タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2020/06/29

ひとつの瞑想法を深めること

近年、「瞑想難民」であるとか、「瞑想ジプシー」などといった言葉をよく聞くようになった。
一体、何を意味する言葉なのかと言えば、あれやこれやといろいろな瞑想法をかじってみたり、あちらがいいと聞けばその瞑想法に変えてみたり、あるいは、すぐに瞑想の先生を転々と変えてみたり、渡り歩いている人のことを言うそうだ。 もっとも、そのようにしている過程で、これだと思う瞑想法や生涯の瞑想の師と出会うことができれば幸運であろう。 ところが、大抵の場合は、結果的にどの瞑想法がいいのかの判断もできないまま、全てが中途半端に終わってしまうことが多い。 現在のタイで実践されている瞑想法は、一部を除き、概ね要点は同じであると言える。 当然のことながら、瞑想法自体が違うため、一見すると全く別物のように見えることがある。 しかし、それは、概ね要点は同じ瞑想法なのだから、ただ入口が違うだけだ。 とはいえ、得意・不得意があるだろうし、合う・合わないもあるだろう。 ゆえに、いくら向かう先は同じであるとは言いつつも、やはりその違いが大きい側面もあると言える。 しかしながら、まずは、ひとつの瞑想法を深く実践し、修めるべきであるということをお伝えしたいと思う。
ひとつの瞑想法を深く掘り下げて、実践していかなければ、本物の学びとはならない。 ある程度の確信に至るまでは、ただひたすら実践し、ただひたすら継続するべきだ。 どれも浅い段階で、しかも確たるものも得ていないにもかかわらず、瞑想法を転々と変えてしまうと、結局のところは、全てが中途半端な状態となってしまい、さまざまなものが混同し、交錯した状態となり、混乱を招いてしまうため、やるべきではない。 体験的に複数の瞑想法を学ぶことはいいだろうと思う。 しかし、どの瞑想方法がいいのか? どの瞑想の先生がいいのか? このようなことは、大変迷うところかとは思うのだが、適当なところで絞り込むべきである。 さまざまな瞑想法を渡り歩いたとしても、何ひとつ問題は解決しない。 ひとつの瞑想法で、十分に問題解決をはかることができる。 (ここでは敢えて、問題解決ということを強調しておくこととする。) 言い換えると、ひとつの瞑想法を深く学び、実践していきさえすれば、解決に至らない問題はないということである。 ひとつの瞑想法を継続して、深く実践していれば、十分に対応可能だということだ。 私は、ブログやYouTubeの動画の中において、さまざまな瞑想法を紹介しているが、基本的には、ひとつの瞑想法の応用でしかない。 日常生活の中で心を落ち着ける手段として、各個人が実践しやすいものを実践していただき、日々の安らぎにつなげていただきたいという思いと、瞑想法を選択する際の参考にしていただけたらという思いで紹介をさせていただいている。 ひとつの瞑想法を深く、しっかりと実践していけば、他を知る必要はない。 ひとつの瞑想法の実践を継続していれば、一定の確信が生まれてくるはずであるし、また自信も生まれてくるはずである。 すると、他のことにも応用することができるようになるはずだ。 他の瞑想法を学んだり、触れたりするのは、それからでも遅くはない。



(『ひとつの瞑想法を深めること』)








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