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タイ人に「タイに新興宗教はあるの?」と尋ねると、必ずと言っていいほど「タイには新興宗教はない。」と返ってくる。
なかば“新興宗教慣れ”してしまっている日本人にとっては驚きの回答なのだが、おおむね正しいかとは思う。
確かに、タイは敬虔なる仏教国。
タイの人々はみな篤く仏教を信仰しており、町のどこを見渡してみても、またタイ人の誰と話しても、新興宗教らしきものの欠片(かけら)すら感じることはない。
むしろ、まさにこの姿こそ三宝が生きている国の姿だと思うほどだ。
しかし、「タイには新興宗教はない。」というタイ人の答えは、私の目から見ると、必ずしも確かではなく、やはりタイにも新興宗教はあるではないかと感じる。
なぜならば、少なくともタイには日本の新興宗教団体の支部が存在しているからだ。
しかも、ひとつの団体だけではなく複数ある。
そうした現状から言えば、やはり「タイにも新興宗教は“ある”。」と、私は感じるのであるが、これは言い過ぎであろうか。
タイで出会ったある日本人がこんな面白いことを私に言ってきた。
その言葉が非常に印象に残っている。
「君は、タイの3大新興宗教を知っているか?」
その日本人の彼は、続けて私に言うのであった。
「それは、ワット・ノーンパーポンとワット・タンマカーイ、そしてサンティアソークだ。」
彼の言葉を聞いたその時、私はすぐさま日本で読んだことのある『ブッダ大いなる旅路2 驚きの信仰の風景 南伝仏教』(※1)に書かれていた記事のことを思い出した。
その書籍の中に収録されている論考にも同じくこれら3つの寺院の名前が挙げられており、「仏教実践の新しい動き」(※2)という表現を用いて紹介されていたのである。
私は結果的に、サンティアソークを除く、ワット・ノーンパーポン(支院)とワット・タンマカーイへは実際に足を運び、一定期間寺院に滞在させていただき、修行生活を送らせていただいた。
それゆえに、その日本人の彼が言うのもなんとなくは理解ができる部分もあると感じる一方で、かなり言い過ぎな部分も多分にあると感じた。
ワット・パー・ナーナチャート(国際森林寺院)は、 外国人専門の僧院として有名。
この僧院で配布されていた 外国人向けの英語版のパンフレット。
ワット・ノーンパーポンの系列寺院のひとつである。 |
ワット・ノーンパーポンは、タイの著名な高僧アチャン・チャーによって創建された僧院で、私もその支院にて長らく修行生活を送らせていただいたことがある。
『ブッダ大いなる旅路2』が指摘しているように、「仏教実践の新しい動き」のひとつである慣習的な仏教を離れて、より仏教の本質を追求しようとする、いわばブッダへの回帰を目指した姿勢を感じ取ることができる。
それが故に、厳格に戒律が守られていることや厳しい修行生活でも知られており、瞑想や修行がしたいのであれば、あそこへ行けと言われるほどだ。
批判的に捉えるタイ人は皆無であり、消極的な話題も一切聞くことはなかった。
それどころか、現在においてもアチャン・チャーは、タイの人々から篤く尊敬され、敬愛されている。
また、非常に高く評価されており、タイが誇る著名な高僧のひとりとなっている。
また、非常に高く評価されており、タイが誇る著名な高僧のひとりとなっている。
ワット・タンマカーイのパンフレットより。
ワット・タンマカーイのシンボルである 巨大なチェディ(仏塔)。
非常に広大な敷地を有する大寺院である。
|
ワット・タンマカーイもタイでは誰もが知る非常に話題性のある大寺院であるが、タイ国内においては賛否両論ある寺院(※3)だ。
熱烈に信仰し、支持する人たちが多数いる反面、教義的な方面や寺院運営上の方面より非常に厳しく批判をする人たちも多数いる。
私は、そうした評価がある寺院であるということは十分承知のうえでワット・タンマカーイを訪問し、一週間程滞在させていただき、寺院の比丘達とともに生活させていただき、瞑想指導を受けてきたが、寺院内での生活や瞑想実践に対する姿勢については、非常に真面目である。
『ブッダ大いなる旅路2』によれば、
「国内の各県に支部を有し、海外布教も積極的に行う仏教団体となっている。また、マスメディアを利用した積極的な布教や在家信徒への瞑想指導などでも有名な団体である」(※4)
と指摘されており、私が見たワット・タンマカーイの姿もまたその通りであった。
ワット・タンマカーイでいただいたパンフレット。 私が寺院を訪問した当時のものである。 |
ワット・タンマカーイのパンフレットより。
正面の仏像もまたチェディ(仏塔)とともに、 ワット・タンマカーイ独特の様式のものである。
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講堂の巨大モニターを中心にして、境内の各所にいくつも設置されたモニターで説法が同時生中継され、さらに同時通訳されて世界へ発信されているその景色を見て非常に驚いた。
当時の日本でも見たことがないほどのハイテクを駆使したその手法。
非常に活発な布教活動は、まさに「仏教実践の新しい動き」そのものであるとも言える。
賛否両論分かれる寺院ではあるが、タイ国サンガの一員であり、マハーニカイに属する正統なる寺院でもある。
そのような意味では、独立した新興宗教などではないだろう。
だからこそ、私のように他の寺院で出家をしてきた者であっても「客僧」としての扱いではあるが、同じ仏教の出家者として扱ってもらえるのである。
しかし、いくらタイ国サンガに属しているとは言いつつも、もしも、教義解釈や実践面において仏教から逸脱しているというのであれば、それはすでに新興宗教ということになるのではないだろうかと私は思う。
最後にサンティアソークというのは、より厳格な出家入門規定や菜食主義を徹底させ、さらに中央サンガからの離脱を宣言した集団で、
現在でも、サンガとは別にひとつの独立した仏教団体として、またひとつの宗教団体として活動しているのだという。
この集団の支持層(信者層)には、政治家なども多数いるようで、タイではやはり知られた集団となっている。
実は、何人かのタイ人にサンティアソークについて尋ねてみたことがあるのだが、「今でも活動をしているみたいだ。」という話が聞けた以外は、残念ながら何も情報を得ることができなかった。
この集団の支持層(信者層)には、政治家なども多数いるようで、タイではやはり知られた集団となっている。
実は、何人かのタイ人にサンティアソークについて尋ねてみたことがあるのだが、「今でも活動をしているみたいだ。」という話が聞けた以外は、残念ながら何も情報を得ることができなかった。
それ程この集団に対して興味がないためなのだろうか、明確な答えは返ってこず、関心も薄い様子だ。
もっとも、私自身もこの集団に対してそれ程関心が高かったわけではなく、私の目的とも離れていたため、さらに深く聞くこともしなかった。
もしも、機会があれば、ぜひ訪問してみたかった気もするが、私は、タイの宗教情勢や際立った活動の寺院、あるいは新興宗教を調査するためにタイへ来たわけではない。
あくまでも「好奇心」の範囲ということになろう。
ある日本人が何気に言ったであろう言葉・・・「君は、タイの3大新興宗教を知っているか?」
彼の「新興宗教」という表現が必ずしも正しいとは思わない。
しかし、現代タイ仏教を語るうえで「新たな仏教実践」という“かたち”を外すことはできないだろう。
特に、ワット・タンマカーイの存在は、すでに避けては通れない非常に際立ったもので、特筆すべき存在であるかと思う。
今回の記事では、『ブッダ大いなる旅路2』に採り上げられていた3つの寺院を話題に挙げたが、特長的であるという意味では「新興宗教」と言えなくもないが、その表現はやはり不適切だろう。
また、どれも“仏教寺院”であるという意味では、「タイには新興宗教はない。」と答えるタイ人の言葉は十分に頷ける。
こうした非常に特長ある活発な仏教の実践活動を「良い」と見るのか、「悪い」と見るのか。
あるいは、それらをどのように理解し、どのように捉えようとするのか。
それらは、各個人の問題であり、各個人の感じ方である。
各々ご判断いただきたいと思う。
私がタイで出家し、修学を志した目的は、ただただブッダに憧れて、ブッダの生き方やブッダが教えたことを身をもって学びたかったからだ。
そして、私の生き方と私の生きる道を求めたかったからである。
大切なのは、ブッダがどのように生きたかを学ぶことだ。
教義解釈や実践面において仏教から逸脱しているかどうか、ブッダの教えたことがらに沿っているかどうかなのではないかと思う。
もしも、そこから逸脱していたり、仏教とは全く異なるようなことを教えているというのであれば、サンガに属していようといまいと、それはすでに「新興宗教」ということになるのではないかと私は思う。
脚注:
※1、
< 参考文献 >
『ブッダ大いなる旅路2 篤き信仰の風景 南伝仏教』 1998年 日本放送出版協会
※2、
『ブッダ大いなる旅路2』 148頁
林行夫「タイの「森の寺」ーその歩みと社会的背景」
※3、
ワット・タンマカーイもタイ仏教の宗派であるマハーニカイに属している。決して独立した宗派や単立の仏教団体、独立した個別の宗教団体というわけではない。
タイでは、寺院単位での活動が非常に活発で、師弟関係や別院・支院といった形で広がり、繋がり(集団やグループ)を形成することがある。
※4、
『ブッダ大いなる旅路2』 198頁
矢野秀武「家族の絆と仏教ー変わりゆく家族と報恩」
※5、
同。
『ブッダ大いなる旅路2』 198頁
矢野秀武「家族の絆と仏教ー変わりゆく家族と報恩」
※6、
今回の記事は、私が実際に体験し、感じたことがらを基に記述しており、また私がタイで出家をしていた当時の状況を基に記述しています。
(『タイの新興宗教!?』)
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2 件のコメント:
ブログ拝見しました。
タンマカーイについては、数年前、ミャンマーに滞在中に、タイで出家した日本人比丘から、殆ど新興宗教に近いもので、タイ国内でも問題(具体的には何も聞いてませんが)を生んでいるという話を聞いたことがあります。私自身は、三河島にあるタンマカーイの寺院を一度訪問してことがあるだけで、その内実はよくわかっていません。ちなみに、友人の在日タイ人は、あまり良く思っていないようです。
ノーンパーポンを新興宗教と捉える見方があるというのは始めて知りました。確かに多数派の僧院から見れば、ある意味、新興勢力であると捉えることはできるかもしれませんが、新興宗教とまでは言えないでしょうね。
ちなみにミャンマーでは、ウィラトゥ師に代表される仏教過激派のような活動はあるのですが、仏教系の新興宗教という話は聞いたことがありません。単に私が知らないだけかもしれませんが。ただ、ミャンマーの上座仏教は現在9宗派が存在していますが、中には超自然的は霊力などを認める僧侶もいるようで、同じ上座仏教といっても、ある程度幅がある感じです。
パーラミー様
ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。
その日本人はちょっと言い過ぎなのではないかと思います。私自身は、新興宗教などとは考えていませんし、タイ人自身も「タイには新興宗教はない。」という答えの通り、誰も新興宗教だとは考えていません(批判はあるにせよ・・・)。
特にノーンパーポンについては、仏教の真髄を求めた“かたち”として非常に素晴らしい森のお寺であると思います。ただ、数あるタイの森のお寺のグループの中では非常に特長的で結束力が強いグループであるとは感じます。
タンマカーイについては、記事にも書いていますが、現代タイ仏教を語るうえでは避けては通れない存在で、おっしゃる通りの評価がある寺院です。また、お友達のタイ人もおっしゃっている通りの評価がタイ国内においてもあります(私は、結構露骨に言われたことがあります)。ここでは、これ以上の言及は控えておきます・・・。
日本人からすれば“新興宗教”そのものに見えますが、タイサンガに属する一寺院で、まぎれもない「仏教寺院」ですが、どちらかと言うと保守的な傾向にある上座仏教にあっては、あまりにも突出した存在です。
このあたりに関しては、個人的には非常に興味を持っています。もしも、機会があればさらに深く調べてみたいものです。しかしながら、ひとつ言えることは、日本の宗教事情とは大きく異なり、仏教の「宗派」のとらえ方、「新興宗教」のとらえ方や概念そのものに大きな違いがあるため、簡単には言い表せないのではないかと思います。
ミャンマーの仏教過激派や超自然的な霊力を認める一派の思想にもとても興味を持っています。特に仏教過激派については一時期話題になりましたね。こちらのほうも、もし機会があれば是非詳しく知りたいと思います。
コメントをいただきましてありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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