この世界は、自分の意識が作り出しているのだ。
仏教や瞑想に親しんだ人なら、ごく馴染みのある言葉かと思う。
一方で、仏教や瞑想にまだそれほど馴染みのない人にとっては、何を寝とぼけたことを言っているのだと感じられる言葉なのではないだろうか。
このような認識の世界、つまり仏教の心の世界の学問を、私は大学時代にすでに学んでいたのであった。
◆大学で心の世界をすでに学んでいた!?
私は、学生の頃、「唯識」という仏教の学問の一分野を専攻し学んだ。
そして、それを論題として論文を仕上げた。
「唯識」というのは、仏教の心の世界の学問だ。
この現実の世界は、実体としては存在せず、私たちの意識が作り出している世界を見ているに過ぎないとする学派の主張である。
つまり、世界があるから認識するのではなく、認識するから世界が見えてくるのだと捉えるのである。
大学入学後、早々に専攻する分野を唯識へと絞り込んだ甲斐があって、私の指導教授から、ありがたくもお褒めの言葉を頂けるまでの論文に仕上げることができた。
しかしながら、仏教の学問のなかのほんの一分野であるとはいえ、大学4年間の修学カリキュラムでは到底学び切れるものではなく、ほんの“端っこ”をかじった程度で、全くもって不十分だ。
まして、知識としてではなくて、仏陀の境地へと至るための実践としては、スタートの位置にすら立てていない。
私は、たったそんな程度のレヴェルでしかないのだ。
このことは、社会へ出てから、さらに嫌と言うほど思い知らされる破目となった。
仏教の学びによる「智慧」のはずが、単なる机上の「知識」に終始し、私の人生に何の影響も与えていなかったのであるから、それはそれはショックであった。
もっとも、こうした私の疑問や挫折のひとつひとつが
“こころの探究のはじまり”
の原動力となってはいるのだが・・・。
遠い学生時代の振り返りである。
◆ある人の言葉で目が覚める!
ごく最近になって、ある有名な先生から、
『君が認識していないことは、この世界には存在していないんだよ。
私が言っている意味がわかるか?
君、例えばね、ここまで来る間にコンビニがいくつあったか、答えられるかい?
(私は、答えることができなかった。)
そういうことなんだよ。
君が認識している現実世界には、コンビニはひとつも存在しない。
(はぁ?という顔をしていたことと思う。)
だって、そうだろう?
コンビニがいくつあったのかという問いに、ひとつとも、ふたつとも、答えることができなかった。
君の認識の中には、コンビニはないんだ。
だから、実際にコンビニがあろうとなかろうと、そんなことは全く関係がない。
君が認識していなければ、コンビニはこの世の中に「存在しない」。
ただそれだけの話だ。』
私は、ハッとした。
すぐさま学生の頃に学んだ「唯識」の世界を想起したのであった。
それまでは、唯識の学びを文字のうえでは、なんとなく理解をしてはいたものの、自分のこととして、全く腑に落とし切れてはいなかったのだ。
大変身近な譬え話であるが、それだけに、すぐ腑に落ちたのであった。
普段、私たちは、あれこれ云々考えているが、ただあるのは、今、ここに生きているという現実のみだ。
それは、今この瞬間の認識のみ。
あれこれ云々と考えていること自体が、すでに妄想しているのである。
そう・・・
我々人間は、こうした妄想の世界を生きているわけなのである。
それが動かぬ事実であり、真実の姿なのだ。
◆真理の一端を知る。本物の瞑想とは?
そうした真実の姿を知って、仏陀の境地へと到るための学びと実践が「瞑想」である。
この世の中の真実のあり様をよく見抜き、体得していくことこそがその本当の目的のはずだ。
しかしながら、わが身は大変愚鈍なるがゆえに、その能力に欠けていることを嫌というほど思い知らされることもしばしばだ。
否、しばしばどころではない。
それでも、たとえほんの一瞬であったとしても、真実の姿を垣間見ることができたとすれば、それは瞑想の叡智の一端を得たことになるのではないだろうか。
ほんの小さな叡智であったとしても、その学びと体得がなければ、本物の瞑想とは言えないのではないだろうか。
まずは、無知という病を治療しなければ、妄想という猛毒に侵され、病状はますますひどくなるばかりである。
妄想という猛毒は、衰えることを知らない。
勢いはますます増していく。
猛毒の猛進を抑えて、勢いを削ぐことができるのは、唯一「智慧」のみである。
苦しみから脱するためには、やはり瞑想が必要で、真実の姿をよく知ってこそ初めて幸せへの道を踏み出すことができるのだ。
今、現在、抱えている苦悩を仏教の「智慧」でもって解決せずして、安らかな世界が展開されることはあり得ない。
だからこそ、「瞑想」を実践するのである。
そして、「今」、「ここ」、「この瞬間」を生きるのである。
(『現実世界は、かりそめの世界なのか?』)
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