是非とも今後の研究が待たれる、私としては非常に興味深いものと出会った。
それは、「プラ・マーライ」という阿羅漢である。
プラ・マーライとは、地獄や人間界、天界におもむき、衆生に仏教を説き、善き道へと導いてくれると信じられている存在だ。
「嘘をつくと地獄に落ちるよ」
そんな言葉もすでに日本では聞かれることがなくなりつつあるように感じる昨今であるが、タイではよく聞かれる言葉のひとつである。
他の記事でも紹介させていただいているが、タイでは「輪廻」や「来世」というものが信じられており、「地獄に落ちる」「天界に生まれる」といったこともしばしば語られる。
こうしたことは、寺院の壁画や書籍など、さまざまなものを通じて人々に語り継がれている。
そして、さまざまな形に表現された「地獄絵図」が現役で活躍しており、人間の悪しき行いを戒め続けている。
地獄絵図には、さまざまな悪行とそれらの悪行に応じた来世の行き先との因果関係が解説されており、悪行の数と同じ数だけの地獄が詳細に説明されている。
「○○をするとこういう地獄へ行くのだ。」という具合に、実に具体的だ。
そんな地獄におもむき、苦しむ衆生に仏教を説き、善き道へと導いてくれるのが「プラ・マーライ」という阿羅漢だ。
「地獄で仏」ではなく、「地獄で阿羅漢」である。
プラ・マーライは、阿羅漢ということになっているので、もちろんタイの比丘とおなじ姿に描かれている。
一見すると、地獄でお坊さんが説法しているように見える。
もっとも、阿羅漢も比丘なので間違いではないが。
ここまで聞かれて、「あれ?」と思われた方はいらっしゃるだろうか。
日本でも聞いたことのある話では・・・?
そう、地蔵菩薩である。
地蔵菩薩とは、比丘形(出家の姿・僧侶の姿)にて六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の衆生を教化する菩薩とされている。
私は、この類似点が非常に面白いと感じた。
実は、後日知ったのであるが、この点を指摘した書籍があり、その書籍によると、タイの“プラ・マーライ”と“地蔵菩薩”は、“阿羅漢”と“菩薩”という違い以外はほぼ同様とのことである。
私は、おそらく起源は同一のものであると憶測しているが、是非ともさらに詳しく知りたいと思っている。
もうひとつ。
「プラ・アーリヤメーットライ」という天人である。
先輩比丘とともにある寺院を訪問した時のこと。
お堂の中の壁画のところへ私を連れて行ってくれ、こう説明してくれた。
「おい、あれは何だかわかるか?」
と、先輩比丘が私に問いかけた。
「なんでしょうか?天人でしょうか・・・??」
と、とっさにそう答えた。
「そうだ。天人だ。
あの神様は、今は天界にいるんだ。
でも、ずーっと先の未来には、この世界に生まれてきて、みんなを幸せにしてくれるんだ。」
と。
寺の壁一面に描かれている、青い空と真っ白い雲。
その真っ白い雲の上にひときわ大きく描かれた神様とも天人ともとれる人物の姿。
どこか女性的な雰囲気さえあるその姿。
何も知らない私が見ても、一目で人間ではないだろうということだけはわかる。
私は、とっさに「天人」と答えた。
ここまで聞かれて、また「あれ?」と思われた方はいらっしゃるだろうか。
この話もまた日本で聞いたことのある話では・・・?
そう、弥勒菩薩である。
サンスクリット語では、マイトレーヤという。
漢訳して慈氏菩薩ともいう。
弥勒菩薩とは、現在は兜率天に在り、56億7000万年後の未来にはこの世に出世し、釈迦の説法に洩れた衆生を済度するとされている。
兜率天は「天界」である。そこは、タイも日本も同じだ。
大乗仏教でも、“菩薩”ではあるが“天界”にいる存在である。
“天人”と“菩薩”の違い以外は、先輩比丘の説明と重なる。
この件について、後日、大学で教鞭をとるタイ在住の先生にたずねたところ、やはり弥勒菩薩を指すとのこと。
彼によれば、弥勒菩薩について説かれたパーリ語経典も存在するとのことであった。
「プラ・マーライ」も「プラ・アーリヤメーットライ」も、壁画などに描かれ、伝承されているのみであって、どちらも上座仏教の教学とは関係がない。
また、礼拝対象ともなっていない。
タイに上座仏教が伝来する以前は、密教色の濃い大乗仏教が信仰されていたという歴史がある。
その時代の名残なのか。
あるいは、その時代から伝承されているものなのか。
または、上座仏教伝来後にタイ仏教に入り込んだものなのか。
その詳細を知りたいところである。
是非とも、今後の研究を待ちたい。
上座仏教では、菩薩とは修行時代のブッダのことを指す。
ブッダその人以外に菩薩はいない。
地蔵菩薩は阿羅漢に。
弥勒菩薩は天界に住む神様、天人に。
阿羅漢と天人ならば上座仏教の教義には矛盾しない。
とても興味深く、非常に面白いと感じた。
不思議なご縁で、プラ・マーライとプラ・アーリヤメーットライに出迎えていただいた。
私も善き道へと導いていただけるだろうか。
いや、導いていただけますように・・・
(『阿羅漢と天人』)
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