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タイ人にとって、お寺とはとても身近な存在だ。
日常生活の“ひとコマ”そのものであると言える。
タイの人々は、ごく日常的にお寺や比丘たちに対してお布施をするという話は、何度となく触れてきたことであるが、お寺とはそうした「徳を積む」場であるだけではない。
生活上の悩み事や、困りごと、心配事を話すことができる場でもあるのだ。
すなわち、「相談」に乗ってもらえる場であり、話を聞いてもらうことができる場がお寺なのである。
特に悩み事などなくてもよい。
ちょっと話を聞いてもらいたいからお寺へ行って来よう、でもいいのだ。
タイで購入した絵葉書より。
~チェンマイのある有名寺院の風景~
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仏教の智慧でもって、解決方法や進むべきを示してくれる比丘もいるだろう。
ただただ頷き、励ましてくれる比丘もいるだろう。
比丘の法話や説法を聴くだけでもいいだろう。
発展著しいタイであるが、お寺は現在でもそうした機能を担っている。
お寺は、人々の精神生活の中心的存在であり、“比丘”が人々の心の拠り所ともなっているのだ。
また、修行寺や瞑想を教えているお寺などであれば、悩み事を聞いてもらったり、話を聞いてもらったりするだけではなく、瞑想することもできる。
話を聞いてもらった後、思い思いに瞑想し、それぞれの心を整理し、心を穏やかにして帰ることもできる。
タイでは自分が気に入ったお寺へ行けばよい。
どんなタイプのお寺に行くかは、その人次第だ。
タイ人にとって「お布施をすること」は、ひとつの大きな喜びであり、楽しみともなっている。
それだけではなく、悩み事や話を聞いてもらいたくてお寺へ行くこともある。
悩み事を話して、比丘からヒントを得るもよし。
ただただ比丘に話を聞いてもらうもよし。
あるいは、一人静かに瞑想して心を落ち着けるもよし。
何を願ってお寺へ足を運ぶのかは人それぞれだ。
お寺は、徳を積む場であるばかりではない。
現実の悩みに対して解決の手がかりを与えてくれる場であり、現実の生活をより穏やかに過ごしていくための示唆を与えてくれる場でもある。
相談をして答えが出るか出ないかは、それほど問題ではない。
お布施をして徳を積むことができて、話をじっくりと聞いてもらえること自体に意味があるのではないかと私は感じた。
自由に来て、自由に過ごすことができる、そして心が安らかになって、穏やかになることができる場所こそがお寺だ。
お寺とは、「福田」である。
はたして、日本人にとっての「お寺」とは、一体どのような場所であるのだろうか・・・。
(『悩み事・・・そうだお寺、行こう。』)
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2 件のコメント:
お久しぶりです。
お寺は、ミャンマー人にとってもとても身近な存在です。
お坊さんは、ミャンマー語で「ポゥンジー」というのですが、フォーマルな場は別として、人々は実際にはお坊さんのことを「ポンポン」と呼んだりしています。一種の愛称ですね。お坊さんはミャンマーでも、悩み相談から世間話まで何でも話せる存在になっています。
お寺も、日本で言えば本堂や仏殿にあたる場所で、瞑想や読経している人だけではなく、昼寝していたり、お弁当食べてる人がいたりと、結構自由に利用しています。
いつもゆったりとした時間が流れている感じです。
また、境内の広いパゴダ(仏塔)などは、若い人たちのデートの場所にもなってますしね。
瞑想センターにいると、ウポーサタ(布薩)の日には、日帰りのにわか修行者が大勢集まるのがわかります。その修行者も、真剣に瞑想する人から、ほとんど井戸端会議やってるだけみたいな人たちまで様々です。いずれにしても、みんな、毎月、お寺に集まるのが楽しみになっているようです。
本当に、お寺は人々の心のよりどころになっていますね。
パーラミー様
ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。
とってもいいですね。お寺のそういった雰囲気を想像するだけでもとても心が和みます。タイも全く同じです。私は、町のお寺でも生活を送ったことがあるのですが、町のお寺も非常に人情味あふれるとても温かな場所です。一方で、森のお寺ではミャンマーと同じく、真剣に瞑想をする人から、まるでピクニックに来ているかのような人まで実にさまざまです。
しかし、それが良いとか悪いとかいうわけではなく、どの人にとっても晴れ晴れとした気持ちになって家に帰ることができる、そんな憩いの場であり、心の拠り所であるのがお寺という存在なんですよね。
日本のお寺も是非ともそのようにあって欲しいものだと思います。「ポンポン」というのは、またとても愛らしい愛称ですね。
コメントをいただきましてありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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