一般的にタイというと、何に関しても大らかでオープンなイメージがあるかもしれないが、実は、そんなイメージとは反対に、一歩、タイ社会の中へと入ると、上下関係や序列が非常にはっきりしていることに気づかされる。
そして、それらをよく守らないといけないことを知らされることになるだろう。
守らないのは、礼儀に反することであり、大変失礼なことになってしまうからだ。
それだけではない。
守らなければならない礼儀や作法なども厳然として存在している。
それは、神仏に対してもそうであるし、人に対してもそうである。
私は、こうしたタイの生活のいたる所で出会う礼儀や作法は、日本人が捉えるような窮屈さではなく、タイの美しさを感じたのである。
チーウォック・コーマーラバット像 タイでは、ジーヴァカがタイ古式マッサージの 創始者であるとされている (※註1) |
さて、私は、還俗をしてお寺を出たあと、以前にチェンマイ市内でお世話になったお寺で数日間滞在した。
このお寺は、私がタイ語を学んだ思い出深いお寺だ。
同時に、私の出家式に唯一参列してくれたのは、このお寺の信者さんたちであった。
日本人的な感覚ではあるが、私はもう日本へ帰国する。
だから、最後に、もう一度、とてもお世話になった人たち一人一人に帰国の挨拶をしたかったのだ。
どこの誰かすらわからない私を家族同然にもてなしてくれた親切な人たち。
そこは、やはり日本人として、どうしても直接お礼を伝えたかったのだ。
そんなチェンマイのお寺で過ごしていたある日、『フットマッサージを教えてあげるよ』というお誘いをいただいた。
私が滞在していたチェンマイにある下町のお寺の周辺は、とてもマッサージが盛んな地域らしく、マッサージの学校がいくつもある。
そこでマッサージを学んでいる西洋人の姿もよく見かける。
さらに、私が滞在していたお寺周辺の地域では、地域の人たちみんながマッサージを習得しているようで、境内の一角にそうした施設まで設けられていた。
そうした町の人の厚意で声をかけてくださったわけだ。
マッサージを教えてもらうことにした。
そこでとても驚いたのが、施術の学びを授かる前後には、師に対する感謝と尊敬を表す『礼拝』の儀式があるという点である。
お寺でもなく、宗教施設でもない、ごく普通の学びの場である。
聞くところによると、一般のマッサージ学校においても同様なのだそうだ。
さて、その『師』であるが、今、私の目の前にいるマッサージの先生に対する感謝と尊敬を示すのは当然のことであるが、ここで言っている『師』というのはそうではない。
私が驚いたのは、この点だ。
タイ古式マッサージの創始者であるとされている『チーウォック・コーマーラバット(タイ語)』という歴史上の人物を師と仰ぎ、一番最初に感謝と尊敬の心を捧げるのである。
仏教に詳しい方や仏典に馴染みのある方は、“ピン”と来たかと思うが、そう、『チーウォック・コーマーラバット』とは、ブッダ在世時代の医師である『ジーヴァカ』のことであり、漢訳の『耆婆(ぎば)』のことである。
ブッダやブッダの弟子たちの病気を治した名医と言われた人物であり、大変尊敬された人物であるとされている。
タイでは、タイ古式マッサージの創始者であるとされていて、学びを授かる一番最初に、あるいはその日の講義の一番最初に、『ジーヴァカ』へ礼拝する儀式から始まるのである。
マッサージ学校の教科書の1ページ目 チーウォック・コーマーラバットの写真と 感謝と尊敬を示す真言が記されている |
ほんの少しではあるが、フットマッサージを先生から直接教わった。
マッサージの技法を学ぶ前には、マッサージの先生も生徒である私も揃って、ジーヴァカの像に向かって真言を3回唱える。
オーン ナモー チーワカ コーマーラパッチョー ブーチャーヤ
オーン ナモー チーワカ コーマーラパッチョー ブーチャーヤ
オーン ナモー チーワカ コーマーラパッチョー ブーチャーヤ
手元にある教科書の1ページ目には、『ジーヴァカ』の写真と感謝と尊敬を示す真言が記されている。
次のページには、儀式としての『ジーヴァカ』に対する感謝と尊敬の文言が掲載されている。
ワイクルーの儀式である。
これを毎回行ってから講義が始められる。
私は、何と謙虚な姿勢なのだろうかと、一種の感動を覚えた。
伝承なのかもしれないし、伝説なのかもしれない。
しかし、創始者であり、教師であり、師匠でもあるとされる人物に対して感謝と尊敬を示したうえで、学問を授かるという姿勢は、実に美しい姿であり、実に真摯な態度であると思う。
北タイ様式の美しい仏塔のあるお寺である チェンマイ市内にあるこのお寺が 私にとって忘れることのできない 思い出深い場所のひとつとなった |
お寺の住職に習いたてのマッサージを施術させていただいた。
『うむ、まあまあだな。』
そんなお言葉を頂いた。
素っ気なかったが、嬉しかった。
私を家族同様にもてなしてくれたお母さんからは、
『この地域の人たちみんなで、チェンマイのナイトバザールにマッサージ屋さんを出店しているの。
一緒にやっていきなさい。
もうできるから大丈夫よ。』
このように誘っていただいた。
ゆっくりとチェンマイでの生活を楽しむというのも選択のひとつではあった。
しかし、残念ながら、ビザの関係で予定を優先することになり、ナイトバザールでマッサージ師デビューを果たすことはなかった。
今、思えば、もう少し滞在をして正式にマッサージを学んで、修了証を取得しておけばよかったな・・・と思わなくもない。
少々残念に思う。
いやいや、私の目的は、瞑想を実践し、仏法を学ぶことだ。
そのためにタイへ来たわけであるのだから、それでよかったのである。
※註1:
チーウォック・コーマーラバット像(ジーヴァカ像)の画像は、タイ・バンコク在住の漫画家 たーれっくさん (@taarekrek)にご協力いただき掲載させていただきました。この場をかりて心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
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《たーれっくさんより》
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