誰もが必ず「お守り」を持っている。
街の中では、首からお守りをかけている姿をよく見かける。
また、車の中では、運転席の近くにお守りがいくつも置かれているのをよく見かける。
バスやタクシーをはじめ、タイの車の多くは、数々のお守りに守られているのだ。
“お守り好き”なところは、どこか日本にも通じるところがあり、とても親しみを感じるものがある。
タイも日本と同様に、非常にたくさんの種類のお守りがある。
私は、お守りを見ているのは嫌いではないし、むしろ興味深くて、飽きることがないくらいだ。
バスやタクシーをはじめ、タイの車の多くは、数々のお守りに守られているのだ。
“お守り好き”なところは、どこか日本にも通じるところがあり、とても親しみを感じるものがある。
タイも日本と同様に、非常にたくさんの種類のお守りがある。
私は、お守りを見ているのは嫌いではないし、むしろ興味深くて、飽きることがないくらいだ。
徴兵制があるタイでは、「お守りを身につけていると、鉄砲の玉に当たらない。」と言われている。
タイでは非常によく知られた話で、タイへ行ったことのある人であれば、こういった話を耳にされたことがある人も多いのではないかと思う。
タイでは非常によく知られた話で、タイへ行ったことのある人であれば、こういった話を耳にされたことがある人も多いのではないかと思う。
お守り好きなタイと日本であるが、一方で日本とは大きく異なる一面がある。
お守りとは、そもそもは寺院から授与されるものであるが、日本と大きく異なるのは、お守りそのものが取引きの対象となったり、売買されたりすることがあるという点である。
場合によっては、“プレミア”がついたり、高い値段で取引きされることもあるのだと言う。
お守りとは、そもそもは寺院から授与されるものであるが、日本と大きく異なるのは、お守りそのものが取引きの対象となったり、売買されたりすることがあるという点である。
場合によっては、“プレミア”がついたり、高い値段で取引きされることもあるのだと言う。
その価値は、お守りの古さであったり、希少価値であったり、そのお守りがどういう履歴を持っているのかで決まるのだそうだ。
なかでも特に価値の決め手となるのは、有名な僧侶が「力」を込めたものや、お守りが持つ霊力の強さ、ご利益の大きさなのだという。
なかでも特に価値の決め手となるのは、有名な僧侶が「力」を込めたものや、お守りが持つ霊力の強さ、ご利益の大きさなのだという。
お守りが取引きの対象となっている点は、日本の感覚からすると少々違和感を覚えるかもしれないが、一方で非常に興味深いと私は感じた。
タイでは、お守り専門の雑誌や書籍なども販売されているほどで、深く信仰されていると同時に、強い関心の的ともなっているのだ。
タイ人にお守りを見せると、必ずまずは「まじまじと」そのお守りを見る。
そして、必ず裏側を見る。
タイでは、お守り専門の雑誌や書籍なども販売されているほどで、深く信仰されていると同時に、強い関心の的ともなっているのだ。
タイ人にお守りを見せると、必ずまずは「まじまじと」そのお守りを見る。
そして、必ず裏側を見る。
なぜかと言うと、多くの場合は、お守りには「名前」が付けられているそうで、裏側には、そのお守りを授与した寺院名と住所が記載されており、どこのお寺のお守りなのかが記されているからである。
タイのお守りに関して、その意味やルーツなどを紐解こうとすると、非常に奥が深く、お守りの研究書ができる程の深みがあると私は思う。
よりお詳しい方のご教示をお願いしたいところである。
タイのお守りに関して、その意味やルーツなどを紐解こうとすると、非常に奥が深く、お守りの研究書ができる程の深みがあると私は思う。
よりお詳しい方のご教示をお願いしたいところである。
私は、タイのお守りに関して全く詳しくないが、ここでは私の手元にあるお守りとそのエピソードを交えながらの思い出話として気軽にご覧いただければと思う。
私の手元には、いくつかタイのお守りがある。
「これは、あなたにあげますね。」
と、私のところへ集まってきたものだ。
「これは、あなたにあげますね。」
と、私のところへ集まってきたものだ。
タイの人達は、打ち解けてきたり、お互いに気を許せるような間柄となると、よくお守りをプレゼントしてくれたりする。
とても懐かしい。
私がタイへ入国してまだ日が浅い頃、タイの在住歴が長い、ボランティア活動をなさっておられるという、とある日本人から教えてもらったことである。
とても懐かしい。
私がタイへ入国してまだ日が浅い頃、タイの在住歴が長い、ボランティア活動をなさっておられるという、とある日本人から教えてもらったことである。
私が、「タイ人から、このようなもの(お守り)をもらったんです。」と、その日本人に話したところ、「そのタイ人は、随分と君に心を開いてくれたんだね。」と驚かれた。
「なかなかこんなに大切なものを人にあげるなんてことはないんだよ。君に何かを感じたんじゃないかな。」と、笑いながら教えてくれたのだった。
「なかなかこんなに大切なものを人にあげるなんてことはないんだよ。君に何かを感じたんじゃないかな。」と、笑いながら教えてくれたのだった。
その後もタイで生活を送っていくなかで、出会ったさまざまな人達と少し心が通うようになると、お守りを手渡してくれるのであった。
その日本人が言うように、私に対して心を開いてくれたのだろうか。
私は、そのように信じて、そのたびに・・・ああ、私のことを信頼してくれたんだな・・・と、心温まるのであった。
おそらく、私が持っているものは、それほど高価なものではないとは思うが、タイで出会った人々の気持ちと、思い出としての価値はあるのではないかと思う。
そんなタイのお守りであるが、なかでも特に思い出深いお守りをいくつかご紹介したいと思う。
私は、そのように信じて、そのたびに・・・ああ、私のことを信頼してくれたんだな・・・と、心温まるのであった。
おそらく、私が持っているものは、それほど高価なものではないとは思うが、タイで出会った人々の気持ちと、思い出としての価値はあるのではないかと思う。
余分なことではあるが、ついつい世俗的な“ご利益”をも期待してしまうのは、私がまだまだ修行が足りていないことの証なのだと思う。
そんなタイのお守りであるが、なかでも特に思い出深いお守りをいくつかご紹介したいと思う。
<合掌>
私にタイ語を教えてくれたチェンマイのお寺で 一緒に過ごした友人からいただいたもの。
どうにかタイ語の勉強を続けることができたのは、 ひとえに彼のおかげだ。
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このお守りは、私にタイ語を教えてくれた大変お世話になったその友人からいただいたものである。
彼は、私と同い年で、チェンマイのお寺でともに過ごした。
そして、マンツーマンで私にタイ語を教えてくれた。
その後、彼は、バンコクのある大寺院へと移り、ある高僧のお世話係として過ごした後、アメリカにあるタイ寺院へと移り、併設されているタイ人学校で仏教の布教師であると同時に、在米タイ人の英語教師として教壇に立っていたそうだ。
アメリカの地で英語に磨きをかけた彼は、今では英語が非常に堪能だ。
アメリカの地で英語に磨きをかけた彼は、今では英語が非常に堪能だ。
私が、バンコクの大寺院で止住している彼を訪ねた際に、とても綺麗なお守りだからと、私へプレゼントしてくれたものである。
最も記憶に残っている、最も思い出深いお守りだ。
最も記憶に残っている、最も思い出深いお守りだ。
<合掌>
記念にお守りを手渡されることも多い。
宝石がはめ込まれているものはとても珍しい。 |
これは、住職の随行として北タイにある修行寺を訪問した際にいただいたもの。
住職から、「彼は、日本人だよ。」と紹介された際、修行寺の方が記念にと私へ手渡してくれたものである。
宝石がはめ込まれており、全体に金箔が貼られている。
私の手元にあるお守りの中で、宝石がはめ込まれている形態のお守りはこれしかない。
私の手元にあるお守りの中で、宝石がはめ込まれている形態のお守りはこれしかない。
後日、これをお寺の比丘に見せたところ、やはり、“まじまじと”このお守りを見たあと、“お守りにはそれぞれ「名前」が付けられている”ということを教えてもらった。
結局、このお守りには、「名前」は付けられてはいないようであったが、穴が開くかと思うほど“まじまじと”見つめる様子は、少々面白く感じた。
結局、このお守りには、「名前」は付けられてはいないようであったが、穴が開くかと思うほど“まじまじと”見つめる様子は、少々面白く感じた。
みんなお守りには興味津々なのだ。
<合掌>
お守りの色やデザインはさまざまで、 このように黒いお守りもある。
デザインは、ブッダや高僧であることが多く、 これは高僧をかたどったものだろう。
残念ながら、この高僧が誰なのかはわからない。 |
これは、ビザの延長手続きのためにチェンマイ市内へ行った帰りのバスの中で、偶然、隣に座ったお坊さんからいただいたもの。
タイのバスは、比丘や沙弥が座る、いわゆる“お坊さん席”が決められていることが多く、バスに乗ると大抵はそちらへと案内される。
そこで同席したのが、このお守りをくださったお坊さんであった。
そこで同席したのが、このお守りをくださったお坊さんであった。
決して小綺麗とは言えない彼の風貌から、大変失礼ながら、内心では「怪しそうな人だな・・・」と思ったのであるが、不思議なものでお坊さんというだけで、なんとなく安心してしまうものだ。
私が日本人ということで、珍しかったのだろうか、それはもう実にいろいろなことを一方的に話しかけられた。
どこのお寺の方で、どのような方なのかも聞くことはしなかったのだが、人懐っこくて、少しお節介で、かつ親切で、決して悪い人ではなさそうなのはわかる。
私が日本人ということで、珍しかったのだろうか、それはもう実にいろいろなことを一方的に話しかけられた。
どこのお寺の方で、どのような方なのかも聞くことはしなかったのだが、人懐っこくて、少しお節介で、かつ親切で、決して悪い人ではなさそうなのはわかる。
結局、そのお坊さんのほうが先に降りて行かれたのであるが、私はバスに乗っている間ずっと話しかけられていた。
これを見ると、その時の私の緊張感と困惑感・・・そして、そのお坊さんの人懐っこさが蘇ってくるようだ。
タイの人達の温かな人柄に触れると、私の心も温かくなってくる。
タイで生活をしていくなかで、いつしか私の方も、機会があるごとに“友情”と“感謝”を伝える、せめてもの印として、お世話になった人達にお守りをプレゼントさせていただくようになったことが何度かあった。
微笑みでもって受け取ってくれるその時の表情・・・そして、その時の情景が今も忘れることができない。
※参考文献:
石井米雄監修 『ブッダ 大いなる旅路2 篤き信仰の風景 南伝仏教』 1998年 NHK出版 156頁~160頁にタイのお守りや仏像に関するレポートの記述がある。非常に面白い。
< つづく ・ 「タイのお守りとタイで出会った人々2」 >
(『タイのお守りとタイで出会った人々1』)
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これを見ると、その時の私の緊張感と困惑感・・・そして、そのお坊さんの人懐っこさが蘇ってくるようだ。
タイの人達の温かな人柄に触れると、私の心も温かくなってくる。
タイで生活をしていくなかで、いつしか私の方も、機会があるごとに“友情”と“感謝”を伝える、せめてもの印として、お世話になった人達にお守りをプレゼントさせていただくようになったことが何度かあった。
微笑みでもって受け取ってくれるその時の表情・・・そして、その時の情景が今も忘れることができない。
※参考文献:
石井米雄監修 『ブッダ 大いなる旅路2 篤き信仰の風景 南伝仏教』 1998年 NHK出版 156頁~160頁にタイのお守りや仏像に関するレポートの記述がある。非常に面白い。
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2 件のコメント:
ブログ拝見しました。
タイのお守りって、プラクルアンですよね。我が家にも、昔、バンコクの寺院などで買ったものが2つほどあります。あと、プラクルアンなのかどうかわかりませんが、高さ3cmくらいの金属製のミニチュア仏像、高僧像もあります。バンコクに旅行に行った際のお土産に買ったものです。ミニチュア仏像、高僧像は、友人などへのお土産にも丁度よかったので、何体も買った記憶があります。仏像よりも高僧像の方が渋みがあって好まれていました。そういえば、こうした仏像の底面には、銅製の円形栓があり、仏像内部に何か封印されているようです。仏像を振ると、カラカラと小さな音がします。これって、何が封印されているのでしょうか。
ちなみに、ミャンマーではプラクルアンに相当するものは見かけたことはありません(私が知らないだけかもしれませんが)。タクシーなどには、透明プラケースに収められた小型仏像などがダッシュボードの上に鎮座していたり、高僧や仏像のプロマイドがぶら下げてあったりします。ミャンマーでは、人気のある仏像や高僧のほか、ウェイザーと呼ばれる霊能者などのプロマイドが、寺院の境内などでよく売られています。
パーラミー様
ブログをお読みいただきましてありがとうございます。
そして、コメントをいただきましてありがとうございます。
どのようなものをご購入されたのか、とても興味がありますね。高僧像の方が好まれるとのことですが、わかるような気がします。個人的な感覚なのですが、高僧像が持っている“渋み”に「力」がありそうだと思うのは私だけでしょうか。日本には、こうした高僧の像や高僧に関する「お守り」というのは少ないですからね。
いわゆるタイのお守りには、実にさまざまなタイプがあります。お手持ちのものはどのようなタイプのもので、中には何が入っているのか、残念ながら私にはわかりませんが、一般的には仏像や高僧像の中身は空洞であることが多いです。
ミャンマーのタクシーにも小型の仏像が置かれているのですね。こちらもどのようなものなのか、非常に興味があります。
ミャンマーの仏像や高僧の写真は、タイで見たことがあります。私は、タイの中でもミャンマーに近い地域のお寺にいたため、おそらくミャンマーから入ってきていたのかもしれませんね。同じお寺にいた比丘に尋ねてみたところ、この写真はミャンマーでは非常に有名なお寺のブッダなのだと説明されました。ミャンマーでもブッダや高僧の写真は、やはり「お守り」なのでしょうか。ウェイザーの写真には霊力が宿っているとされているのでしょうか。・・・興味が尽きません。
ミャンマーのお話を聞かせていただきましてありがとうございました。
機会がございましたら、是非たくさんのお話を聞かせていただきたいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
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