私は、ブッダの仏教の生き方と、瞑想修行を目的としてタイへと渡った。
タイでは、生活のあらゆる場面において仏教が深く根付いている。
それは、単なる“儀礼”や“習慣”としてではなく、価値観や生き方として、タイの人々の心の中に息づいているのである。
その姿を目の当たりにした時は、それはそれは心が震えたことをよく覚えている。
さて、タイの人々の一日の始まりはお布施で始まる。
それと同じく、一年の始まりもお布施、人生の始まりもお布施である。
婚礼は、新郎新婦がそろってお寺へと出向き、お布施をする。
子どもが生まれると、お布施をしてお寺の比丘から祝福を受ける(都市部では少なくなっているが、郊外の地域ではよくみられる)。
人生の最後もやはり、お寺へお布施をして、功徳を振り向ける。
日頃の悩みや、思うところをお寺の比丘に相談するのは、ごく日常の風景だ。
おおよそ10日に一度やってくるワンプラと呼ばれる仏教の日には、最寄りのお寺に集う。
もちろん、心を寄せる遠方のお寺でもよい。
新車の安全祈願もあるし、新築家屋や新規開店の御祈祷もある。
人生の節目、節目には、必ずお寺や比丘の存在がある。
生活の全ての場面が仏教とつながっているのである。
(※婚礼については、比丘が婚礼を司る立場であるのではない。あくまでも、お布施を受ける立場としてである。葬儀についても同様であるし、祈願・祈祷などについても同様である。)
葬儀くらいしかお寺や仏教との関りがない日本の状況とは、大きな差があり、価値観を異にするところである。
お寺や比丘、特に「お布施」というものにどれだけ重い価値がおかれているのかは、日本人には到底想像すら及ばないところであろう。
まさに驚きの風景であり、また感動の風景であった。
人々と仏教とを直接つなぐものとして、「瞑想」や「お布施」という実践行があるのだが、それらを除けば、やはり儀礼や儀式になるかと思う。
その儀礼や儀式も、タイの場合は、やはり「お布施」というものが中心となる。
ところが、森の修行寺では、そのような儀式や儀礼をはじめとして、呪術めいたことや占いなどは、一切行わない。
さらには、タイでは一般に大変よく好まれる、お守りや護符なども、一切扱わない。
お守りを扱わない代わりにと言っては大変不適切な表現になるのかもしれないが、修行寺などでは、仏教書や瞑想指導書が非常に充実している(これは、比較的大きな僧院のみである)。
婚礼や葬儀は一切受けないし、仏教に関する行事も、通常のお寺とは異なり、ごくごく質素なものである。
特に、呪術やまじない、占いなどは、固く厳禁されており、仏道修行に関係のないものとして、あるいは修道を惑わせるものとして、近づくことさえ忌避されている。
まさに、森の修行寺は、原点回帰主義とも言えるもので、これはこれで非常に大きく大切な存在である。
瞑想修行を志し、純粋な意味での仏教を学ぶ者は、形式的なものであったり、仏教ではない所謂“異物”であったり、“混ざりもの”として、儀式や儀礼を批判的に捉えることが少なくない。
しかし、私は、これらのものを通じて生活の全てが仏教とつながっているのだと受け取っているし、大切なツールのひとつであると受け取っている。
何よりも、大衆が望んでいるものであり、形でもあるのである。
現に、タイの人々は、うまく住み分けを行っているし、うまく“使い分けて”いる。
使い分けているというよりも、私がここで書いているように、明確に分けて考えているわけでもない。
どちらもその役割があり、どちらも必要な存在だからである。
タイでは、仏教(または、お寺や比丘)に対して、絶大な敬意が払われる。
そして、比丘という存在そのものに、一種の(仏教による)霊力のようなものが宿っているとして考えられることが多い。
純粋な仏教とはやや異なるニュアンスを含む側面が発生してくることもあるだろうけれども、それを含めての仏教である。
どのステージで仏教と関わって、どのレヴェルにおいて仏教を生きていくのかであろう。
そこを選ぶのは、それぞれの自由であり、それぞれの志次第であると思う。
日本に再び生活の全ての場面において仏教が息づく日は来るのであろうか?
日本人の心に仏教が息づく日は来るのであろうか?
タイの篤き仏教の世界に触れた私としては、どこまでも日本の状況が残念でならない。
(『生活の全ての場面で仏教が息づいているタイ』)
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