タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2010/05/17

ワット・パー・スカトー瞑想法


◎ ワット・パー・スカトー瞑想法

この瞑想法は、ルアンポー・ティアン師によって確立された瞑想法で、タイでは、どちらかというと少数派の瞑想法である。


タイにおいて、この瞑想法がどのように通称されているのかを私は聞く機会がなかったので、ここではこの瞑想法に触れた寺の名前、ワット・パー・スカトーをもって瞑想法の名前とした。


ワット・パー・スカトーは、タイにおいて出家をされた坂本師(本名:坂本秀幸師/比丘名:プラ・ナラテボー師/通称:プラユキ・ナラテボー師、プラユキ師/プラユキとは、プラ・ヒデユキ・ナラテボーの略称である。)という日本人僧が副住職を務めていることで知られる森の寺である。


※記事の公開日:2010年5月時点のものです。
なお、現在、日本においてこの瞑想法は「チャルーン・サティ」として広く知られているものです。


のどかな村々が周囲にあり、とても落ち着いた雰囲気の静かな森の寺だ。


坂本師は、この森の寺において瞑想を日々指導されている。

坂本師は、年間に何度か日本とタイとを往復されており、日本においても活躍されているので、おそらく坂本師を知る日本人も多いことであろう。

そのため、多くの日本人が坂本師を訪ねてこの寺にやってくる。


さて、ワット・パー・スカトー瞑想法であるが、この瞑想法では一定の動作が定められており、その動作を繰り返していくことが瞑想となる。

その一定の動作を文章で表現することや、説明することは難しいため、ここでは割愛させていただくが、動作をともなう瞑想法であるということがこの瞑想法の大きな特徴である。

それゆえ、気づきの瞑想とか手動瞑想とも日本語訳される。



まず座る。

そして、決められた一連の動作を繰り返し行う。

その動作の際、身体に手が当たった時に感じる感覚やその動きに集中させる。

動作や行為をしていること自体に「気づく」よう集中する。

瞑想中に何か考えが浮かんだ時には、すぐに動作の際に感じている感覚に戻り、行為そのものに「気づく」ように努める。


座って行う瞑想ばかりではない。

タイではどの瞑想法においても座る瞑想、歩く瞑想、立つ瞑想、寝る瞑想を組み合わせて修されることが多い。

これは、眠気を防ぐためや、体をほぐす目的のほか、生活の全ての場面で瞑想が可能であるということを教えている。


日本の禅で言えば、座る瞑想は座禅、歩く瞑想は経行(きんひん)にあたる。


歩行瞑想の際は、歩行していること自体が「動作」となるので、歩行していること自体に「気づく」よう集中する。

あるいは、足の裏が地面につく時に感じる感覚に集中し、歩行していること自体に「気づく」ように集中してもよいと指導される。

よって、歩行瞑想時にはより感覚を明確に感じ取れるように素足で行わなければならない。


私達は、心の動きを含めて常に様々な動作をしているが、同時に無意識であり、動作をしていること自体を意識していないことが多い。


「ユプノー」(マハーシ系の瞑想法)では、例えば腹部の膨らみであれば、「膨らみ」「膨らみ」・・・と動作や思考の1つ1つに言葉を用いてラベリングを行うが、ワット・パー・スカトーの瞑想法では、言葉によるラべリングは一切行わず、行為ごとに「気づく」ことが重要であると教える。


動作をともなう瞑想法であることもあり、じっと静かに座す瞑想法よりは眠気に襲われにくいと言える。

・・・それでも眠気は襲ってくるのであるが。


触れている、手を挙げている、歩いている。

普段は、全く気にとめることなく無意識に為されている心や体の動きに気づく。


それがワット・パー・スカトーの瞑想法である。



近年、日本において坂本師の著書が数冊出版されている。

寺での生活や瞑想法の詳細、坂本師の思想に触れたい方はぜひ参照されたい。



(『ワット・パー・スカトー瞑想法』)



追記:記事の公開日・2010年5月時点のものです。

なお、現在、日本においてこの瞑想法は「チャルーン・サティ」として広く知られているものです。



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