードカル氏の名前(アンベードカル氏は、正しくはビームラオ・アンベードカル氏という。)のことで、日本語に訳すならば、“アンベードカル氏万歳”といったほどの意味合いになろうか。


ところが、この挨拶は、アンベードカル氏を慕う所謂「新仏教徒」たちの間でだけの挨拶であり、「全インド仏教徒」たちの挨拶ではないということを現地で知った。


新仏教徒が多いナグプールの街ならば、現地の仏教徒たちと仲良くなることもあるだろうけれども、他の場所では適切ではないから使うことを控えておいた方が良いというアドバイスを受けた。



この記事をまとめるにあたり、ひと通りインターネットを調べてみたところ、このような事情については、触れられているものはなかった。


ゆえに、これは少し触れておこうかと思い立った次第である。


大学の講義でも触れられるほど偉大なアンベードカル氏。


そして、アンベードカル氏の意志を引き継ぐ日本人僧侶の佐々井師。


ところが、知れば知るほどインドの仏教事情は大変複雑なようだ。






ワット・パクナムの仏塔の内部
こちらは、2012年に建立された。
“インスタ映え”スポットして人気を集めている。






私がご一緒させていただいた当時、佐々井師はインド政府の少数者(宗教)委員会の仏教徒代表委員をなさっておられた。


デリーまで同行させていただいたことがあるので、このこともよく覚えている。


突然、「君もついて来るかい?」と気軽に誘ってくださるところが佐々井師らしい。


気軽にちょっと隣街まで行くというのではない。


列車に丸一日揺られていなければならないほど移動時間を要するほどの距離にある街である。


こんな面倒見が良くて、親しみやすいところからも、大変慕われている理由がよくわかる。


佐々井師も、このようなインドの仏教事情にあって、おそらく大変なのではなかろうかと思うところなのだが、実際にはいかがなものなのかが大変気になるところだ。



そんな佐々井師が、近年、日本でよく話題に挙がっている。


何度かご帰国されているようだ(インドへ帰化されているので、厳密には、“帰国”ではないのだが)。



佐々井師は、当時、インドへ渡ってから、ただの一度たりとも日本へは帰国していないと、私に話してくださった。


実は、佐々井師とは、(佐々井師は、おそらく覚えてはおられないだろうけれども)ちょっとしたプライベートな会話を交わしたことがある。


私は、自身の堰を切ったかのようにあふれ出してくる“煩悩”に対して、どのように対処していったらよいのかということを訊ねたことがあった。


これから日本へと帰国をすれば、そうした自身の煩悩と真正面から向き合っていかなければならないからだ。


そうした私の切々とした問いに対して、佐々井師にも大変煩悩に苦労させられた過去があり、特に“色情”地獄であったというお話をしてくださった。




「日本へ帰国するのが怖いんだ。怖いからこそずっとインドにいるんだよ。君と一緒で日本へ帰ると欲望にやられてしまうからね。はっはっはっはっーっ」




と、思いきり笑いながら自身のご経験を話してくださった。


この感覚が伝わるだろうか。


私は、日本で煩悩の海に溺れてしまうのが怖い。


実は、佐々井師も同じだったのだ。


大変親近感を覚えた瞬間であった。



どのように心の整理をつけて日本へご帰国なさったのだろうか・・・現にご帰国なさっておられるお姿を拝見させていただくと、何らかの区切りというか、心の整理がついたのではないかと拝察している。



是非とも、ご教示賜りたいと思うところである。




参考文献:

註1:

山際素男著『破天』光文社新書 に佐々井師について詳しく記載されている。


註2:

ビームラーオ・ラムジー・アンベードカル(1891年~1956年)

インドの政治家・ネルー内閣の法務大臣。反カースト運動の指導者。




(『佐々井秀嶺師とのご縁のお話』)






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