タイ佛教修学記

佛法を求めてタイで出家した時のこと、出会った人々、 体験と学び、そして心の変遷と私の生き方です。


礼拝

阿羅漢であり正等覚者であるかの世尊を礼拝いたします

ナモータッサ ・ パカワトー ・ アラハトー ・ サンマー・サンプッタッサ(3回)


2014/03/23

父の病気1 ~父の病~


この記事は、タイ佛教とは直接関係のあるものではありません。しかし、私の心の変遷の中においては、とても大きな位置を占めているものです。現在の私へと至る過程のなかでの心の葛藤を書いた記事です。長くなりますので、数回に分けてアップさせていただきます。



私の父は、長らく難病を患っていた。
父に病の自覚症状が現れ、はっきりとした病名が明らかとなった時、私はまだ学生であった。

母からの電話で父の病を知らされたことを今も覚えている。

病の診断から父が亡くなるまで、約15年の歳月が流れた。
長いようで短かった15年。

しかし、父にとっては長い長い15年であったことだろう。

きっと。

私には、この15年の間、実にさまざまな出来事があった。

大学卒業。
就職・退職・転職。
タイへの旅立ちと出家。
還俗と日本への帰国。
そして再就職。

タイでの出家の話がまとまった時、すでに父は寝たきりの状態になっていた。
タイへと旅立つ私を父はどのように見ていたのであろうか・・・。

私の思いは誰にも理解されることはないと自覚してはいるが、それを傍で見ている側としては気が気ではなかったことだろう。


私が大学を卒業し、実家へ帰って間もなく、父は寝たきりの状態となった。

堂々とした父の姿は、日に日に弱っていった。
まるで子どものようになっていった。

衰えてゆくその姿を見ることは、なんとも言葉には表現できない。

主治医によれば、父の病は、筋肉が萎縮してゆく病なのだという。
人間の体の全ては筋肉で構成されており、あらゆる動作は全て筋肉によるものなのだそうだ。
その筋肉が衰えていき、動かなくなっていくというものだ。
自覚症状として現れた時点ですでに末期症状なのだと説明された。

主治医は、

「もしものことがあったとしても、それは病気の性質から来るものですから、ご家族様の介護が悪かったとか、住環境が悪かったとか、ご自分を責めることはなさらないでください。」

と、私に告げた。


歩行能力も奪われた。
言語能力も奪われた。

食事をとることもできなくなった。
噛むことも、飲み込むことも困難となった。

そのため、「胃ろう」という、管を胃に入れる措置がとられた。
毎食、栄養剤を管を通じて直接胃に入れなければならない。

もう、おいしい、まずいもわからない。

眼球がわずかに動く以外に自由を許されなくなった父。

父が何を考え、何を思っているのか・・・周囲の者が推し量るしか方法がない状態となってしまった。

まだまだ働き盛りだった当時の父。
寝たきりの状態、しかも動くことも、自分の意思を伝えることもできなくなってしまった父。

「周りで勝手なことを言いやがって・・・。俺はそんなことは言ってない。」

と、思っていたかもしれない。


母がぽつりと言った。

「お父さん、自分で生きることも、死ぬこともできないね。」と。

私は、返す言葉がなかった。

とても複雑な気持ちだった。


(つづく 『父の病気2 ~罪悪感とともに~』



(『父の病気1 ~父の病~』)



メールマガジン『こころの探究のはじまり』
を配信しています。

私の求道の旅路を綴っています。


▼登録はこちらから▼



0 件のコメント: