タイで修行寺として有名なある森林僧院に滞在していた時のことである。
さまざまな修行寺で瞑想修行をさせていただく機会に恵まれたが、この僧院から受けた影響はとても大きいと思っている。
その僧院の素晴らしさと言ったら、言葉に表現することができないほどだからだ。
静かな瞑想の日々。
瞑想環境の良さ。
全てに渡って忘れることができない。
いいことばかりだったのだが、ただ一点だけ、やはり忘れることのできない”痛い”思い出がある。
それは、犬にガブリと足首を噛まれたことである。
その出来事は、朝の托鉢の時に起こった。
森林僧院の前を通る幹線道路を延々と歩き、村の入口となる細い道を曲がる。
すると、長距離バスがビュンビュンと走る幹線道路とは打って変わって、実にのどかな村々が広がっているのだ。
そんなのどかな村の中を托鉢に歩くのだが、その風景がまた良い。
田んぼのあぜ道を抜けて、ある民家の広い庭に差掛かったその時であった。
突如、犬が私をめがけて勢いよく走ってきたのである。
ところが、そこで取り乱して、露骨に犬を避けてはいけない。
比丘やサーマネーンの出家者は、ワーとかギャーと言って騒いではならないし、驚いても、走ってもいけない。
いつでも涼しい顔をしていないといけない。
私も一応は、そのことを心得てはいた。
敵意を抱かず、慈悲の心でもって接すれば、犬も去って行くだろうと高を括っていた。
ところがどっこいである。
勢いは収まるどころか、私へと一直線。
そのまま足首をガブリと噛んだのであった。
幸いにも、それほど深く噛まれずに済んだので、そのまま托鉢を続けることができた。
しかし、お寺へ帰ってからが大変だった。
朝食の際に僧院内の比丘たちが全員揃うのだが、そこで全員に向けて住職自らが、
「この日本人と一緒に托鉢へ行った者は誰だ?
犬に噛まれたそうであるが、どのような状況だったのか?」
みんなの前で聞き取りを行ってくださった。
すると、すぐに数名が私のところへ駆け寄って来た。
患部を見せると、狂犬病の危険性があるため、すぐさま病院へと連れて行かれ、注射を打ってくれた。
田舎の病院であるが、そこの医師が、見ず知らずの外国人である私に非常に親切に接してくれたことを今でも鮮明に覚えている。
ガイドブックにも狂犬病について書かれていることからもわかる通り、タイ人たちもその危険性を十分に理解しているため、大変気を使っていただいた。
それにしても、僧院内の者全員に知れ渡ってしまったのは非常に恥ずかしかった。
突然、私をめがけて突進して来た犬が狂犬病だったのかどうかはわからない。
しかし、あれから20年経った今も、有り難いことに健康に生かしていただいているのだから、おそらくは狂犬病ではなかったか、あの時の注射が功を奏したかであると思う。
お陰様で、その後も、タイでは大きく体調を崩すことなく瞑想修行を実践することができた。
タイの3年間で病院へかかったのは、この時のみである。
(狂犬病の注射は、数ヵ月置いて、もう1回注射を打たなければならず、2回目の注射はバンコクのクリニックのような小さな病院で打ってもらったことを覚えている。)
なぜ、あの時、あの犬は私だけをめがけて一直線に突進してきたのだろうか?
タイ人であれば、
「お前が過去に犬を虐めたからだ。」
と言うに違いない。
もしかすると、本当にそうなのかもしれないが、それは誰にもわからないことだ。
異国の地で病に侵されるかもしれないと、急に不安になったことを覚えている。
この時、すでに私は、出家者であり、修行者の端くれだった。
それにもかかわらず、こんな程度で死の恐怖におびえるのだから、全くもって修行がなっていない。
とても環境の良いところで、瞑想修行を実践していると、ついつい環境の良さに酔ってしまうものである。
そんな束の間の“快感”を打ち砕かれた形だ。
すなわち、自分の本当の姿というか、本性を見せつけられたような気がした。
こんなところまで「修行」だったのである。
どこにいても常にサティであり、修行であるということを忘れてはならないということだ。
(『犬にガブリと噛まれた話』)
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