タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/05/28

還俗


私が還俗した寺。
それは、私の出家した寺だ。

静かな森の寺。
何もないひっそりとした山奥の小さな森の寺。

その何もないひっそりとした山奥の小さな森の寺に帰り、私は還俗した。


タイ人は、習慣として出家をする。そして還俗をする。
そこは、私とは少し目的が異なる。

タイ人であれば出家と還俗でもって一人前の成年男子として認められるのだ。


出家をするには、まずは出家する寺を決めたり、出家のための所定の文言を暗記したりと、さまざまな準備が必要だ。
また、多くの参列者やお布施があったりと、とても華やかでもある。

しかし、還俗には何の準備もいらない。
いつどこで還俗をしても構わない。

実にあっさりと、ひっそりと終わる。
あっけないという表現が適切なのだろうか。


(※いつどこで還俗しなければならないという決まりはないが、還俗の際には、自分の出家した寺に戻り、師僧となっていただいた方(住職)に挨拶をしたうえで還俗することが望ましく、それが一応の礼儀であるとされていることを付記しておく。)


出家中には、何人もの還俗に出会う。

タイでは、在家者や後輩の比丘、サーマネーン(沙彌)に対しては、合掌での挨拶はしてはいけないことになっている。

ついさき程まで先輩比丘に対して私が合掌での挨拶をしていた。
ところが、還俗の瞬間からは、先輩比丘が私に対して合掌での挨拶をする。

先輩比丘は、もうすでに先輩比丘ではなく、在家者となったからだ。

なんとも変わり身が早いというか、不思議な感覚だ。
これが日本人的な感覚なのだろうか。


還俗を済ませて在家者となった先輩比丘達が、すがすがしい顔で私のところにやってきて、

「おい、俺の電話番号と住所だ。また、遊びに来いよ!」
「じゃあ、元気でな!」

と、何人もの還俗した先輩達が私に声をかけてくれた。

同じ寺で同じ時期に出家期間を過ごした者達は、特に親しくなるのだという。
日本で言えば「同期」の仲間と言ったところだろうか。

こうして寺を後にして、家族が待っているそれぞれの故郷へと帰っていく。
そして、それぞれの家庭では、出家を済ませて一人前となった成年男子として迎えられる。


ああ・・・
ついに私が還俗するその時なのか・・・。


まだ静かな早朝に私の還俗式を行ってもらった。

私が初めて寺に来た時から、とても親身に出家の面倒やその他さまざまな世話をしてくれた寺の住職と、同じくとてもお世話になった長老比丘に立ち会っていただいた。


私と住職と長老比丘の3人。

還俗の文言を誦唱する。

サンカティン(袈裟)を返却し、今後もよりよき仏教徒として生きていくということを誓う。


黄衣から白い服に着替える。

これで還俗式は終わりだ。

白い服を着る・・・つまり在家者に戻ったことを意味する。

朝のさわやか空気とやわらかな光の中での還俗だった。

住職に最後の挨拶と三礼をした。

「これからもずっと仏法の実践に努めてまいります。」

と、つたないタイ語で精一杯の思いを伝えた。
住職は、少しほほ笑みながら「うん、うん」とうなづいてくれた。


この時の複雑な気持ちは言い表すことができない。
タイ人達がすがすがしい気持ちで還俗をする・・・私にはそうしたすがすがしさはなかった。


どこかで読んだことのある、とある出家体験をつづった書籍に還俗の瞬間について「感動の涙を流した」と書かれていたように記憶しているが、私にはそのような感動もなければ、涙もなかった。

私にとって還俗とは、やはり堕落であり、挫折にしか思えなかった。


還俗・・・

還俗は、挫折かもしれないし、堕落でもあるのかもしれない。
今までを振り返ってみれば、全てが中途半端な結果に終わってしまった。
情けない限りだと思う。

出家は新たな人生の門出だった。
しかし、この還俗もまた私にとっては新たな人生の門出なのかもしれない・・・と思いたい。

還俗、そして日本へ帰国するという選択は、精一杯に考え、検討し、悩んだ末に出した“最善”であると考えた結論なのだから。

人生の再出発・・・。

私もこれで一人前の成年男子だ。
タイ人だったならば。


このまま苦海に深く沈んでいくのかもしれない。
この先、煩悩に押しつぶされるのかもしれない。
一体どうなってしまうのだろう。


でも、これでやっと大学の仏教学科を卒業できたように思う。

仏教の大学を卒業すれば、少しばかりは仏教がわかるだろうと思っていた。
ところが、卒業しても全く仏教がわからなかった。

しかし、思いあがりなのかもしれないが、やっと“仏教のかけら”くらいは、この出家で理解ができたように思う。


寺の専属の運転手さんが還俗したばかりの私を近くの町のバス停まで送ってくれた。
なにせ山奥の小さな森の寺であるため、交通手段がない。
寺に用事のある時には、いつもこの運転手さんの車で出かける。
もう家族と言ってもいいほど顔なじみだ。

「それ(今着ている還俗した時の白い服)だけでは困るだろう。」

と、バスを待っている間に町の衣料品店で1組のズボンとTシャツを買ってくれた。

「元気でやるんだぞ。」

と、最後に声をかけられ、お互いに別れを告げた。

バスがやって来た。
バスに乗った。

バスの車内に大音量で流れる軽快なタイ語の流行り歌が耳をついた。



(『還俗』)



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