タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2020/11/19

悠久の時の中を生きる


私は、縁あって北タイ・チェンマイの山奥の小さな森のお寺で出家させていただいた。


森の中での生活は、まさに、悠久の時の中を生きる生活だ。



出家前の生活、すなわち日本での生活がいかに毎日全力疾走だったかがよくわかる。


全力でスタートして、全力で走る。


そして、全力でゴールする。


走り切って息をはぁはぁさせていたかと思ったら、また全力でスタートする。



そのような毎日を送っているのが私たちの姿なのではなかろうか。











全力で走っている時は、思い切り走っている。


周りの景色など見てはいない。


そのような余裕などない。



全力で走っているから、足元を見ることもない。


後ろを振り返ることも絶対にないだろう。


世の真理に思いを致し、事象の移り変わりを観察するほど落ち着ける間がないのだ。


ともすると、そのような発想すらないのではないだろか。



森のお寺では、日本でこのような生活を送ってきた私にとって、衝撃といっても過言ではない程の素晴らしい生活が展開されていた。



来る日も来る日も、ただひたすら同じことを繰り返す。


そこでは、急ぐこともなければ、焦ることもない。



嗚呼、今まで縛られてきた曜日など人間が作ったものに過ぎなかったのだ。



そうしたことが、ただ森の中に佇んでいるだけで身に染みて理解ができるのである。



少し生きるスピードを緩めてみてはいかがだろうか?



ほんの少しでいいと思う。



ゆっくりと丁寧に生活してみてはいかがだろうか?



周りの景色は、どのような景色だろうか?


足元には、何があるだろうか?


隣は、どのようになっているだろうか?


後ろには何が見えるだろうか?



ゆっくりと歩くと、見える景色、感じる雰囲気、ものごとの考え方やとらえ方が変わってくる。


ほんの小さなことがはっきりと見えてきて、喜べるようになる。


ちょっとした変化にもよく気づけるようになる。



もしも、全力で走っていたとしたら、ほんの少しだけ生きるスピードを緩めてみるといい。



タイの森の中の生活は、悠久の時の中を生きる生活だ。



(『悠久の時の中を生きる』)








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