タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2021/05/09

タイの呪術


タイには、テーラワーダ仏教が伝来する以前、大乗仏教、特に密教色の濃い仏教が信仰されていたという歴史がある。


現在のテーラワーダ仏教諸国、特に東南アジアの国々は、それぞれの国によって仏教が伝来した時期は異なるのだが、タイ・ミャンマー、ラオス・カンボジア等、テーラワーダ仏教が信仰されるようになる以前、インドとの交流が盛んだったことから、大乗仏教、特に密教色の濃い大乗仏教とヒンドゥー教とがともに伝わり、信仰されていたという点で共通している。



タイの仏教について言えば、もともと中国文化の影響を受けたタイ族が建てたスコータイ王朝が大乗仏教を信仰したことに始まるが、南ミャンマーからスリランカ系のテーラワーダ仏教を取り入れたのが、現今のタイのテーラワーダ仏教の直接の始まりであるとされている。


以後、アユタヤ王朝もスリランカよりテーラワーダ仏教を移入して、テーラワーダ仏教一色となり、さらに仏教が隆盛して現在に至っている。



仏教の伝来以来、思想に変遷があったとしても、一貫して大乗仏教であった日本とは大きく異なる点だ。



ところで、こうした仏教の歴史を持つタイであるが、タイでもやはり呪術がとても盛んである。


ヒンドゥーの神々への信仰もとても盛んで、街のいたる所に神々の祠が祀られている。


おそらくは、こうしたテーラワーダ仏教以前からの信仰の名残を留めているのであろう。



一見するとテーラワーダ仏教とは、全く相容れないようであるが、実に上手く同居している。


こうした神々への信仰や呪術的な要素は、“在家”が行う信仰として脈々と受け継がれているのである。



敢えて“在家”が行う信仰だと記したのは、ひとたび、比丘となって出家をすると、ヒンドゥーの神々への礼拝は一切行わないからだ。


行わないというより、比丘は、行ってはならないことになっている。



この点は、出家と在家とでは、非常にはっきりとしており、在来の神々に対しても礼拝を行う日本の仏教思想とは異なる点である。



とはいえ、町のお寺では本来、仏教では禁忌とされている占いや呪術に長けた比丘や寺院も多数存在していて、積極的に取り入れているという印象すらあり、非常に大らかな一面があるのも事実である。


しかし、一方で瞑想修行系のお寺や森の修行寺などでは、こうした占いや呪術の類は、とても固く厳禁されているため、一切行わない。


行わないどころか、非常に敬遠される。



タイ人が大変好む「お守り」でさえも、一切頒布されていないのだ。


森の修行寺のこうした姿勢に私は非常に好感を覚えたのであった。



それは、ひとまず置いておくとして、実は、私も、こうした類のものは嫌いではないので、非常に興味がある。


タイの呪術も非常に奥が深い。


もちろん、タイには、現在でも呪術の専門家が多数存在していて、人々の悩みに応えているのである。



しかし、私は、タイのテーラワーダ仏教で出家をして、森の修行寺で瞑想を実践し、悟りを求めることを目的としてタイまで来たのである。


だから、興味があるとはいっても、あくまでも私の目的ではない。


それゆえに、敢えて近づくことをしなかった。



自分から近づいたわけではないのだが、タイの呪術について、たった1回だけ、ほんの少しカレン族出身の先輩比丘から教えてもらったことがある。


私の手元に残っている、当時の手帳に記録したごく簡単な呪術を紹介したい。



 霊に憑りつかれた時に、

「オン マーナ チ スワーハ」

と3回唱えてから、水に息を3回吹きかけて後、その水を口に含んで、憑りつかれた人にその水を吹きかける。


その後、

「カーヤ ワカ サ フーン」

と3回唱えた新しい水を飲ませてあげる。


すると、人間に憑りついた霊が離れていくのだという。



実際にやったことはないのだが、医者も何もなかった昔は、このようにして人々を救ったんだと先輩比丘が私に教えてくれた。


これは、明らかに真言(マントラ)だろう。


訳すとどのような意味のものになるのかが気になるところだ。


呪術について、さらに詳しいことが知りたければ、ミャンマーへ行けと言われた。


先輩比丘が言うには、ミャンマーのほうがタイよりも呪術が盛んで、さらに深く勉強できるのだそうだ。



もうひとつ面白いものがある。

それは、タイのお守りだ。


タイのお守りには、タイ文字ではない不可解な文字が刻まれていることがある。


例えば、この画像だ。








ここに刻まれているのは、タイ文字ではない。


ゆえにタイのお守りではあるが、タイ人にも文字を読むことはできない。



複数のタイ人に、画像にあるお守りの意味や使い方などを尋ねてみたが、結局のところは、はっきりとしなかった。


ただ「大切にしておくとよい」ということしかわからなかった。




画像のようなお守りは、折り曲げるなどして小さくしたうえで常に身につけていたり、家の壁に貼ったり、日本で言うところの神棚のような場所に置くなどして、大切にするということである。




タイ人によると、お守りを作った本人やお守りをくれた本人に、これはどういうお守りなのかということを直接聞かなければわからないということであった。


お守りを頒布しているお寺やお守りを作っている専門家がおり、そうした専門の人に作ってもらったり、呪力を込めてもらったりするということである。



日本人が日本のお守りの詳細な意味をよく知らないことと似ていて、どことなく親近感を覚えた。



さて、先程もすでに触れた通り、このお守りに書かれている文字は、タイ文字ではないため、一般のタイ人にはその意味は全くわからないのだという。



非常に興味深いことに、複数のタイ人に聞き込みをして得た答えの中に、お守りに書かれている文字は、「古いカンボジアの文字である」という答えや「コームの文字である」という答えが得られたことだ。


古いカンボジアの文字?コームの文字?・・・これは一体、何のことだかさっぱりわからいし、それぞれに一致しないその答えに戸惑いを感じたのだが、さらに調べていくと、これらのタイ人の答えから、かなり面白いことがわかった。



佐々木教悟著『上座部仏教』(1986年 平楽寺書店)によると、「コームの文字」とは、11世紀末から12世紀初めにかけての頃に使われていた古いカンボジア文字のことであり、現在のタイのテーラワーダ仏教(セイロン大寺派上座部仏教)がタイへ伝わる以前より使われていた文字のことである(『上座部仏教』「タイ族の仏教受容」3頁~16頁)。


また、スコータイ王朝第3代のラームカムヘン王がこの「コームの文字」を改正し、独特のタイ文字を考案したものが、現在のタイ文字であるとされている(『上座部仏教』8頁)、ということである。



よって、「古いカンボジアの文字」であるという答えも、「コームの文字」であるという答えも、答えとしては同じことを意味しており、一致しているということだ。



古い文化が現在でもこうしたところに伝承されているということは、非常に興味深いと感じるし、またとても面白いと感じた。


是非とも、お詳しい方のご教示をお願いしたいと思う。



私は、タイの呪術やお守りといっても、たったこれだけしか知らないが、もしも、もっと長くタイに滞在していたとしたら、瞑想やテーラワーダ仏教の教義・教学の他に、こうした方面のことをも深く調べてみたかったという思いもある。


あくまでも、私がタイへ渡った目的とは明らかに違うことではあるが、とても面白いではないか。


私の興味は尽きない。




(『タイの呪術』)







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