タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2021/12/09

アーナパーナサティはサマタの瞑想か!?


近年、瞑想の流行とともに、瞑想の専門用語も広く一般に知られるようになってきた。

 


同時に、誤解や曲解も非常に多くなっているように感じている。


 

仏教の瞑想がルーツである用語が、仏教の瞑想以外の瞑想においても使用されるようになってきたのも一因ではなかろうか。

 


例えば、マインドフルネス系の瞑想をはじめ、宗教的実践とは無関係の瞑想において多用されていることが挙げられる。



ここでくれぐれも断っておきたいのだが、「瞑想」が変われば、その瞑想の定義も、用語の意味付けも、立ち位置も、体系も、全てが異なる。



ゆえに、同じく「瞑想」と呼ばれているからといって、必ずしも同じものであるとは限らないし、比較すらできるものではない。


 

それぞれの瞑想を深く理解しておかなければ、大いに混乱してしまう破目になるだろう。



現に、日本の瞑想の世界は、混乱している。











「アーナパーナサティ」という呼吸に注目した瞑想法がある。



この瞑想は、16の段階があり、緻密に体系化されている。



日本の瞑想一般では、アーナパーナサティとは、心を集中させるためのサマタの瞑想であるとの理解がなされており、ヴィパッサナーの瞑想ではないと認識されているようだ。



しかし、その理解は全く当てはまらないし、非常に浅い理解であると言わざるを得ない。




タイの瞑想(=テーラワーダ仏教の瞑想)の筋道として、最終的には「無常」・「苦」・「無我」の観察と洞察を深めていき、涅槃へと到るという方向性がある。



アーナパーナサティの場合であれば、まずは呼吸の出入りへとひたすら注意を向けて、明晰に観察し、洞察し続けていく。



さらに、心の動きについても同じく、明晰に観察し、洞察していく。



入口の段階こそが呼吸への注目であるが、最終的にはやはり「無常」・「苦」・「無我」の観察と洞察を深めて、さらには涅槃へと到り着くことを目指していくものだ。



アーナパーナサティがサマタの瞑想であるとするのは、ごく入口の段階についてを言うのであろうけれど、決してそれが最後まで続くのではなく、きちんとヴィパッサナーへと移行していく段階があるのである。



狭い意味においては、確かにサマタの段階ともいえる部分があり、導入的な一段階を意味するのだが、そこからさらに身体の観察へと移行していき、四念処に相当するヴィパッサナーの領域をも含むものがアーナパーナサティなのだ。




ちなみに、サマタの定義は、ある特定のひとつの対象のみに集中することである。


 

呼吸の出入りそのもののみを集中の対象とするのであれば、それはサマタとなるだろう。



一方で、ヴィパッサナーの定義は、ありのままの現実を観察し、洞察していくことだ。



対象をひとつだけとせず、複数の対象をとっていき、観察し洞察していくものである。



呼吸の出入りの感覚、思考や感情などの心理状況へと気づきを向けていくのであれば、それはヴィパッサナーとなるのである。



同じ「呼吸」を瞑想対象とするのであっても、サマタとヴィパッサナーとでは、その瞑想の仕方が異なるのだ。



ここをよく理解していないと、アーナパーナサティはサマタの瞑想だなどといった誤解を生じさせてしまうことになる。




タイにおいては、実践されているどの瞑想法であっても、ヴィパッサナーであると認識されている。



日本のようにある特定の瞑想法のみを“ヴィパッサナー瞑想”と呼ぶのではない。



全てがヴィパッサナーだとされている。



なぜならば、どの瞑想法もヴィパッサナーへと連なる瞑想であり、ヴィパッサナーへと到るための瞑想だからである。



逆に言えば、ヴィパッサナーへと到り着かない瞑想は、それはヴィパッサナーではないと見なされるというわけである。




日本でも瞑想が広く一般化されて、誰もが気軽に実践されるようになることは、大変喜ばしいことである。



しかしながら、誤解され、曲解された瞑想が広まってしまうというのは、残念極まりない。



少しでも正しく瞑想が理解され、少しでも正しく瞑想が実践されることを切に望むところである。




(『アーナパーナサティはサマタの瞑想か!?』)






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